2017年8月 6日 (日)

蓼科山登山

台風5号が日本の南の海上にいた5日に信州八ヶ岳の一

角の蓼科山(たてしなやま)に登ってきました。この

台風5号は発生したのが721日なのでこの時で既に半

月が経過しているという驚くほど長命な台風で、登山

は間際まで迷いましたが、関東・東海地方への接近の

可能性が薄らいだので登ることにしたのです。これは

次に計画している富士登山の予備登山ということで、

 2500ⅿ以上の高山慣れが主眼でした。娘夫婦と、わが

息子も加わって4人の山行きです。

 早朝5時に車で出発し、圏央道から八王子を経由して

 中央高速を使ったのですが、蓼科山の麓の女神湖に着

いた時は9時過ぎていました。そして蓼科牧場(スキ

場)のゴンドラには乗らず、さらに車で上の御泉水

然園の駐車場まで上がりそこで靴を履きかえて940

 分に山登りをスタートしました。天気は思ったよりは

良く、雲が出ているものの時々青空が見え、気温は22°

  23°位とちょうどいい具合です。最初は傾斜のゆる

い樅ノ木とクマザサの中の道を歩き、やがて石ころの

多い坂道へ、そして険しい岩道へと登って行きました。

1時間半ほどで蓼科山荘、さらに40分で山頂に着きまし

た(1150分)。夏休み期間ということもあり、家族

連れや山仲間グループの登山客で山頂は賑わっていま

した。時々日射しがあるのですが雲も出ていて、天気

が良ければ南アルプスや富士山のすばらしい眺めが見

れたはずですが、今回はまったくダメでした。蓼科山

の標高は2530ⅿで、空気の希薄感も少しあり、これを

味わっておくのが主な目的だったのですが、娘夫婦は

やや不慣れな感じがあったようです。30歳の息子が一

番元気で、まだ体力を余している様子でした(独り者

の身軽さと冷やかされていましたが)。

山頂の気温は16°~17°位で特に寒くもなく気持ちの

いいそよ風が流れていました。午後の降水確率は30%

 40%と安心はできませんので、昼飯を食べたあと12

 40分には下山をし始めました。岩道に少し苦労しまし

たが登りに比べれば楽で、膝も痛くなる気配もなく14

 30分には事にスタート地点の駐車場に戻ることが

できました

 ところが車で再び帰路を走り始めた途端に雨が降って

きたのです。強い降りではないものの、降ったり止ん

だりの雨で、やはり遠くにある台風5号の影響が出てき

ていたのです。富士登山は9月初めに予定しているので、

それまでにもう一回今回のような登山をしておこうと

思っています。

1 自然園から20分ほどのスタート地点です

2  3 クマザサの道

4

45 石ころと岩の多い道

5 麓の方が霞んで見えます

7 蓼科山頂

15 16

 

8 山頂のヒュッテです

9 山頂で見たアゲハチョウ

10 岩道を下ります

 

 

 

 

 

あと、短歌を5首。

 

<青空ゆ遠き野分の気配すれば

           蓼科山に雲のわき立つ>

 

 

<今の世のノアの箱舟過ぎ行けり 

         ゴミトラック、ゴミ収集車>

 

 

<老い人はバスに乗りませば直ぐ座り

        ドッコイショッと云ふが安心>

 

 

<支持率は浮きつ沈みつ気ままなり

          理念の見えない衆愚政治>

 

 

<中学の同窓会の案内きて

         昔が見たくなりにけるかも>

 

 

 

2017年6月17日 (土)

