« 「言葉」‥12 | トップページ | 「言葉」‥14 »

2012年4月14日 (土)

「言葉」‥13

言葉は思考ですから言葉自身によって新たな言葉が次々と考え出されました。それらのなかで
人間社会に大きな影響をもたらした言葉に「価値」があります。他にも重要な言葉はたくさんあり
ますが、今日は「価値」という言葉について考えてみましょう。
価値とは、人間が決めているあるものごとの貴さの量であり、値打ちのことです。貴さの範疇は
決まっているわけではなく、精神的(抽象的)なものから物質的なものまで様々です。即ち、道徳
的なもの、歴史的なもの、文化的なもの、宗教的なもの、学術的なもの、科学的なもの、芸術的
なもの、経済的(金銭的)なもの、本能的(食料、異性等)なもの‥‥と切りがないのですが、基
本的には人間の欲望と切り離しては存在しないものだといっていいでしょう(経済学の「需要供給
理論」の需要も欲望のことです)。
さらにその貴さは絶対量として計れるものではなくすべて相対的なものです。つまり客観的な価
値評価の基準があるわけではなく、類似したものや効用が同じものとの比較による主観に基づ
いてすべて決められています。また価値の対象が何であれ、時代や環境、境遇、つまりその価
値に関わる人間の置かれた立場で、無にも有にもなり、小さくも大きくもなり、決して一定の意味
や形に決まることはありません。
例えば、都会の暮らしでとは逆に、水の無い砂漠ではコップ一杯の水がダイヤモンドより大きな
価値を持ちます。もっと極端な喩えを言えば、人間がこれまでの長い歴史において積み上げてき
た文明の価値は計測不能と言ってもいいほど莫大なものと考えられるでしょうが、これを地球か
ら離れた立場で見ると想像すれば(人間の価値観から離れるという意味ですが)、地球に人間が
君臨するようになったことによって特別に付加されたもの(=価値)など何もないということが直観
できるのではないでしょうか。
つまり価値とは錯覚であると言って間違いなさそうです。株や不動産の世界ではしばしばバブル
が発生したり消滅したりしますが、それは数年間という比較的短期間に起こる現象なのでそうい
ったものの価値の錯覚性が事後的に暴かれるわけであって、実はあらゆる価値が錯覚なのだと
言ってもいいでしょう。ただ人間は社会の中で生きている限り、この価値の世界から逃れる方法
がないということも間違いない事実なのです。
そうだとすると言葉は何と罪作りなものなのでしょうか。有史以来この「価値」のためにどれだけ
多くの血が流され人命が失われたことか。‥‥
しかしこれを言葉に責任を求めることほど筋違いな話はないでしょう。また言葉を生み出した感覚
のせいにすればもっとひどい話で、ナンセンスな空言というほかなくなります(私の名前のような
ものです)。発言(失言)が責任を伴なうのは社会の決めごととは言え、言葉や感覚を磔(はりつ
け)にすることに何の「価値」もありません。

« 「言葉」‥12 | トップページ | 「言葉」‥14 »

心と体」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1627554/44882105

この記事へのトラックバック一覧です: 「言葉」‥13:

« 「言葉」‥12 | トップページ | 「言葉」‥14 »