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2012年6月 9日 (土)

「言葉」‥29

ブログ(あるいはインターネット)の効用について考えてみます。
昔は趣味を同じくする人同士が当人達が気が付かぬ間にすれ違っていたことを「ドブ板の上ですれ違って
いた」などと言っていました。両者が後々それぞれの分野で名を成したような時、どちらかの人が感慨を込
めて「私はあの頃☓☓さんと裏通りのドブ板の上ですれ違っていたのかもしれない」などとエッセーで書い
たりしたのです。特別な趣味や興味に駆られて、遺跡や、図書館や、博物館に足を運んで意図する調べ物
をした時期があって、それが☓☓さんも同じような探訪をやっていたらしいと後で分かってそのような感想
を吐露するということです。実際顔をはち合わせたにしてもお互い見ず知らずですから口を利いたはずもあ
りませんが、事後的に運命的な偶然というものに、一種畏敬の念を込めてそう言っていたのです。
現在はこの言い方はすっかり影を潜めました。まず第一にそのようなシチュエーションが現実的ではなくな
っているからでしょう。道端の下水は地中にかくれてしまってドブ板などまず見なくなりましたし、調べ物の
ために目的地に足を運ぶ前に、インターネットを主とする手軽な情報アクセスが身近になったからです。図
書館などは(私のような)暇人の時間つぶしや、中学・高校生の勉強仲間の溜まり場になっています。
そして今はブログという、趣味を同じくする人同士の交流サイトがあります。これにはより直接面談に近い
ツィッターも含めてもいいのでしょう(私の息子などはもっぱらこれです)。ここでは、ドブ板の上ですれ違っ
ていたかもしれないなどと感想が入る隙もなく、その気になりさえすれば自分と他人の趣味や興味の共通
事項に対する検索がいつでも可能です。もちろんそれも始めは手探り状態からなのでしょうが、勘違いや
見当外れがあってもそこに後ろめたさ、恥ずかしさなどはまずありません。自分も他人もイニシャル名です
から「責任」とは縁がなくまったくお“気軽”なものです(軽薄とも言えますが)。
考えてみたらこれは非常に強力な「言語発信機能」を持つと言えそうです。そしてこのブログサイトという場
所(空間)は、経済的な様々の物品が交換取引される「市場」との類比で「言語市場」とでも言えるものです。
つまり経済取引市場ではなく言語取引市場です。これは一定以上の金銭が条件とされるようなことがない
だけに、好奇心、検索意欲、自己顕示欲、要するに「生きている欲望」さえあれば言葉を発信して参加でき
るわけですからこの言語取引市場は世の中で最も巨大な市場となる(既になっている?)かもしれません。
事実、例えば最近において中東など世界各地で政治革命が起こっていますが、概ね共通している背景とし
て、インターネットの「言語市場」を足掛かりにして反体制勢力がアッと言う間に組成されたという側面があ
ったと言っていいようです。欲望や不満は「言葉」を介してのみ伝わるものですから、現代においてこのイン
ターネットの「言語市場」に勝る政治・社会世論を作り出す好都合なインフラはないということでしょう。
しかし、このインフラは国によっては動乱の契機をもたらしますが、逆に世論に多様性をもたらし結果的に
バランスのとれた平穏な社会状況を作るとも言えます。偏った情報の一方通行は原理的に構築し続ける
ことが不可能だからです。テレビやラジオは電波規制により国家が監視できますがインターネットは監視
など無縁でその本性は基本的に無政府状態のものと言う以外にないものです。
今やどの国においてもその社会を動かす「時代の精神(=時代の潮流)」はこのインフラの上に切り離し難
く乗っかっているのは間違いありません。そして国家がこの潮流を意のままにすることなど出来るものでは
ないと言っていいでしょう。
いまから50年前頃テレビが急速に家庭に普及し始めると、国民の総白痴化などと言われたものですが、
社会に娯楽的雰囲気があまねく行き渡ったのは事実ですが決して白痴化したわけではありません(社会
の変化に際して比喩的に警告が発せられることは常のことなのでしょう)。そして、このインフラがもたらす
新時代はどのような時代精神を生み出そうとしているのか、これは誰にも分からないことです。皆が個人
の世界に籠り、誰からも干渉されない形の生活を現出させつつ同時にこれが社会化(共通インフラ化)して
いるという、この傾向を自ら増幅していると言えるだけです。

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コメント

少々前あたりからネット上で問題になっている「ステルスマーケティング(通称ステマ)」というものをご存知ですか?
平戸皆空さんがテーマとする哲学論等には直接結びつくものではないかもしれませんが、
ブログの在り方、言葉の在り方というものについて考えさせられる問題ではないかと思います。
少し気をつけて読めば、それらの類の文章というのはステマであることが一目瞭然だったりもしますが、
大衆意見というものは強力なもので、「考え」を持たない人間は容易に流されてしまいます。
ブログ等が強力な「言語発信機能」を持つ、という一節、まさしくそのとおりであり、恐ろしいことなのだなと感じる昨今です。

潤さんへ
ステルスマーケティングとは「隠された(偽装)宣伝活動」のことでしょう。これも言葉のジャンルのものでしょうし、現代の経済的な環境下で発生する様々な問題の一つと位置付けられるでしょう。俗に言う「やらせ」、「さくら」もこれに該当するでしょうから、古くからある手法とも言えます。これは「言葉」の使用法の問題であると同時に、倫理的(道徳的)な問題なのでしょう。その行為の動機に不純な点があるかが問われるからです。従って本質的に人間性を問うことでもあるということです。その意味では言葉の問題は裾野の広いものだと言えます。
何度も申し上げました通り、「言葉」=「思考」ですから言葉に関わる人間の振舞いは即ち人間の全活動様式でもあるということでしょう。‥‥やはり、良くも悪くも「言葉を制するものは世界を制する」ということでしょうね。

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