金時山登山

大山の次は金時山へ行こうと話していた娘夫婦が、なんと10

土曜日に先駆けして登ってしまったので、私は思い付きで天気の

良さそうだった15日に一人で登ってきました。車で東名高速・御

殿場インターまで行き、国道138号を箱根方面へ20分ほど登ると

金時(公時)神社があり、ここの駐車場からの登山スタートとな

りました。事前にネットで調べるとここからの登頂コースが最短

で、しかも平日なら駐車料金無料のスペースがあることを知った

からです。朝の高速道路はスムーズで朝7時半に家を出て金時神

社には840分に着き、靴をはき替えて50分にスタートしました。

車で上がってくる途中で富士山も大きくクッキリと見え、山頂か

らの雄大な富士の眺めが今度こそ期待できそうです。上り道はい

かにも登山道らしく、土にゴロ石が混じり、そこそこの傾斜です

が、丹沢の大山のように踏み幅の広い階段などはなく普通の山登

りペース(私はやや早め)でスッスッと歩が進みます。最初のう

ちは杉木立の林が続き、後半は低い灌木をぬって行くコースで、

所々で家族連れや、お年寄りグループを追い越しました。金時山

は箱根の人気スポットの山なので、平日でも登山客の賑わいは丹

沢方面の山に劣らないのです。晴れていても梅雨時のためか思っ

たより涼しく、結局水分補給の休憩を取ることもなく頂上まで登

ることができました。スタートからちょうど1時間で(マップの

案内では75分)、正直のところ少し拍子抜けがしました。

そして‥‥山頂に日は照っているものの北西方面の空には黒雲が

垂れこめていて肝心な富士山が見えないではありませんか!!!

山頂の茶屋の人は「いやー、さっきまで富士山は見えていたんだ

けどね、やっぱり梅雨空なんだわ」と残念そうに話してくれるの

です((ノ∀`)アチャー)。まだ10時前でしたが私はなんだか急に腹が

すいてしまい持参のおにぎり弁当をパクついたのです。山頂にあ

る金時茶屋には普段なら“金時娘”がいるはずなのですが、今日

は麓に下山しているらしく、親類らしい爺さんが小屋番をしてい

ました(金時娘も85才位のはずです(^^;))。山頂で時間潰しをし

ていれば、雲が晴れて展望が良くなるかも知れないと少し期待を

しながら居合わせた登山客と話をしたりしていたのですが、その

うちに霧も白く立ちこめてくるに及んで、待つのは諦めて下山の

支度をはじめました。結局、1050分にスタートして駐車場に着

いたのは11時半でした。そしてこの辺りまで下りるとまるで真夏

のような青空が広がっていたのです(山で遮られて富士山は見え

ません)。

 そして再び東名高速を横浜までとばして午後1時半に家に帰着する

や一気にビールをあおると、ほどなく満足感が湧いてきました。

‥‥夕方娘からラインが来て「お父さん、無事下山した?天気良

くて良かったね~(*^-^*)」とありましたので、「ああ、お蔭さん

で登山はほとんど疲れなかったし、黒雲と霧もタップリ見てきた

わい」と返事したのです。

 

あと短歌を5首。

 

300pxmtkintoki_161 金時山(ネットからの画)

 

1 2

3 4

5 後半の灌木の繁み

6 山頂です

7

8 頂上から仙石原、芦ノ湖が望めます

9

10 この方角に富士山が見えるはずが‥‥

11 金時茶屋

12 下り道もアッと言う間でした

 

 

 

朝、目覚ましよりも先に聞いたのは‥‥

<ホトトギスが一声啼けり朝の四時一度聞いたら忘れぬ声の>

 

 

<物心つきし時より眺めたる金時山にはじめて登る>

 

 

<箱根路の果つる奥処にひっそりと古木と佇む公時神社>

 

 

<金時は想ひしよりも優しくて荒ぶる山の面影ぞなく>

 

 

<富士山のあるべき方に目をやれば黒雲さえぎり霧もわき立つ>

 

 

 

別の日に、家の近所の公園の道でアゲハチョウが落葉の上で跳ねるように、伏せたり仰向けになったりしていました。

 

1_2

2_2

 

<道端でひっくり返る揚羽蝶これはあそびか寿命のきたるか>

 

 

2017年6月 1日 (木)

