2017年4月18日 (火)

塔ノ岳登山

 15日に天気予報が一週間前より改善したので、神奈川県の丹

沢山系の塔ノ岳(1491ⅿ)へ行ってきました。この6年間で4

目の登山ですが、それが山の自然的な変様なのか、あるいは登

山者数の多さも影響しているのか私には不明ですが、登山道の

所々が少しずつ変ってきているように感じました。中でもその

典型的な場所が「金冷シ(きんひやし)」で、塔ノ岳と鍋割山へ

の分岐点手前の急峻な峠なのですが、昨年5月に登った時にす

でに岩を超えていく通り道が崩れかかっていたのが、今年はも

う完全に通れなくなっていて、横に人工的な階段の道が設えて

ありました。しかもその峠の下の斜面には崩落の浸食が進んで

いて、の分だとこの名物峠が消失してしまうのもそう遠くは

なさそです。そうなった時はこの登山ルートがどう変わって

しまうかも心配になります。

 今回は初めて家から麓まで自家用車で来たのですが、東名高

速の事故渋滞に巻き込まれて大幅に遅れ大倉バス停に着いたの

11時で、車を駐車場に置いてバス停前を1115分にスタート

するという状況でした(今までなら、電車・バス乗り継ぎで9

 スタートでした)。その後は1230駒止茶屋→1340花立山

荘→1400金冷シ→1430尊仏山荘(山頂)到着で、そこで遅

めの昼食となりました。ところが天気が改善したと言っても山

頂付近は曇っているうえに、少し強い風が吹いていて体感温度

は6~7度という寒さ、おむすびを食べているうちに体が冷えて

きて慌ててヤッケを着て、急いで食べ終わるとすぐに帰路を下

ったのです。そして下の谷合いをよく見れば、3月に降った雪

解けずに残っていますから寒いわけだと納得したのです。下り

1450スタート→1650バス停着でした。上りは水補給休憩

2回とりましたが、下りは休憩なしで下りました。大倉バス停

の海抜が300m、山頂が1491mなので1200m弱の登攀はこうして

無事終わりました。

 

この日は曇りがちで、遠景は靄がかかり富士山や周辺の山の連

なりといった絶景を見ることができませんでした。 

あと短歌を5首。

 

9 靄がかかっています

8

6 金冷シ。右側が元の道です

7 崩れている斜面

5 山頂(皆寒そうです)

4 3

2 下りも雲は多し

 

 

 

 

<痩せ尾根を辿って着きし「金冷シ」

        山ガールらは踏みしめていく>

(これは一昨年塔ノ岳を登った時の歌ですが、今回は‥‥)

<風雪に耐へ呼ばれ来し「金冷シ」

         けふ目の当りにぞ見納めむ>

 

 

(あとは今回とは別に詠んだ歌です)

<空いずこ光にまぎる雲雀いて

 青き高みゆ声のみなぎる>

 

 

<一斉にピヨピヨッピヨで動き出す

            親鳥呼ばう横断歩道>

 

 

<コギトスム株式会社その間

        山にこもっていたわけでなく>

 

 

 

2017年4月13日 (木)

天皇譲位について―番外編―

 天皇譲位の問題についてはいずれ続きをじっくりやるつもり

でいます。重要な国の制度のことですから、予想もしない形で、

急転直下ことが決着してしまうことはなさそうです。巷間漏れ

伝わって来る今後の手順も、今上天皇一代限りの特別立法とし

て生前譲位(退位)を認めるものとなりそうです。皇室典範の

根幹を変えることは避けながら、天皇の地位は皇太子に譲位さ

れ平成から次の元号へ変わる道筋が示されるということです。

一見穏便なプロセスのようですが、これははっきり言えば、一

時しのぎ、問題先送りという対処です。なぜなら次の天皇の時

にも生前譲位の問題が浮上してくる可能性は小さくないからで

す。もしそうなれば、実におかしな話ですが、またその天皇一

代限りの特別立法によって(事実上“先例”に倣って)生前譲

位がおこなわれることになるのでしょう。そうしてそう時を置

かずにまた一代限りの特別立法によって‥‥。これは“不敬”

言うものでも何でもありません。今時点で誰もが予測がつく

なだけです。‥‥そういうわけで、天皇譲位問題はこのまま

世紀中続くことになりそうです。

 

スナップは花冷えの中でも桜は満開となって散り始めているの

を撮ったものです。 あと短歌を5首。

 

1 2

3

4 川の浅瀬では鯉の産卵が始まっています

5 近くの住宅街の桜並木

6

8

7 近くの公園の桜

 

