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2012年4月17日 (火)

「言葉」‥14

前回の「価値」に劣らず、あるいはそれ以上に人間を悩ましている言葉に「とき(時間)」が
あります。人間は自分の回りのものごとの移ろいが確かにあると感じることができたため、
これに「とき」という名を当てました。回りのものごと、自分、家族、草、木、動物、雨、水、
雲、太陽、月‥‥はすべて動いている(変化する)ことが感じられ、早いものもあれば遅い
ものもあり、早くもなれば遅くもなり、しかしそこにはなんとなく決まったもの(規則)がある
ようにも感じたはずです。今で言う体内時計がそのことを教えたと言っていいでしょう。
言うまでもなくこれは本能で、言い換えれば生体反応です。つまり「とき」という名を知らな
くてもこの感じを具えていたのですが、感覚され意識されるものすべてに名をつけていった
なかで当然「とき」という名も生まれてきたのです。
この限りでは「とき」に悩むことなどなかったと言っていいでしょう。悩むのは言葉として完
全に定着してから、言葉(=思考)で言葉を探る二段階思考(抽象的思考)をするようにな
ってからなのです。
何を悩むかといえば端的に「自分が生きられる時間」ということになるでしょう。人間は「と
き(時間)」という名と引き換えに自分の死(寿命)という明確な意識につきまとわれる宿命
になったわけです。およそ地球上の生命体のなかで子供の時から「死」の知識を持つもの
は人間以外にないと言っていいでしょう。もちろん「死」を回避しようとするのは人間から細
菌までの全生物に共通の本能です。しかし後天的な知恵として「死」を考えるということを
するのは人間だけでしょう。少なくとも人間的思考レベルと同等の神経活動を行なう生物
は他にはいません。
そして悩んだあげく出てきたことがなぜ「とき」があるのか、「とき」とは何なのか、「とき」は
存在するのかという疑問です。この疑問を解き明かしたところで「自分が生きられる時間」
が変わるものではありません。それも知識として持った上でこの疑問を持ち出すのです。
そしてこの疑問は永遠に解けないという直感も同時に持っているといっていいでしょう。そ
して前回と同じ嘆息が出てくるのです。そうだとすると言葉は何と罪作りなものなのでしょ
うか‥と。旧約聖書に出てくる挿話、最初の人間アダムが禁断の木(知恵の木)の実を食
べた罪を子孫まで負うことになる話と似ているようにも思えますが(言葉=知恵なので)。
しかしながら、このような悩みが契機となって人間に文化をもたらした面もあながち否定で
きないとすれば逆にそれは言葉の力だということになります。
冷静に考えればやはり言葉は人間のかけがえのない財産であるのは疑いないでしょう。

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