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2012年3月12日 (月)

「私」‥26

今、私が誰に遠慮することもなく、誰にも邪魔されることなく「私」(自分)のことを考えるこ
とができるのも400年前にデカルトが最初にこのための心得、方法というものを宣言したか
らだと言っても大袈裟ではありません。
内部世界(精神世界)を思考(内省)によって解明する視点と、肉体を含む外部世界を物理
学的法則を発見して解明する視点というダブル・スタンダードで世界の出来事を解釈しよう
とする考えを「心身二元論」と呼びます。デカルトがこれを始めたとされています。
しかしこれは後人の行き過ぎた後講釈と言ってもよく、デカルトは専らこの二元論を主張し
たかったわけではないでしょう。そして「心身二元論」という言葉も使ってない(と思います)。
デカルトが最も強調しようとしたのは、世界の真理の究明に対する「自己」の思考の仕方、
思考方法の理想形を示すことだったと思います(「方法序説」とはその意味です)。
デカルトの「自己認識は自己だけで完結する」という宣言はその後継者達によって外向き
にも内向きにも展開され、前者は近代科学、後者は近代哲学のそれぞれ大きな発展をも
たらしました。
ところが現代に至るまでにこの外面と内面が別々に独自の進歩を果たした結果として、
例えば「物理学」では「心」はまったく解明できないという事態に今更のように気が付くと、
いったいこんなことになったのは何故だ、誰のせいだ、そうだデカルトだ、デカルトが元祖
のこの二元論がすべての根源だと言い出し始めたというわけです。従って、これを聞いて
一番驚くのはデカルトでしょう(生きていれば)。簡単に言えばまったく筋違いの話だとい
うことです。

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