« 「言葉」‥11 | トップページ | 「言葉」‥13 »

2012年4月12日 (木)

「言葉」‥12

ちょうど今頃の時節を詠んだ与謝蕪村の俳句に「菜の花や月は東に日は西に」という有名な句
があります。うす黄色に菜の花畑が広がる春の夕方、ともに橙色で東の空に登る月と西に沈む
日の鮮やかなコントラストと尽きぬ余韻とであとは何も要らないのであり、これを詠んだ才人に誰
もが崇敬の念を抱くものです。
しかし、この同じ情景を外人(西洋人)が詠んだとしたら例えば「菜の花を月と太陽照らしてる」と
いうような俳句(?)になるのではないでしょうか(このブログを見る外人さんはいないでしょうが、
もしいたら大変失礼!)。昔読んだ誰かのエッセーにも同じようなことが書いてあって、その時の
俳句は「鎌倉に鳥がたくさん飛んでいた」だったと思います。生まれてこの方ずっと日本語を使っ
ている日本人でも風情に富んだ良質な句を作るのは簡単ではないのに、日本語が片言でしか
ない外人にとって俳句は日本語を5-7-5に並べただけのものになるのは止むを得ないことな
のでしょう。
気が遠くなるほどの長い時を経て我が国においても言葉が生まれ、その後漢字と融合して日本
独自の文字言葉が作られ、鍛えられ、さらにまた洗練された言葉へと変わりながらそこに文化
が形成されていった過程のなかで和歌が、そして俳句が日本語の言語芸術の一つの形として
結晶したものだったと言えるでしょう。
この質の高さは世界に誇れるものであるのはもちろんでしょうが、ただ日本語を使わない人には
理解不能という以外にないでしょう。最近は俳句の英訳も出ていると聞いたことがありますが、
音声言葉の性質を多く残してできあがっている俳句の英訳とはどういう意味があるのか私には
理解できません。
そしてこの逆もまた間違いなくあるのです。例えばアルファベット系のヨーロッパ語(英語、ドイツ
語、フランス語、スペイン語等)の詩や散文にはふんだんに韻律が使われているはずで、これは
日本語に翻訳不能です。詩や散文だけでなく西欧の哲学も言葉のエッセンスで表現されている
文体の部分は完璧に日本語化できるとはやはり考えづらいと言わざるを得ません。その上鴎外
が述べていたように外国語にあって日本語にない言葉(概念)が少なからずあるのですから。
最近、外国語が日本語化するのに翻訳でなく音声言葉がそのままカタカナ表記される例が多く
なっているのはズレた訳語を無理に当てはめるよりもむしろ好ましいかもしれず、同時に他に本
質的な解決方法がないことを物語っているのだと思います。

« 「言葉」‥11 | トップページ | 「言葉」‥13 »

心と体」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1627554/44854288

この記事へのトラックバック一覧です: 「言葉」‥12:

« 「言葉」‥11 | トップページ | 「言葉」‥13 »