大山登山

昨年秋に娘夫婦が隣の駅に新居を購入して東京から引っ越して

きていたんですが、私が誘って528日の日曜日に大山(おお

やま、1252ⅿ)に登ってきました。この山は丹沢山系の東の玄

関口にあり、古く奈良・平安時代から「大山詣」と称せられ雨

乞いや修験場として関東一円の人々の信仰の対象となってきた

山です。この日は五月空のやや雲があるものの日射しもあって

そう暑くはない格好の登山日和でした。

登山口手前の駐車場に車を置きここをほぼ午前8時にスタートし

ました。ここが標高300ⅿですから高低差950ⅿの山登りです。

私にとっては大山は5度目の馴染みの山ですが、娘夫婦は初めて

の登山なので、なるべくなだらかなコースをゆっくりと登るこ

とにしました。土産物店が左右に並ぶこま参道を抜け、遠回り

でも階段の緩い女坂を上がって行き、9時前に阿夫利神社下社に

着きました(ケーブルは乗らず)。下社で登山の無事を拝んだ

あとは、二重滝~見晴台へ回る山の東側のルートを選びました。

こちらの方が石段が少なくゆったりしているからです。鶯の声

の近づいたり遠ざかったりするのを聞いているうちに9時半に見

晴台に到着、小休止です。二人とも疲れた様子はありません。

しかしここから山頂まではやや険しくなり、石段や木の階段が

多くなり二人とも(まず婿が)目に見えてへばってきたので、

無理をせず休憩を頻繁に入れながら11時に山頂にたどり着きま

した。スタートしてからちょうど3時間でした。 

山頂の阿夫利神社本社の周辺は私が今まで見たこともない位の

登山者で賑わっていました。6月に入ると梅雨や猛暑を心配し

なければならないので、5月最後の日曜日に大勢の人が殺到し

たのでしょう。

ただやはり山頂は靄っていて、相模平野は見えるものの富士山

や近隣の山の連峰は見えませんでした。娘夫婦は(特に婿は)

食べ物が喉を通らない程へばったわけでもなく食べっぷりが良

いのに安心しました。

帰路も順調に下って行ったのですが、嬉しかったことがあり、

それは途中で不如帰(ほととぎす)の“トッキョキョカキョク

(特許許可局)”と鳴く声を78回聞いたことです。今や平地

ではこの声を聞くことなどまずないと思います。

しかし、帰路の後半のところで私が勘違いして男坂の方を下っ

てしまうと、石段が急で踏み幅も広く、心配した通り膝が笑い

だし、私も含め三人とも最後は膝がズキズキしだしたのですが

何とか 2時間で駐車場にたどり着いたのです。

夕方4時過ぎに二人を車で家に送り届けたあと、夜7時から私の

家族も加わって戸塚駅近くの北海道料理の飲み屋さんで慰労飲

み会となりました。娘夫婦は既に元気回復し、早くも次の登山

計画の話を始めるのです。‥‥そして閉店まで飲み食いしたら

しいのですが、私は途中からまったく記憶が飛んでしまい気が

付いたのは翌朝のベッドの上でした。(ノ∀`)アチャー(^^

あと短歌を5首。

 

1 雲の下は相模平野

2

3 緩やかな上り坂が続きます

4 婿さんもバテずに歩いてます

5 板敷の道が多い

7 二重滝 ここでホトトギスが鳴いてました

 

 

 

<大山の嶺より見しはひさかたの

           空の下なる霞む故郷>

 

 

<五月空に大山詣トライする

           初登山とふ婿の太っ腹>

 

 

<大山を遠回りして登りしが

                  良いこともあり不如帰鳴く>

 

 

<空耳と初め思ひし不如帰

       ついに間近でトッキョキョカキョク>

 

 

<酒に酔い歌の文句が出ればこそ

          眠気が勝り気がつけば朝>

 

1_2 2_2

 

登山とは関係ありませんが、わが家のベランダのパンジーに

ヒョウモンチョウが来て卵を産み付けていました。

 

 

<パンジーの葉叢にかくれる豹紋蝶

          茎に白珠置いて飛び立つ>

 

 

2017年4月18日 (火)

