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2012年4月18日 (水)

「言葉」‥15

「とき」の話の続きをやります。「ときのうつろい」の感じを時間感覚と呼んでいます。これが私
たちが「時間」を考えることができる唯一の根拠で、頼るところは他に何もありません。時間は
手にすることはもちろん、見ること聞くこと嗅ぐこと味わうことは不可能です。え?時計の針が
動くのが見えるよ、チクタクの音が聞こえるよ、それは時間の姿でしょう、と仰るかもしれませ
んが、時計の針の動きは時間の姿ではなく視野の中の動いている針のことですし、チクタクは
時間の音ではなく耳に入った小さな空気の振動のことです。手首の脈を指で感じ取るのも時
間の刻みではなく心臓の脈動のことです。
よく考えれば、ハハ~ンこれが時間だと分かる代物は(ものとして確認できるものは)どこにも
ないことが分かります。え?どこにもないのに「時間」とは言わないだろう、どこかにあるから言
うのだろう、と仰るでしょう。しかし天地神明に誓って私は言います、時間はどこにもありません。
勘のいい方は気がついたかもしれませんね。これは「クオリアの問題」と同じなのです。
私たちは確かに「ときのうつろい」を感じ取ることができ、その感じを「とき」と名づけたのです。
しかし、その「感じ」がどういうもので、どこからくるのか、即ち「感じ」の起源はさっぱり不明な
のです。感覚の質感(感覚)をいくら探求しても何も得られません。ただこの「感じ」の能力があ
るのは生き物だけです。逆に「時間感覚」を持っていることが生き物である証明だと言えます。
従って、この能力とは「生体反応」だと説明する以外になくこれ以上議論は進展せずここで話
は終わるのです。
ちなみにこの「時間論争」は西洋では紀元前のギリシャ時代から現代まで続く哲学上・科学上
の難問中の難問と言えるもので、時間が存在すると主張するのが「絶対時間論」でニュートン
が親玉です。また時間は存在せず、物体間を「光の速さ」で計った相対的な位置関係があるだ
けと主張するのが「相対時間論」でアインシュタインが親玉です。もちろんこの決着はいまだに
ついていません。‥‥あなたはどちらにつきますか?

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