<いい日には日向を歩きたくもなり芝から銀座へ五キロを歩く>

 

 

<春の雪ムッシュかまやつ旅立ちて草葉の露に映る白銀 >

 

 

<窓外の空に雲雀のあがる時かすかに動く義母のまなざし>

 

 

<どうしてか何台もまた何台も回送という空虚なバスが>

 

 

<この先の小島小児科駐車場8台までは駐車できます>

        (最後のは「偶然短歌」風に詠みました)

 

 

2017年3月30日 (木)

憲法の「象徴」について―その4―

 これまで憲法条文としての「象徴」の不適切さを述べました

が、では今すぐこの条文の文言を変えろと言ってこれが簡単に

できるとはもちろん思いません。憲法九条の改正議論が出ても

う久しいですが、これを党是と掲げる与党の自民党ですら70

間も事実上手つかずの有り様ですから、もっと重要なことであ

る第一条の改正など今あるどの政党も手を出さないどころか口

にすらしないだろうと思われます。それと何と言っても国民が

この「象徴」の変更を考えることができるかということがあり

ます。心の奥底では腑に落ちないにしろ、表向きにはすっかり

馴染んでしまった「天皇=象徴」という決め事を、戒厳令など

経ずして、いったん白紙に戻すことなどできるだろうかという

ことです。

 そもそも現在でも、前回述べたような現憲法の制定経緯は正

式に(国家的に)認知されてはおらず、義務教育の中でも習得

項目とはなっていません(こうなったのはGHQの方針と政

の“沽券にかかわる”という意識の合算の産物なのでしょう)。

従って、大多数の国民は現憲法は終戦後に100%日本政府の手に

よって制定されたものと信じているのではないでしょうか。手

続き上では確かに戦後の日本の国会で発議され、公布され施行

されました。しかしそれは形だけで実質的に(ここでは紆余曲

折の詳細は省きますが)一連の事を主導したのはGHQで、憲

法草案を作成したのもGHQです。そして、日本語に翻訳され

部分的修正を加えながら現在の「日本国憲法」となったのです。

今は「ネット検索」により誰でもこれを知ることができます(

例えば「憲法制定経緯」と検索すれば数多くの詳細解説が出て

きますので、これを納得がいくまで目を通せばいいでしょう)。

幸か不幸かもはやこのようなことは隠し続けることができなく

なったのです。政府当局がこの辺の事実を見て見ぬふりをし続

ける限り、義務教育はおろか高等教育でも20世紀以降の日本の

歴史がまともに説明できないという非常に奇妙な状態は終わら

ないと思います‥‥もう20世紀はとうに終わってしまっている

にもかかわらず。

 ともかく、あと何年先になるのかは分かりませんが、この憲

法の制定経緯というものが普通の知識として社会に定着したあ

かつきにおいて、「直すべきものは直し、残すべきものは残す」

という態度を基本にして憲法の見直しをしなければならないだ

ろうと思います。そして、私のこのようなブログは、この見直

し作業が始まる道に至るための“狼煙(のろし)”のようなも

のであればいいと思っています。

 そして最後に、誤解されてはならないので敢えて言っておき

たいことがあります。それは、上に述べたいきさつをもって、

現在の憲法は“アメリカに押し付けられた”とするのは至当で

はないであろうということです。なぜなら戦後この新憲法が公

布された時に、国民の大多数が懐いた感情は“これを歓迎する”

というものであっても、“本心では拒絶したい”というもので

はなかったからです。この新しい憲法に対しては“押し付けら

れた”のではなく、むしろ“作ってもらった”という感懐こそ

が当たっていたと言って間違いないでしょう。はからずもこれ

を裏付ける証拠のような話が、昨年8月にアメリカの大統領選

挙の最中にありました。民主党のクリントン候補の応援演説を

するバイデン副大統領(当時)が共和党のトランプ候補に対し

て「我々(アメリカ)が日本の憲法を書いたということも知ら

ないのか、学校で習わなかったのか」となじったのです。横に

は笑ってこれを聞くクリントン候補の姿がありました。これは、

このことがアメリカのエスタブリッシュメント(政治的リーダ

ー層)の共通認識であることを物語っています。つまり、日本

人の“憲法を作ってもらった”という意識とアメリカ人の“日

本の憲法を作った”という意識はぴったり符合しているという

ことです。これが憲法制定時の事実であったにもかかわらず、

この後2030年してから“あれは押し付けられたものだ”と一

部の保守勢力が言い出すことは、潔さとまったく正反対の“た

ちのわるい言いぐさ”と言うしかないものでしょう。このよう

なところから本当の改憲論など期待する方が無理というもので

す。自民党の「70年間手つかず」の事情の背景には、このよう

な性格の一面があるからに他なりません。

 