塔ノ岳登山

 15日に天気予報が一週間前より改善したので、神奈川県の丹

沢山系の塔ノ岳(1491ⅿ)へ行ってきました。この6年間で4

目の登山ですが、それが山の自然的な変様なのか、あるいは登

山者数の多さも影響しているのか私には不明ですが、登山道の

所々が少しずつ変ってきているように感じました。中でもその

典型的な場所が「金冷シ(きんひやし)」で、塔ノ岳と鍋割山へ

の分岐点手前の急峻な峠なのですが、昨年5月に登った時にす

でに岩を超えていく通り道が崩れかかっていたのが、今年はも

う完全に通れなくなっていて、横に人工的な階段の道が設えて

ありました。しかもその峠の下の斜面には崩落の浸食が進んで

いて、の分だとこの名物峠が消失してしまうのもそう遠くは

なさそです。そうなった時はこの登山ルートがどう変わって

しまうかも心配になります。

 今回は初めて家から麓まで自家用車で来たのですが、東名高

速の事故渋滞に巻き込まれて大幅に遅れ大倉バス停に着いたの

11時で、車を駐車場に置いてバス停前を1115分にスタート

するという状況でした(今までなら、電車・バス乗り継ぎで9

 スタートでした)。その後は1230駒止茶屋→1340花立山

荘→1400金冷シ→1430尊仏山荘(山頂)到着で、そこで遅

めの昼食となりました。ところが天気が改善したと言っても山

頂付近は曇っているうえに、少し強い風が吹いていて体感温度

は6~7度という寒さ、おむすびを食べているうちに体が冷えて

きて慌ててヤッケを着て、急いで食べ終わるとすぐに帰路を下

ったのです。そして下の谷合いをよく見れば、3月に降った雪

解けずに残っていますから寒いわけだと納得したのです。下り

1450スタート→1650バス停着でした。上りは水補給休憩

2回とりましたが、下りは休憩なしで下りました。大倉バス停

の海抜が300m、山頂が1491mなので1200m弱の登攀はこうして

無事終わりました。

 

この日は曇りがちで、遠景は靄がかかり富士山や周辺の山の連

なりといった絶景を見ることができませんでした。 

あと短歌を5首。

 

9 靄がかかっています

8

6 金冷シ。右側が元の道です

7 崩れている斜面

5 山頂(皆寒そうです)

4 3

2 下りも雲は多し

 

 

 

 

<痩せ尾根を辿って着きし「金冷シ」

        山ガールらは踏みしめていく>

(これは一昨年塔ノ岳を登った時の歌ですが、今回は‥‥)

<風雪に耐へ呼ばれ来し「金冷シ」

         けふ目の当りにぞ見納めむ>

 

 

(あとは今回とは別に詠んだ歌です)

<空いずこ光にまぎる雲雀いて

 青き高みゆ声のみなぎる>

 

 

<一斉にピヨピヨッピヨで動き出す

            親鳥呼ばう横断歩道>

 

 

<コギトスム株式会社その間

        山にこもっていたわけでなく>

 

 

 

2017年4月13日 (木)

天皇譲位について―番外編―

 天皇譲位の問題についてはいずれ続きをじっくりやるつもり

でいます。重要な国の制度のことですから、予想もしない形で、

急転直下ことが決着してしまうことはなさそうです。巷間漏れ

伝わって来る今後の手順も、今上天皇一代限りの特別立法とし

て生前譲位(退位)を認めるものとなりそうです。皇室典範の

根幹を変えることは避けながら、天皇の地位は皇太子に譲位さ

れ平成から次の元号へ変わる道筋が示されるということです。

一見穏便なプロセスのようですが、これははっきり言えば、一

時しのぎ、問題先送りという対処です。なぜなら次の天皇の時

にも生前譲位の問題が浮上してくる可能性は小さくないからで

す。もしそうなれば、実におかしな話ですが、またその天皇一

代限りの特別立法によって(事実上“先例”に倣って)生前譲

位がおこなわれることになるのでしょう。そうしてそう時を置

かずにまた一代限りの特別立法によって‥‥。これは“不敬”

言うものでも何でもありません。今時点で誰もが予測がつく

なだけです。‥‥そういうわけで、天皇譲位問題はこのまま

世紀中続くことになりそうです。

 

スナップは花冷えの中でも桜は満開となって散り始めているの

を撮ったものです。 あと短歌を5首。

 

1 2

3

4 川の浅瀬では鯉の産卵が始まっています

5 近くの住宅街の桜並木

6

8

7 近くの公園の桜

 

<いい日には日向を歩きたくもなり芝から銀座へ五キロを歩く>

 

 

<春の雪ムッシュかまやつ旅立ちて草葉の露に映る白銀 >

 

 

<窓外の空に雲雀のあがる時かすかに動く義母のまなざし>

 

 

<どうしてか何台もまた何台も回送という空虚なバスが>

 

 

<この先の小島小児科駐車場8台までは駐車できます>

        (最後のは「偶然短歌」風に詠みました)

 

 

2017年3月30日 (木)

