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2012年2月24日 (金)

「私」‥19

一見分かっていると思えることでも聞き方次第で分からなくなるは何故でしょうか。
例えば「今」とよく言いますが、この何気ない「今」にもかなり時間的な幅があります。
「私は今家に帰りました」の瞬間の「今」と、「私は今家を離れています」のしばらく前からの「今」とで
は「今」の意味には大きな差があります。「彼は今病気だ」の「今」と、「彼は今起きた」の「今」とも差
があります。そこで、「今とは何のことですか」と聞かれてすぐに答えられるでしょうか。少し頭をひね
るのではないでしょうか。‥‥「今さらそんなことを聞くなよ」と言いたいくらいではないでしょうか。
しかし、私達は普段はほとんど無意識に、言い間違いをすることもなく、「今」を使い分けています。
もちろん聞き間違いをすることもまずありません。
これは「私」の場合も同じことなのかもしれません。普段の生活では、私は、私の、私に、私も、‥‥
と「私」を連発しています。しかし改まって、特に相手から「あなたの言う私とは何ですか」と突っ込ま
れると返事に窮するのではないでしょうか。それは私が「私」そのものを説明する場面など普通はな
いからです。つまりそんな経験がないからです。従って、自分一人で「私」とは何か考えようとしても
答えが出てこないのは当然なのです。そもそも私が「私」とは何か考えるのは不自然なのだと言え
ます。物心がついてから自分が「私」を考えるなどということはやったことがなく、やる必要もなかった
ことです。もっと言えばそれは基本的に矛盾だと(無意識に)感じていたと言えそうです。
‥‥そして、くどいようですが、何故今、この歳になってこれを考えるようになったのか。これを矛盾と
感じなくなったのか‥‥。

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