 

 スナップは近所を散歩中に撮った花です(ハクモクレン、

コブシ、ヤマブキなど)

2

1ピンクのコブシは少し珍しい

4 3

 

 

 

2017年3月23日 (木)

憲法の「象徴」について―その3―

  憲法条文としての「象徴」の不適切さを引き続き述べてみます。

「象徴」という言葉にもちろん罪がある訳はありません。これを

憲法条文に使うことが、その使われ方が不適切だと思うのです。

前回ブログでくどく説明した通り「象徴」は極めて抽象的な言葉

です。もともと日本語にはなかった概念でしたが、中江兆民(18

471901)がその訳書「維氏美学」(1883年刊)でフランス語sy

mboleを訳出したのが始まりとされています(広辞苑)。19世紀

 半のフランスで起こり、そして象徴主義、象徴派の名のもとに

主に詩の世界で使われ、ある意味で一世を風靡した言葉といって

もいいでしょう。しかしそれはあくまでも詩、絵画、音楽という

芸術文化の世界で一世風靡した言葉(概念)だったのであり、日

常言語としてはほとんど使われなかったものだろうと思います。

一方政治的にはその時代の日本は、世界の列強国の動きに対抗す

るように世を挙げて他国との(植民地争奪)戦争に突入していき、

あげくに太平洋戦争で悲惨な敗戦の憂き目を見たのは既知の通り

ですが、その敗戦後にGHQ統治下で作られた新しい憲法に「象

徴」という言葉が登場するなどと、当時の日本人は夢にも思わな

かったに違いありません。憔悴しきって生き残った一般国民はも

とより、政治を主導した軍人・政治家から著名な文化人に至るま

で、それまで現人神(あらひとがみ)であった天皇を憲法で「象

徴」と位置付けるなど当時の日本人には絶対に発想できなかった

ことであろうと確信をもって言えます。

  ではどのようないきさつで憲法に「象徴」表現が導入されたの

 しょうか。それは、もう言うまでもなく、マッカーサー主導の

とでGHQアメリカ人スタッフによって新憲法草案が策定され

ことによります。その時に、天皇を「象徴(symbol)」と規定

る考えは早い段階で固められたものと推定されます。つまり日

に天皇制を残すことを決めると同時に、それは「象徴」として

天皇とすることを決めたということです。それは、それまでの

本人の脳裏から現人神(あらひとがみ)という天皇の神格性を

 100%払拭しようとするためであったことは今なら容易に想像が

きます。天皇の「人間宣言」もそれとセットのものだったはず

す。アメリカが、戦後の日本をアメリカの考える新しい「民主

義国家」に生まれ変わらせる第一歩目として行なった統治指導

新憲法の策定であり、そこにおいて天皇を「日本国の象徴であ

日本国民統合の象徴」と規定したのです。ところがそれは、前

ブログでも述べましたように、何ともピンと来ない(腑に落ち

い)ものだったと言わざるを得ないのです。これはアメリカの

わば“お節介(あるいはお為ごかし)”なのであり、わざわざ

皇に「象徴」という言葉を冠することなど不要だったと言って

いでしょう。なぜなら、現在の日本人にとって天皇=象徴が腑

落ちないのと同じく、戦前の日本人にとっても天皇=神という

のに本音(本心)のところでは腑に落ちなかったであろうこと

容易に想像できるからです。

富国強兵策の精神的バックボーンして、天皇の神格性を時の

政府が強圧的に国民に刷り込むことを行なったのは、明治憲法が

施行され、教育勅語も発布された1890 年から太平洋戦争直前の

 1940年頃までのほぼ50年間のことだったのであり(わが国の長い

「天皇制」の歴史において、こんな異常なことをしたのはこの時

代だけです)、その間の日清戦争、日露戦争、日中戦争そして太

平洋戦争へと進む、事実上の戦時体制下という世相が続く中にお

いては、一般国民がこれに真正面から異を唱えることなどまず不

可能なことだったでしょう。大多数の人は無難にそれ(現人神)

を“信じようとした(あるいは信じるふりをした)”ということ

ではなかったでしょうか(中には心底信じる人もいたかも知れま

せんが)。これがもし、「天皇制」の歴史とともに日本人一般の

心性の中に現人神信仰というものが真に根付いていたのであれば、

新憲法が「天皇=象徴」と規定し直したところでその実質が変わ

ることなどなかっただろうと思います。しかし戦後に全国民の間

で何らの混乱もなく(腑に落ちないにしても)この変更が受け入

れられたという事実は、もともと現人神信仰などなかったことを

示していると言っていいのでしょう。

 