憲法の「象徴」について―その4―

 これまで憲法条文としての「象徴」の不適切さを述べました

が、では今すぐこの条文の文言を変えろと言ってこれが簡単に

できるとはもちろん思いません。憲法九条の改正議論が出ても

う久しいですが、これを党是と掲げる与党の自民党ですら70

間も事実上手つかずの有り様ですから、もっと重要なことであ

る第一条の改正など今あるどの政党も手を出さないどころか口

にすらしないだろうと思われます。それと何と言っても国民が

この「象徴」の変更を考えることができるかということがあり

ます。心の奥底では腑に落ちないにしろ、表向きにはすっかり

馴染んでしまった「天皇=象徴」という決め事を、戒厳令など

経ずして、いったん白紙に戻すことなどできるだろうかという

ことです。

 そもそも現在でも、前回述べたような現憲法の制定経緯は正

式に(国家的に)認知されてはおらず、義務教育の中でも習得

項目とはなっていません(こうなったのはGHQの方針と政

の“沽券にかかわる”という意識の合算の産物なのでしょう)。

従って、大多数の国民は現憲法は終戦後に100%日本政府の手に

よって制定されたものと信じているのではないでしょうか。手

続き上では確かに戦後の日本の国会で発議され、公布され施行

されました。しかしそれは形だけで実質的に(ここでは紆余曲

折の詳細は省きますが)一連の事を主導したのはGHQで、憲

法草案を作成したのもGHQです。そして、日本語に翻訳され

部分的修正を加えながら現在の「日本国憲法」となったのです。

今は「ネット検索」により誰でもこれを知ることができます(

例えば「憲法制定経緯」と検索すれば数多くの詳細解説が出て

きますので、これを納得がいくまで目を通せばいいでしょう)。

幸か不幸かもはやこのようなことは隠し続けることができなく

なったのです。政府当局がこの辺の事実を見て見ぬふりをし続

ける限り、義務教育はおろか高等教育でも20世紀以降の日本の

歴史がまともに説明できないという非常に奇妙な状態は終わら

ないと思います‥‥もう20世紀はとうに終わってしまっている

にもかかわらず。

 ともかく、あと何年先になるのかは分かりませんが、この憲

法の制定経緯というものが普通の知識として社会に定着したあ

かつきにおいて、「直すべきものは直し、残すべきものは残す」

という態度を基本にして憲法の見直しをしなければならないだ

ろうと思います。そして、私のこのようなブログは、この見直

し作業が始まる道に至るための“狼煙(のろし)”のようなも

のであればいいと思っています。

 そして最後に、誤解されてはならないので敢えて言っておき

たいことがあります。それは、上に述べたいきさつをもって、

現在の憲法は“アメリカに押し付けられた”とするのは至当で

はないであろうということです。なぜなら戦後この新憲法が公

布された時に、国民の大多数が懐いた感情は“これを歓迎する”

というものであっても、“本心では拒絶したい”というもので

はなかったからです。この新しい憲法に対しては“押し付けら

れた”のではなく、むしろ“作ってもらった”という感懐こそ

が当たっていたと言って間違いないでしょう。はからずもこれ

を裏付ける証拠のような話が、昨年8月にアメリカの大統領選

挙の最中にありました。民主党のクリントン候補の応援演説を

するバイデン副大統領(当時)が共和党のトランプ候補に対し

て「我々(アメリカ)が日本の憲法を書いたということも知ら

ないのか、学校で習わなかったのか」となじったのです。横に

は笑ってこれを聞くクリントン候補の姿がありました。これは、

このことがアメリカのエスタブリッシュメント(政治的リーダ

ー層)の共通認識であることを物語っています。つまり、日本

人の“憲法を作ってもらった”という意識とアメリカ人の“日

本の憲法を作った”という意識はぴったり符合しているという

ことです。これが憲法制定時の事実であったにもかかわらず、

この後2030年してから“あれは押し付けられたものだ”と一

部の保守勢力が言い出すことは、潔さとまったく正反対の“た

ちのわるい言いぐさ”と言うしかないものでしょう。このよう

なところから本当の改憲論など期待する方が無理というもので

す。自民党の「70年間手つかず」の事情の背景には、このよう

な性格の一面があるからに他なりません。

 

 

 スナップは近所を散歩中に撮った花です(ハクモクレン、

コブシ、ヤマブキなど)

2

1ピンクのコブシは少し珍しい

4 3

 

 

 

2017年3月23日 (木)

