« 「言葉」‥18 | トップページ | 「言葉」‥20 »

2012年5月 4日 (金)

「言葉」‥19

前から気がついていることですが、私がやっているのは言葉が何であるかを言葉で解明しようと
していることで、それはそもそも堂々巡りではないのかという疑問があることです。求めようとする
ことを求めようとすることで説明するのは論理的矛盾で、誤りではないかという点です。
しかしそれを認めてしまえば言葉が何であるのか永久に不明なままです。そして言葉=思考で
すから、何かを(言葉で表される何かを)考えることがそもそも矛盾であるということになり、さらに
おかしなことになってしまいます。
従って、人間は言葉を持つようになるとともに言葉を言葉で理解し説明することもするようになった
と言っていいのでしょう。あるいはそれができたからこそ、その想像を絶する便利さがあったからこ
そ言葉は人間社会で揺るぎないものに定着していったと言えるのでしょう。そこに矛盾を感じるこ
となどまったくなかったに違いありません。
言葉は「ものごとの言葉による喩え」ですが、「ものごと」を文字通り再現することはできないので、
この起っている「ものごと」を描写して他人に伝達する上でこれに勝る直接的な手段はありません。
人間を瞬時に動かしてしまう言葉の持つ偉大な力はその直接的伝達力にあると言えそうです。
結局のところ、私のやっていることもその延長線上のことに過ぎないというわけです。あるいは少
し前に述べましたように、言葉というものはその発生論的経緯(ものごとを音声で喩えた言葉とし
て使われ始めた)からして堂々巡り(トートロジー)の本質を具えているのかもしれません。それは
無意味どころか人間的創造の源の姿と言っていいでしょう。
ここで極端な思考テストをしてみましょう。人間が今まで使っていた言葉を一挙に失ったと想定し
てみるのです。その時には、私達が何ができなくなるかを考えるよりも、何ができるかを考えるほ
うが容易なのではないでしょうか。今できている身の回りのほとんどのことが不可能となり、数十
万年前と言われる人間の野生の状態に置かれることになると考えればいいでしょう。野生状態と
は、食って寝て捕食してまた食って寝て‥‥を生まれてから死ぬまで繰り返していくことが基本
でしょう。もちろん今使っているような言葉はなく、発する声は唸ったり吠えたりの、それはつまり
動物の鳴き声と同じものでしょう。‥‥現在に比べてこの何という彼我の差でしょうか。
ついでに衒学じみた話をすれば、原人類の学名をホモ・エレクトス(Homo erectus:直立する人)、
現人類をホモ・サピエンス(Homo sapiens:知恵のある人)と言いますが、造語ですがホモ・ロク
ウウトス(Homo loquutus:話す人)とすればより文明的な意味があると思いますが。

« 「言葉」‥18 | トップページ | 「言葉」‥20 »

心と体」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1627554/45136262

この記事へのトラックバック一覧です: 「言葉」‥19:

« 「言葉」‥18 | トップページ | 「言葉」‥20 »