 

 

あと短歌を4首。

 

 

<憲法の「象徴」の語に顕れし

                   紛ふ方なきアメリカ気質>

 

 

<をちこちに園児の黄服の見え隠れ

                   平戸の森に声がこだます>

 

 

<日が射せば麓の空気はふくらんで

                   鳶は螺旋に雲居にきえる>

 

 

<たいがいはググってみればそこにある

               重たいものを動かさなくても>

 

 

 

2017年3月19日 (日)

憲法の「象徴」について―その2―

「象徴」を(角川)国語辞典で引きますと‥‥目に見える形

 持たないものを、ほかの形のあるもので表すこと。また、表さ

れたもの。シンボル。表象。‥‥とあります。

(岩波)広辞苑では‥‥主として抽象的な事物を示すのに役立

つ形象または心象。想像力に訴える何らかの類似によって抽象

的な或る事物を表わす記号と見なされる感性的形象。ハトが平

和の、十字架がキリスト教の、白が純潔の象徴である類。シン

ボル。表象。‥‥とあります。

ウィキペディアでは‥‥言葉の定義として、日本語における「

象徴」という言葉は、使用法から細分した場合に、次の様なも

のがある。

1. あるものを、その物とは別のものを代わりに示すこと

 によって、間接的に表現し、知らしめるという方法。

2. 抽象的な概念、形のない事物に、より具体的な事物や

 形によって、表現すること。

3. ある事物の側面、一点を、他の事物や形によって、強

 調表現すること。

‥‥とあります。

ちなみに英和辞典も見てみると、(旺文社)新英和中辞典では‥

symbol:①象徴、シンボル、表象(emblem) ②(化学、数学

などの)符号、記号、しるし ③(宗教上の)信条 ④〔精神

分析〕抑圧された無意識の欲求を示す行動‥‥とあります。

 主なものを示せば以上の通りで、当然ですが書かれている内

容はほぼ同じで、その意味も分かります。そして言えることは、

「象徴」とはきわめて抽象的な言葉で、いきおい説明もどこか

抽象的な仕方でしかしようがないということです。それは外形

的には把握できない、測りようのない概念です。ここからここ

までが「象徴」で、これ以上は「象徴」ではないなどとは確定

できないものです。それは「代表」「喩え」などに近い意味合

いを持つ、「働き」「作用」「影響」といった類の抽象言語と

言ったらいいでしょうか。

 

 そして私が最も疑問に思うのは、私たち普通の日本人が天皇

をそのような抽象的な意味合いのものとして理解しているので

あろうかということです。そんなつかみどころのない、空気と

か温度とか色といったような存在のものとして天皇を認識して

いるのでしょうか。‥‥それはまったく違うのではないでしょ

うか。天皇陛下は、たいへん高貴であって、同時に落ち着いた

雰囲気の、この上なく温かみのある、親しみを絶やさない人柄

の人であるというのが私たちの共通して懐いている天皇の印象

なのではないでしょうか。それは私たちが普通、抽象的なもの

ごとから受ける感覚とは似ても似つかないものなのではないで

しょうか。そして何と言っても天皇は私たちと同じ人間である

ということです。これを要するに、喩えにしても天皇を「象徴」

と規定する(位置付ける)ことには、はっきり意識してないに

しても違和感があるのではないでしょうか。‥‥とは言え憲法

の第一条に書かれている表現ですからこれに反論する気はもと

より起らないのでしょうが、「天皇=象徴」ということに心の

底からピンと来る(腑に落ちる)人など実はいないのではない

でしょうか。その意味で私は、誤解を恐れずに言ってしまえば、

憲法で天皇を規定する言葉として「象徴」という抽象的な表現

を使う点には“不適切さ”があるのではないかと思います。

 国内の最重要文書である憲法の条文になぜこのような不適切

な言葉が使われてしまったのかはこのあと述べることにして、

もう一つついでに言えば、旧憲法(大日本帝国憲法)の第一条

は「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス(現代口語訳:大

日本帝国は、万世一系の天皇が、これを統治する)」でしたが、

この「万世一系」という言葉の不適切さ(天皇譲位について

その4-で述べました)は新憲法の「象徴」と双璧をなすと言

っても過言ではないと思います(万世一系は岩倉具視が発案し

た語と言われます)。近代日本の憲法が二世代続いて第一条が

“不適切言語”で始まっているというのは、日本にとってなん

という皮肉、どういう種類の不幸と言ったらいいのか私には分

かりません。

 

 