憲法の「象徴」について―その3―

  憲法条文としての「象徴」の不適切さを引き続き述べてみます。

「象徴」という言葉にもちろん罪がある訳はありません。これを

憲法条文に使うことが、その使われ方が不適切だと思うのです。

前回ブログでくどく説明した通り「象徴」は極めて抽象的な言葉

です。もともと日本語にはなかった概念でしたが、中江兆民(18

471901)がその訳書「維氏美学」(1883年刊)でフランス語sy

mboleを訳出したのが始まりとされています(広辞苑)。19世紀

 半のフランスで起こり、そして象徴主義、象徴派の名のもとに

主に詩の世界で使われ、ある意味で一世を風靡した言葉といって

もいいでしょう。しかしそれはあくまでも詩、絵画、音楽という

芸術文化の世界で一世風靡した言葉(概念)だったのであり、日

常言語としてはほとんど使われなかったものだろうと思います。

一方政治的にはその時代の日本は、世界の列強国の動きに対抗す

るように世を挙げて他国との(植民地争奪)戦争に突入していき、

あげくに太平洋戦争で悲惨な敗戦の憂き目を見たのは既知の通り

ですが、その敗戦後にGHQ統治下で作られた新しい憲法に「象

徴」という言葉が登場するなどと、当時の日本人は夢にも思わな

かったに違いありません。憔悴しきって生き残った一般国民はも

とより、政治を主導した軍人・政治家から著名な文化人に至るま

で、それまで現人神(あらひとがみ)であった天皇を憲法で「象

徴」と位置付けるなど当時の日本人には絶対に発想できなかった

ことであろうと確信をもって言えます。

  ではどのようないきさつで憲法に「象徴」表現が導入されたの

 しょうか。それは、もう言うまでもなく、マッカーサー主導の

とでGHQアメリカ人スタッフによって新憲法草案が策定され

ことによります。その時に、天皇を「象徴(symbol)」と規定

る考えは早い段階で固められたものと推定されます。つまり日

に天皇制を残すことを決めると同時に、それは「象徴」として

天皇とすることを決めたということです。それは、それまでの

本人の脳裏から現人神(あらひとがみ)という天皇の神格性を

 100%払拭しようとするためであったことは今なら容易に想像が

きます。天皇の「人間宣言」もそれとセットのものだったはず

す。アメリカが、戦後の日本をアメリカの考える新しい「民主

義国家」に生まれ変わらせる第一歩目として行なった統治指導

新憲法の策定であり、そこにおいて天皇を「日本国の象徴であ

日本国民統合の象徴」と規定したのです。ところがそれは、前

ブログでも述べましたように、何ともピンと来ない(腑に落ち

い)ものだったと言わざるを得ないのです。これはアメリカの

わば“お節介(あるいはお為ごかし)”なのであり、わざわざ

皇に「象徴」という言葉を冠することなど不要だったと言って

いでしょう。なぜなら、現在の日本人にとって天皇=象徴が腑

落ちないのと同じく、戦前の日本人にとっても天皇=神という

のに本音(本心)のところでは腑に落ちなかったであろうこと

容易に想像できるからです。

富国強兵策の精神的バックボーンして、天皇の神格性を時の

政府が強圧的に国民に刷り込むことを行なったのは、明治憲法が

施行され、教育勅語も発布された1890 年から太平洋戦争直前の

 1940年頃までのほぼ50年間のことだったのであり(わが国の長い

「天皇制」の歴史において、こんな異常なことをしたのはこの時

代だけです)、その間の日清戦争、日露戦争、日中戦争そして太

平洋戦争へと進む、事実上の戦時体制下という世相が続く中にお

いては、一般国民がこれに真正面から異を唱えることなどまず不

可能なことだったでしょう。大多数の人は無難にそれ(現人神)

を“信じようとした(あるいは信じるふりをした)”ということ

ではなかったでしょうか(中には心底信じる人もいたかも知れま

せんが)。これがもし、「天皇制」の歴史とともに日本人一般の

心性の中に現人神信仰というものが真に根付いていたのであれば、

新憲法が「天皇=象徴」と規定し直したところでその実質が変わ

ることなどなかっただろうと思います。しかし戦後に全国民の間

で何らの混乱もなく(腑に落ちないにしても)この変更が受け入

れられたという事実は、もともと現人神信仰などなかったことを

示していると言っていいのでしょう。

 

 

 

あと短歌を4首。

 

 

<憲法の「象徴」の語に顕れし

                   紛ふ方なきアメリカ気質>

 

 

<をちこちに園児の黄服の見え隠れ

                   平戸の森に声がこだます>

 

 

<日が射せば麓の空気はふくらんで

                   鳶は螺旋に雲居にきえる>

 

 

<たいがいはググってみればそこにある

               重たいものを動かさなくても>

 

 

 

2017年3月19日 (日)

