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2012年3月13日 (火)

「私」‥27

最近またマインドコントロール(mind control)のことが某タレントに関連して話題になっています。
私は、このマインドコントロールということを問題意識なしによく使うもんだなといつも思います。
某タレントの奇行やカルト教団という問題ではなく、「マインドコントロール」と呼んだ時に、これ
は日常的なことからかけ離れた異常な経験に置かれたことだ(当然自分とは無縁のことだ)と
前提していることがです。そう疑り深いひねくれた性格でなくても、自分も何かにマインドコン
トロールされていないだろうかと少しでも疑問を持つことはないのだろうかと。‥‥
マインドコントロールとは、強制によらずさも自分の意思で選択したかのように、あらかじめ決
められた結論へと誘導する技術、またその行為のことです(ウィキペディア)。この意味からす
ると世の中はマインドコントロールに溢れている、というより自分の身の回りにごく普通にある
と言えそうです。赤ん坊時代からの親の躾け、学校の教育、新聞・テレビから伝えられるニュ
ース、ドラマ、バラエティー、CM‥‥これらすべてに当てはまります。私が保有する知識の大
部分は私の意志で選択したものではないと言えます。そして世の中の常識を具えるという、あ
らかじめ決められた結論へと誘導されて現在生きていると言えます。これをありがたいと思い
こそすれひどい目にあったとはまず考えないでしょう(まあほとんど無意識でしょう)。
しかし、これは紛れもないマインドコントロールです。それでもオレはびた一文もマインドコント
ロールされてないと言い切れる人がいますかね。‥‥
そんなことを言い出したら社会が成り立たないではないかと誰でも言うはずです。そうです、こ
れは社会が成り立つ“仕組み”といっていいものでしょう。
そして皆が不思議と思わない「世の中の常識」と異質なもの(別の考え方)が出てきた時にそ
のやり方を「マインドコントロール」と呼んで非難し、「世の中の常識」の方へ戻るよう説得しよう
とするということなのです。特に宗教がやり玉に上がりやすいのは、ことがらが精神的なやり方
にまともに当てはまるからでしょう。
昔から、ある社会・地域に新しい宗教が入り広まろうとした時、すんなりと受け入れられるのは
まれで、多くの場合厳しい排斥・圧迫を受けたのが歴史的事実でしょう。これは現代でもまった
く変わっていないのです(憲法で信教の自由が保障されていてもです)。
こうなると何もかもが怪しいものに見えてきそうです。
しかし「当たり前」を疑うのも当たり前のはずですがね。

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