 スナップは昨日鎌倉アルプス、瑞泉寺を歩いたものです。

 

6 祇園山からの景色

1 富士山が霞んで見えます

2 瑞泉寺の境内

3 梅はすっかり終ってました

4 春の花が咲いていました

5 岩盤を彫った「岩庭」です

 

 あと短歌を4首。

 

<山行きの同じ姿をしていれば

          やはり目がいく中央本線>

 

 

<パラレルでシンメトリーなその動き 

        水切りはらうバスのワイパー>

 

 

<鯉にまき鳩と鴨きて鴎まで

      そんなにうまいかドッグフードが>

(バイト先近くの大岡川の鯉に餌をやると意外な連中が

 寄ってきます)

 

 

<風の動く片瀬の海で少年が

        波の頭でジョジョ立ちをする>

 (ジョジョ立ちって分かりますかね‥‥)

 

 

2017年3月14日 (火)

憲法の「象徴」について―その1―

日本国憲法第一条はこう書かれています。

「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、

この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」

 この「象徴」とは英語のsymbolの訳語です(もともと憲法の

原案文はGHQアメリカ人スタッフの作成による英語です)。

私は最近この象徴という言葉について、色々と考えることが多

くなりました。きっかけはもちろん、昨年8月の今上天皇の生

前譲位に関わる「お言葉」を聞いてからです。あの「お言葉」

の中で、最初のほうの「‥即位以来,私は国事行為を行うと共

に,日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り

方を,日々模索しつつ過ごして来ました‥」のくだりをはじめ

して都合8回「象徴」という言葉が使われています。言うま

もなく「象徴」は最重要語なのです。もちろん、最も重要で

るのは「お言葉」の趣旨ですが、その趣旨を最も“象徴的に”

示すのが「象徴」という言葉だということです(語呂合わせを

したいのではありません)。「お言葉」の趣旨については、あ

えて念を押して申し上げれば <象徴としての天皇の務めを今

後も十分果たしていくためには年齢的、体力的にすでに限界に

近く、この地位を次の立場の者に譲ることができるような制度

を考えてもらいたい。これは自分の代だけのことではなく、今

後も続く制度として作ってもらいたい> ということであった

でしょう。つまり、天皇という地位の「生前での譲位」の制度

を国民に考えてもらいたい、と言われたのです。

 そうした上で、深く考えざるを得ないことが「象徴」とはど

ういうことなのかです。少し面倒ですが「象徴」という言葉

定義から見ていきたいと思います。

 

 

スナップは散歩する見晴らし公園の夕景です。

 

1 (遠く富士山が見え、クリックで少し拡大します)

 

2  3

 

あと短歌を5首。

 

<春めいて夢うつつから覚めるのは

         天井睨んで伸びをする時>

 

<上睦月、下文月の姿する

        女子高生がわれを追い越す>

       (バイトに行く朝のいつもの風景です)

 

<なんとなく寄って来そうな気がしたが

        バス待つ列でなぜわれ選ぶ>

 (アフリカの紛争地域の孤児への募金勧誘でした)

 

<ゴニョゴニョとバス運転手声出しぬ

       日本語らしきもはた意味不明>

 (いったい何のための車内放送なんでしょう)

 

 

<ゴミ置場ウの目タカの目カラスの目

      家(うち)の秘密を春日に曝す>                               (アルバイト先で目にする光景です)

 

 

 

2017年2月23日 (木)

逗子・葉山歩き

 23日に予定していた山登りが延期になり、急遽19日にしばら

く行ってなかった逗子~葉山の山を、10か月振り位に一人で歩

いてきました。いずれ近い時期には山登りをするのでその足慣

らしをしておく必要があると思ったからです。正午過ぎJR逗

子駅からバスに乗らずに海岸沿いを葉山マリーナ、森戸海岸ま

で歩き、仙元山の登り口のキリスト教会を目指したのですが、

慣れな道に予想外に時間がかかってしまい、教会に着くまで

80分も要しました。そして仙元山から乳頭山~田浦梅林を目

す予定を変更して森戸川沿いから長柄へと下ったのです。

 やがて県道らしき道に出たので後は逗子に戻るつもりで足の

向くまま歩いたのですが、これがすんなりといかず、けっきょ

く逗葉高校~桜山中央公園を抜ける道を歩き続け再び逗子の街

中を歩いて逗子駅に辿り着いたのは4時半でした。山歩き半分、

街歩き半分の4時間余りの彷徨(さまよいあるき)で結構くたび

れましたが、まあ充分な足慣らしになったと自得して鎌倉駅前

の飲み屋へと向かったのです。

 

