« 「私」‥22 | トップページ | 「私」‥24 »

2012年2月29日 (水)

「私」‥23

「相手の立場になって考える」ということの道徳性について検討してみましょう。
まず「道徳」とはどういうことであるか決めておく必要があります。道徳の定義は簡単なようで
実は極めて難しいものです。「善いことを行なうことだ」と言うでしょうが、「善い(良い、好い)」
とはどういうことでしょうか。ウィキペディアから引用すると以下の通りです。

①人の行動・性質や事物の状態などが水準を超えているさま。(以下例示)
 ・質が高い、能力がすぐれている、美しい、すばらしい、健全である、有益である、‥‥
②人の行動・性質や事物の状態などが、当否の面で適切・適当な水準に達しているさま。(以
 下例示)
 ・正しい、好ましい、幸せである、やさしい、‥‥
③人の行動・性質や事物の状態などが許容範囲内であるさま。(以下例示)
 ・許せる、承認できる、さしつかえない、‥‥

まだ続きますが、これ以上は悪趣味でしょうから止めます。これでも一部なのですが、あまり
にも多義的でよく分からないのが正直なところではないでしょうか。
20世紀前半に活躍したイギリスの哲学者ムーア(経済学者ケインズの師)は「善い」を定義
不能としたくらいなのです。そして「道徳」とはこの「善い」と「悪い」を見定めた上で「善いことを
行なうこと」なのでしょうが、これでは「道徳」にたどりつくことすらできません。
‥‥極端な言い方をしてしまえば、「道徳」は紀元前のギリシャ時代から今日に至るもはっき
りとは定まっていないことだと言っていいでしょう。
‥‥ありゃりゃ?「相手の立場になって考える」まで今日はたどりつきませんでしたね。

« 「私」‥22 | トップページ | 「私」‥24 »

心と体」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1627554/44303470

この記事へのトラックバック一覧です: 「私」‥23:

« 「私」‥22 | トップページ | 「私」‥24 »