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2012年2月21日 (火)

「私」‥17

歳のせいでそうなり易くなった、「怒り」というものの心理状態とはどのようなものでしょうか。
それは‥‥けしからん!馬鹿な!何てことだ!そうではない!おかしい!やるのか!‥‥
という言葉で表わされる感情を持つことでしょう。最後の言葉でも分かるように、そのまま喧嘩
になることも少なくありません。そして言うまでもなく「私」の怒りが向けられる「相手」が必ずい
ます。「相手」がいないのに怒ることは通常はありえません。怒りの独り言を発している人をた
まに見かけますがそれは同情以前に滑稽です。もちろん一般世間に対して怒りを向ける、いわ
ゆる「義憤」というものもあります。しかし「義憤」はある面で冷静でなければできないでしょう。
自分(私)と世間との間合いをはかった上での行動で、自分の「怒り」は世間の共感を得るはず
だと考えてのものだからです。その意味で「義憤」はポーズのようなもので、やや質の違う「怒り」
と言えそうです。政治家の見せる「怒り」がこれでしょう。
世間の喝采をねらい「怒り」を意図的にやってみせる能力に長けている人の代表が政治家といっ
ていいでしょう。この人達(非難したいわけではありません)の最大の生き甲斐はこれだと言って
もいいでしょう。
しかし私達の普通の怒りの中にもこのような面が伴なう時があります。自分が怒りながら「怒って
いる自分」を意識する時のことです。その怒りが向けられる相手が複数の場合、例えば部下や生
徒や目下の者の場合です。これは政治家の振る舞いに近いもので、言ってみればパフォーマンス
です。また怒っているうちに途中から冷静になりパフォーマンスに変わっていることも少なくないよ
うに思われます。
純粋の「怒り」の感情は長続きしない、瞬間的なものなのかもしれません。要するに「カッ」とする
のです。矢も楯もたまらず「怒り」を発するのです。そして考えてみれば、この怒ることは異常なこ
とでも何でもなく、生活のなかでの精神的アクセントとでも位置付ければいいものなのでしょう。
では歳をとって怒り易くなったのは何故でしょうか。これは振り出しだったのですが‥‥

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