2 仙元山からの眺め

Photo 雲がなければ富士山が見えます

3 森戸林道

4

7 林道から住宅街へ

5 途中の公園の梅

6

 

 

 

あと短歌を5首。

 

<逗子の山思い付きにて歩きしが道に迷いて右へ左へ>

 

<名も知らぬ幅広き道さまよふも空の陽を見て北北西に>

 

<なんとまあ愚直なまでに簡単な疲れるように歩く方法>

 

<あかねさす朝日のようにさわやかに夢から覚める春のあけぼの>

 

<真向いのボックス席でマスカラをつける娘の口の字の口>

2017年1月26日 (木)

天皇譲位について―その4―

<万世一系論の無意味>

 わが国の天皇制議論でしばしば言われるものに「万世一系」

いうものがあります。非常に誤解を多く含む言葉で、事実、

天皇の男系皇統論の一つの根拠になっているものです。私はこ

れほど無知蒙昧な話はなかろうと思いますので、簡単に述べて

みます。

 中学~高校の理科(生物)の教科書には必ず人間の性(男・

女)決定は、X、Yとい二つの性染色体の組合せで決まるとい

う説明がされています(これは本質的には一つの理論です)。

つまり、XYの組合せなら男、XXの組合せなら女であるとい

うものです。そして男はXを母親から、Yを父親からもらい、

女は一つのXは父親から、もう一つのXは母親からもらうので

す。系統図を画いても簡単に分かりますが、男のYは本人→父

→祖父→曾祖父→‥‥と、男の系で辿ることができます。いっ

ぽう男のXは母の二つのXのどちらか一つですが、その母のX

は一つはその父(祖父)からもらい、もう一つはその母(祖母)

の二つのXの一つをもらいます。つまり女は常に一つのXは父

からもらい、もう一つのXは母からもらうのです。‥‥そこで

言えることは、(男の)Yは常に男の系にあるYであり、Xは、

男は母からのXであり女は父と母の両方からもらうXであると

いうことです。

そこで「万世一系」のことです。万世はすべての世代という

 味です。確かに男のY染色体は「万世一系」のものです。対す

るX染色体は男は女(母)から、女は男(父)と女(母)から

もらういわば「万世多系」のものです。つまり世の中の男はす

べて「(Yという)万世一系」であり、(男の)天皇も例外で

はないということです。遺伝的には別に天皇だけが「万世一系」

ではないのです。‥‥こうなると「万世一系」自体が特別に価

値を誇るものでも何でもないということになります。‥‥これ

に対する反論として言われそうなことは「いや皇統のYは、そ

こら辺の“馬の骨”とは違う、歴史的に記載された家系で示さ

れる皇統のYである」ではないでしょうか。‥‥しかし冷静に

(科学的に)見て皇統の“馬の骨”と、そこら辺の(例えば私

という)“馬の骨”と明確に区別(差別)すべき差異があるで

しょうか。実体としては同じ人間(男)の骨であるというのが

現代の考え方ではないでしょうか。差があるとしてもそれは骨

董的な意味だけでしょう(例えば「ナポレオンの骨」というよ

うな)。皇統論の遺伝学的な説明はすべてこの弊に陥ります。

 私は、わが国の皇統の歴史において「男系」にこだわった最

大の理由は、古代から日本の社会が「男系社会」であったこと

によるのだろうと思います。昔に遡ってザックり俯瞰すれば、

狩猟・採集生活→農耕生活→と生活様式が変遷するともに、社

会の形態も部族社会→地域豪族社会→統一国家へと変様してき

たというのが歴史的事実です。そしてどの時代でも多かれ少な

かれ戦争(他の部族、他の豪族、他の地域国家、他の勢力との)

に明け暮れていたので、武力として常に男が前面に出たことに

より「男系社会」と言えるものが形成されてきたと言っても間

違いではないでしょう。特に統治・政治の面でその性格が強い

ものだったと言えます。例えば「参政権」一つとっても明らか

です。

 そして現代の「民主主義社会」が到来して、これがガラリと

変わりました。まだ歴史的には日が浅いため改正途上の分野も

少なくありませんが、基本的に「男女平等」の路線です。これ

は全世界にわたる現代の世の中の「趨勢」で、これが間違った

趨勢であるなどとは到底思えません。起こるべくして起こった

ものです。どう考えてもこの逆戻りなどあり得ないでしょう。

‥そしてこの趨勢にまったく立ち遅れているのが「皇室典範」

で、これは結局のところ書き直すことになるでしょう。今でな

くても遅かれ早かれそうせざるを得ないのは目に見えています。

  以上の認識を欠いている人は、どのような立場であれ時代認

 識を誤っていると言う以外にないのです。

 

