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2012年5月 9日 (水)

「言葉」‥21

通常の意味での言葉は、人間を個人的にながめても系統的にながめても、いずれにしても生得
的なものではありません。生まれつき言葉を具えた人間など唯一人として存在しませんし、親の
言葉が直接その子供に遺伝することなどありません。親、家族、学校、社会から、要するに環境
全体から生涯にわたって言葉は習得されていくものです。
もちろん年齢とともに言葉を忘却していくのも事実ですが、日常的な暮らしのなかで習慣的に(会
話・読書・テレビ視聴等とともに)言葉の習得・補充が行なわれているため完全に忘れ果ててしま
うことは自然に防がれていると言っていいのでしょう。
私も50歳前後から失語症気味となり、例えば言いたい言葉がとっさに出なかったり、久し振りに
会った知人の名前が思い出せなかったりということが頻繁に起こるようになりました。そしてこの
ことを回りの同年代の人に聞けば多かれ少なかれ同じであることも分かりました。
それにしても、人間の個性とはその人間が発する言葉に象徴されていると言ってもいいでしょう
(厳密には、個性とは容貌・体格を含めたその人間の振舞い全体のことでしょうが)。そしてなぜ
個々人の表明する言葉に多様性があるのかを考えると不思議な気持ちになります。
上記の通り言葉の習得経緯は個々の経緯は別でもみな似たようなものです。特に現代のように
マスメディアが発達し、情報を取得する社会環境が画一的になってきているなかでは、成人の頭
に入っている言葉の数や種類には大差はないと言ってもよく、しかも全員が同じ文法(言葉の使
い方)を使っています。しかしそれでありながら、この世に自分と言葉の使い方が瓜二つの人間が
いることは決してありません。これを遺伝子に基づく個体差のためと言ってしまえばそういうことか
もしれませんが、ほとんど同じ環境・コンディションの下でなぜ言葉の使い方がバラバラになるの
かそれで説明が尽くされてはいないという思いは払拭できません。例えば同じ遺伝子を持つクロ
ーン家畜でも現に一匹々々は異なる行動をしています。これがロボットであれば同一型のロボット
は同一の個性を具え、識別番号が付いてなければ各ロボットの区別はつかないのではないでしょ
うか。やはりこの辺の不思議さは生命体の生命体たる所以(ゆえん)から来るのかもしれません。
あるいは、むしろこれは世の中の現象が時間的・空間的に一回限りのものであって、厳密に同じ
ことが繰り返されることが決してないことと根差すところは同じなのかもしれません。
そして私がこうしてブログを書くのも私が他人と違い、違った言葉を発すると思うから書くのであっ
て、もし書くこと語ることがすべて他人のものと同じにしかならないとすればブログを書く動機が生
まれるはずもありません。

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