憲法の「象徴」について―その2―

「象徴」を(角川)国語辞典で引きますと‥‥目に見える形

 持たないものを、ほかの形のあるもので表すこと。また、表さ

れたもの。シンボル。表象。‥‥とあります。

(岩波)広辞苑では‥‥主として抽象的な事物を示すのに役立

つ形象または心象。想像力に訴える何らかの類似によって抽象

的な或る事物を表わす記号と見なされる感性的形象。ハトが平

和の、十字架がキリスト教の、白が純潔の象徴である類。シン

ボル。表象。‥‥とあります。

ウィキペディアでは‥‥言葉の定義として、日本語における「

象徴」という言葉は、使用法から細分した場合に、次の様なも

のがある。

1. あるものを、その物とは別のものを代わりに示すこと

 によって、間接的に表現し、知らしめるという方法。

2. 抽象的な概念、形のない事物に、より具体的な事物や

 形によって、表現すること。

3. ある事物の側面、一点を、他の事物や形によって、強

 調表現すること。

‥‥とあります。

ちなみに英和辞典も見てみると、(旺文社)新英和中辞典では‥

symbol:①象徴、シンボル、表象(emblem) ②(化学、数学

などの)符号、記号、しるし ③(宗教上の)信条 ④〔精神

分析〕抑圧された無意識の欲求を示す行動‥‥とあります。

 主なものを示せば以上の通りで、当然ですが書かれている内

容はほぼ同じで、その意味も分かります。そして言えることは、

「象徴」とはきわめて抽象的な言葉で、いきおい説明もどこか

抽象的な仕方でしかしようがないということです。それは外形

的には把握できない、測りようのない概念です。ここからここ

までが「象徴」で、これ以上は「象徴」ではないなどとは確定

できないものです。それは「代表」「喩え」などに近い意味合

いを持つ、「働き」「作用」「影響」といった類の抽象言語と

言ったらいいでしょうか。

 

 そして私が最も疑問に思うのは、私たち普通の日本人が天皇

をそのような抽象的な意味合いのものとして理解しているので

あろうかということです。そんなつかみどころのない、空気と

か温度とか色といったような存在のものとして天皇を認識して

いるのでしょうか。‥‥それはまったく違うのではないでしょ

うか。天皇陛下は、たいへん高貴であって、同時に落ち着いた

雰囲気の、この上なく温かみのある、親しみを絶やさない人柄

の人であるというのが私たちの共通して懐いている天皇の印象

なのではないでしょうか。それは私たちが普通、抽象的なもの

ごとから受ける感覚とは似ても似つかないものなのではないで

しょうか。そして何と言っても天皇は私たちと同じ人間である

ということです。これを要するに、喩えにしても天皇を「象徴」

と規定する(位置付ける)ことには、はっきり意識してないに

しても違和感があるのではないでしょうか。‥‥とは言え憲法

の第一条に書かれている表現ですからこれに反論する気はもと

より起らないのでしょうが、「天皇=象徴」ということに心の

底からピンと来る(腑に落ちる)人など実はいないのではない

でしょうか。その意味で私は、誤解を恐れずに言ってしまえば、

憲法で天皇を規定する言葉として「象徴」という抽象的な表現

を使う点には“不適切さ”があるのではないかと思います。

 国内の最重要文書である憲法の条文になぜこのような不適切

な言葉が使われてしまったのかはこのあと述べることにして、

もう一つついでに言えば、旧憲法(大日本帝国憲法)の第一条

は「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス(現代口語訳:大

日本帝国は、万世一系の天皇が、これを統治する)」でしたが、

この「万世一系」という言葉の不適切さ(天皇譲位について

その4-で述べました)は新憲法の「象徴」と双璧をなすと言

っても過言ではないと思います(万世一系は岩倉具視が発案し

た語と言われます)。近代日本の憲法が二世代続いて第一条が

“不適切言語”で始まっているというのは、日本にとってなん

という皮肉、どういう種類の不幸と言ったらいいのか私には分

かりません。

 

 

 スナップは昨日鎌倉アルプス、瑞泉寺を歩いたものです。

 

6 祇園山からの景色

1 富士山が霞んで見えます

2 瑞泉寺の境内

3 梅はすっかり終ってました

4 春の花が咲いていました

5 岩盤を彫った「岩庭」です

 

 あと短歌を4首。

 

<山行きの同じ姿をしていれば

          やはり目がいく中央本線>

 

 

<パラレルでシンメトリーなその動き 

        水切りはらうバスのワイパー>

 

 

<鯉にまき鳩と鴨きて鴎まで

      そんなにうまいかドッグフードが>

(バイト先近くの大岡川の鯉に餌をやると意外な連中が

 寄ってきます)

 

 