 

 

2017年1月16日 (月)

認知症

 つい先日思わぬところで従妹(母方の親戚の三女)に会いま

した。昨年中も親戚筋の法事などで会ったので久しぶりに見る

顔でもなかったのですが、この日は所用で小田原方面に行った

帰りに寄った土産物ショップの中の野菜・果物売場でです。

「新鮮なキャベツとミカン、イチゴもありま~す、いかがです

か~」と言う声に何気なく顔を見ると紛うかたなく従妹だった

のです。「あれ?タマコじゃないか、ここで仕事してんの?」

と声をかけると、従妹(タマコ)は「あらユウジくん、今日は

何しに小田原へ?」とどこかで聞いたような台詞です。‥‥と

いうよりも「ユウジくん‥」には私は違和感があったのです。

何故ならタマコは私より3学年下のはずだったからで、それで

もお互い還暦過ぎなわけだからそれでもいいか、と思って「

のイチゴ美味そうだから買うよ」と言うと、「まあ、ユウジだ

からタダであげるよ、これもね」とミカンや手作りの蒟蒻(こ

んにゃく)までレジ袋に入れて横にいた私のカミさんに渡して

くれたのです。目見当で2千円位かと思い、「いや、商売だか

らタダでもらうわけにいかないよ、これ払うよと、2千円を渡

そうとすると「ユウジは何言ってんのよ‥じゃあまあ半分だけ

ね」と、千円札1枚を納めてくれたのです。そうこうするうち

にタマコの携帯が鳴り「あ、姉ちゃん、いま牛島(私の実家)

のユウジくんが店に来てね‥‥」と話す相手は姉のイクヨさん

のようです(イクヨさんは私の1学年上です)。そのうちに「

え?そうだったかな、なら聞いてみるよ」と切ると、「ねえ、

ユウジって何年生まれだっけ、私は27年だけど」と私に聞くの

です。私は、ハハ~ン、姉に年の勘違いを指摘されたな、と溜

飲を下げる思いで「25年の3月だよ」と言うと「でしょ?やっ

ぱり私のが上だよね」と来たのです(!)。私は少し語気を強

めて「えー?オレが3級上だよ!」と言うと、「あれ?そうだ

っけ。ああそうかそうか~、勘違いしちゃった!よくあるんだ

よねー」と、やっと自分の間違いを認めたのです。‥‥しかし

最後に別れる時に「じゃあ帰り運転気を付けてね、ユウジ」と

言われると私は苦笑いするしかなかったのです。

 帰りの車中で私はカミさんに「あれは認知症の初期症状だ

な、認知症は時間感覚がおかしくなることから始まるらしい

からな」と言うと、カミさんは「でも、話してたようにただ

の勘違いじゃないの、あとは何でもなかったみたいだし‥」

と言うので、私は横顔をチラッと見て「いや、最後までおか

しかった。‥そのうちお前が俺を呼び捨てにしやしないか心

配になってきたな」と言うと、カミさんはムスッと黙り込ん

でしまったのでした。

 年齢の長幼(目上・目下)は、子供が幼いうちに親が躾け

るもので、その人間が社会で平穏に生活していく上で欠かせ

ない根本的な素養(判断力)であると言っていいでしょう。

学校時代ではこれが身についていなければ喧嘩やイジメの原

因になりますし、社会人であれば “一人前”扱いされなくな

るでしょう(ただし、相撲などの特殊な世界では先にその業

界に入ったものが目上(兄弟子)で、年齢とは別になります

が)。‥‥今まで問題もなかったのにここに狂いが生じるこ

とは、やはり認知的な面での何らかの“アラーム”であるの

は疑いないでしょう。

 

スナップは、帰りのバイパス道路で見た満月の出(スマホで

は小さくしか写りません)と、翌日仕事の後で半年ぶりに立

ち寄った上大岡のお寺(真光寺)でのものです。

あと短歌を5首。

https://youtu.be/6KuOS1DEVXU

 

2_2 白い車のすぐ上が月です(クリックで拡大)

1 20mはありそうな泰山木です

2_3 弘法大師像です

3 延命地蔵です

5_2 寺から富士山も望めます

6_2 「自分にしかない味をだす

それが自分を生かす道」とあります

 

 

<陽が射せば山の空気は膨らんで

         鳶は螺旋に雲居に消える>

 

<酒に酔い袂を分かって四年過ぎ

         この頃気になる友の境涯>

 

<世の中の経済の仕組そもカジノ 

       御手にゆだねて神のまにまに>

 

