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2012年3月27日 (火)

「言葉」‥5

森鴎外のエッセーに「当流比較言語学」というのがあり、そこでこんなことを言ってい
ます。意外に知らない人が多いのですが。
「或る国民には或る詞(ことば)が欠けている。何故欠けているかと思って、よくよく考
えて見ると、それは或る感情が欠けているからである。‥‥」と続けて、ドイツ語と日
本語を比べ、前者にあって後者にない典型的な言葉を三つ例示するのです。そのう
ちの一つはsittliche Entrüstung:道徳的憤怒、つまり「義憤」です。
日本では義憤を、自分には直接関係ないことでも道に外れたことであればそれに対
して怒りを発すること(いわば正義の味方を演じること)で、立派な態度であるとしてい
るのですが、ドイツでは義憤には嘲(あざけ)る意味が込められているというのです。
自分の身の程を棚上げにして義憤を平気で口にするのは気恥ずかしいことだというわ
けです。
そして日本には義憤を嘲る意味の言葉がない、それは日本人に義憤が気恥ずかしい
という感情が欠けているからだと言っているのです。
今で言えば「みのもんたの朝ズバッ!」などが典型的なものでしょうが、この種の「け
しからん!」を言い立てるものは昔も今も日本では溢れるほど存在しています。一流
新聞の社説、テレビのニュースキャスターや評論家、それに何と言っても政治家(与
野党を問わず)でしょう。夜の酒場ではサラリーマンの大言壮語があちこちで飛び交
っています。これらはみな気恥ずかしさなど微塵もない「義憤」でしょう。
私はこの鴎外の文章から啓発され唸ってしまったことは、義憤感情の所在の差もさる
ことながら、別々の国民の間における感情(観念)の所在の差に由来する言葉の所在
の差ということです。鴎外はいずれもドイツ語にあって日本語にない言葉の例を出して
いるのですが、これをその概念がドイツにはあって日本にはない、これは思想の貧弱
な兆候なのであろうとしてるのです。
これは鴎外が100年前に述べていた西欧と日本の比較文化論だったのですが、その
後の日本人の思想はさらに貧弱になったのか、あるいは内面的な深みを見出す方向
へ変わってきているのか。‥‥
私はどちらであるとも言えそうな気がします。そして現在の日本人は実際にどう感じて
いる方が多いか興味のあるところです。

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