<風の動く片瀬の海で少年が

        波の頭でジョジョ立ちをする>

 (ジョジョ立ちって分かりますかね‥‥)

 

 

2017年3月14日 (火)

憲法の「象徴」について―その1―

日本国憲法第一条はこう書かれています。

「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、

この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」

 この「象徴」とは英語のsymbolの訳語です(もともと憲法の

原案文はGHQアメリカ人スタッフの作成による英語です)。

私は最近この象徴という言葉について、色々と考えることが多

くなりました。きっかけはもちろん、昨年8月の今上天皇の生

前譲位に関わる「お言葉」を聞いてからです。あの「お言葉」

の中で、最初のほうの「‥即位以来,私は国事行為を行うと共

に,日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り

方を,日々模索しつつ過ごして来ました‥」のくだりをはじめ

して都合8回「象徴」という言葉が使われています。言うま

もなく「象徴」は最重要語なのです。もちろん、最も重要で

るのは「お言葉」の趣旨ですが、その趣旨を最も“象徴的に”

示すのが「象徴」という言葉だということです(語呂合わせを

したいのではありません)。「お言葉」の趣旨については、あ

えて念を押して申し上げれば <象徴としての天皇の務めを今

後も十分果たしていくためには年齢的、体力的にすでに限界に

近く、この地位を次の立場の者に譲ることができるような制度

を考えてもらいたい。これは自分の代だけのことではなく、今

後も続く制度として作ってもらいたい> ということであった

でしょう。つまり、天皇という地位の「生前での譲位」の制度

を国民に考えてもらいたい、と言われたのです。

 そうした上で、深く考えざるを得ないことが「象徴」とはど

ういうことなのかです。少し面倒ですが「象徴」という言葉

定義から見ていきたいと思います。

 

 

スナップは散歩する見晴らし公園の夕景です。

 

1 (遠く富士山が見え、クリックで少し拡大します)

 

2  3

 

あと短歌を5首。

 

<春めいて夢うつつから覚めるのは

         天井睨んで伸びをする時>

 

<上睦月、下文月の姿する

        女子高生がわれを追い越す>

       (バイトに行く朝のいつもの風景です)

 

<なんとなく寄って来そうな気がしたが

        バス待つ列でなぜわれ選ぶ>

 (アフリカの紛争地域の孤児への募金勧誘でした)

 

<ゴニョゴニョとバス運転手声出しぬ

       日本語らしきもはた意味不明>

 (いったい何のための車内放送なんでしょう)

 

 

<ゴミ置場ウの目タカの目カラスの目

      家(うち)の秘密を春日に曝す>                               (アルバイト先で目にする光景です)

 

 

 

2017年2月23日 (木)

逗子・葉山歩き

 23日に予定していた山登りが延期になり、急遽19日にしばら

く行ってなかった逗子~葉山の山を、10か月振り位に一人で歩

いてきました。いずれ近い時期には山登りをするのでその足慣

らしをしておく必要があると思ったからです。正午過ぎJR逗

子駅からバスに乗らずに海岸沿いを葉山マリーナ、森戸海岸ま

で歩き、仙元山の登り口のキリスト教会を目指したのですが、

慣れな道に予想外に時間がかかってしまい、教会に着くまで

80分も要しました。そして仙元山から乳頭山~田浦梅林を目

す予定を変更して森戸川沿いから長柄へと下ったのです。

 やがて県道らしき道に出たので後は逗子に戻るつもりで足の

向くまま歩いたのですが、これがすんなりといかず、けっきょ

く逗葉高校~桜山中央公園を抜ける道を歩き続け再び逗子の街

中を歩いて逗子駅に辿り着いたのは4時半でした。山歩き半分、

街歩き半分の4時間余りの彷徨(さまよいあるき)で結構くたび

れましたが、まあ充分な足慣らしになったと自得して鎌倉駅前

の飲み屋へと向かったのです。

 

2 仙元山からの眺め

Photo 雲がなければ富士山が見えます

3 森戸林道

4

7 林道から住宅街へ

5 途中の公園の梅

6

 

 

 

あと短歌を5首。

 

<逗子の山思い付きにて歩きしが道に迷いて右へ左へ>

 

<名も知らぬ幅広き道さまよふも空の陽を見て北北西に>

 

<なんとまあ愚直なまでに簡単な疲れるように歩く方法>

 

<あかねさす朝日のようにさわやかに夢から覚める春のあけぼの>

 

<真向いのボックス席でマスカラをつける娘の口の字の口>

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