<なんとまあ立つ鳥後を濁したり

         転勤二桁出張三桁>

 

他の場所で見た泰山木(たいさんぼく)を以前詠んだものも。

 

<陽炎に英連邦の墓標ゆれ 

         泰山木の見下ろす下で>

 

 

2017年1月 4日 (水)

箱根駅伝考

 箱根駅伝を久し振りに直接見物・応援しました。私の家から

道1号線の名所「権太坂」まで歩いても10分足らずの近さな

のですが、正月の2日、3日は妻や私の実家に帰っていることが

多かったのと、家にいてもテレビで悠々と中継が見れたのでわ

ざわざ寒い中を出かけようとはしなかったからです。下の子供

が小学生の頃に歩道で肩車しながら見物した時以来ですから15

 6年振りかも知れません。今回は3日の復路のレースを一人で見

に出かけたのです。直前までやはりテレビ中継を見ていたので

すが、ふと直接見てみようと思ったのです。天気が温暖だった

せいもあるでしょう。先頭ランナーが到着する10分ほど前に国

道の東側の見通しが良さそうな場所に陣取ってスマホを手にし

て待っていました。走る選手に近い西側歩道はすでに沢山の応

援の人垣ができていたのです。やがて襷をかけサングラスをし

た青学大の選手が白バイに先導されてやってきました。タッ

ッタッタっと(音は大声援で聞こえませんが)軽やかに走り

ぎていきました。それから5分以上もして早稲田そして東洋大が

きました。そして後続の選手が次々に権太坂を駆け下っていっ

たのです。こうして駅伝選手の走り姿を見ているうちに突如十

数年前に駅伝を見たときの記憶(感慨)が私に蘇ってきたので

す。‥‥‥それは、どの大学の選手も一様に顔が上気し全身

を火照らせて走る姿、それは全身全霊で疾走することによる疲

労のなせる姿に違いないのですが、彼らが一生の夢の晴れ舞台

に酔っているように走る姿に私の目には映ったということです。

誰にとっても“箱根駅伝を走った”ということは間違いなく一

生の財産になるはずです。優勝のメンバーであったらなおのこ

と、そうでなくても選手として走ったという事実だけで、彼の

一族郎党の末代までの語り草になるのです。私の田舎の村でも

 60年以上も昔のことですが、××屋(田舎は各家を屋号で呼ぶ

ことが多い)の次男坊は〇〇大で箱根駅伝を走った、大したも

んだ‥‥という話が“伝説化”していました(弱小チームで、

成績までは語られなかったのですが)。

 それと忘れられないのが、20年位前に駅伝選手の途中棄権が

頻発し、その原因が、選手が体調不良をひた隠しにしてでも出

場したがるということだったのです。逆に言えばランナーはそ

れ位“箱根駅伝を走りたがる”ということなのです。どのチー

ムでも部員達の大部分が高校時代から好素質を見込まれたラン

ナーで、走る意欲には甲乙つけがたいとなると、監督の重要な

役割は直前までの練習の中での部員(選手候補)の体調の見極

めにある(時には非情采配をする)と言ってもいいのでしょう。

今回完全優勝した青学大ですら復路(七区)で“あわやブレー

キか”というヒヤリとする場面があったのですから。

 とにかく、箱根駅伝の選手達の見せる「苦悶の表情」は(実

際は文字通り苦悶なのでしょうが)、駅伝選手の経験などない

私には「歓喜の表情」あるいは「苦悶に酔い痴れる表情」に見

えたということなのです(選手が聞いたら怒るでしょうが)。

それを思い出しながら「ハハ~ン、やっぱりなー」と呟きなが

ら家に帰ってきたのです。

 

権太坂での駅伝のスナップと駅伝を詠んだ歌です。道の反対側

から撮ったので選手の表情まで分からず申し訳ありません‥‥

 

青学大

1  2

早稲田、東洋大

3  4

5

神奈川大

6

法大、中央学院大

8  

  

<箱根路をひたすら駆ける若者ら

     みな袈裟切りの一太刀負いて>

 

<箱根路を友から友へ掛け継ぎし

       汗と涙の母校のたすき>

 

<権太坂たすきのよぎる晴れ舞台

     権太は失せて神がいませり>

 

<晴れ舞台選手の貌(かお)は上気して

     一生(ひとよ)の夢の箱根駅伝>

 

 

 

権太坂の近くにある植物園のメタセコイアを年末に

撮ったスナップと、一昨年詠んだものです。

 

1_2  3_2

 

<降りそそぐメタセコイアの紅き針

        その一刹那燃ゆる冬見ゆ>

 

 

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