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2012年6月13日 (水)

「言葉」‥30

言葉が思考のパターン(型)を形成する、あるいは言葉が思考の素材であるのはどういう仕組
みなのでしょうか。ものごとを言葉で喩える(表記する)ことがなぜ思考なのでしょうか。言葉は
一語発しただけで思考と言えるのでしょうか。
ここで再び赤子の発達過程を見なければなりません。人間は生まれるまでは言葉を具えては
いません。これが生まれた瞬間から言葉の習得がスタートします。オギャーという産声が言葉
の第一歩目です。まず泣き声を発することで自分の存在を主張し、空腹を訴えます。これは意
思と言うより本能による振舞いです。その振舞いは生きている証です。それがなければその赤
子は(常識的には)死んでいるということになります。そしてこの赤子の振舞いに対し母親は乳
を与えます。赤子は授乳により満足(満腹)すれば眠り、空腹を覚えれば目を覚まし再び泣き
出して授乳を要求します。つまり、空腹→泣く→授乳→眠る→空腹→泣く→授乳→眠る→‥
‥この繰り返しにより赤子は成育していきます。
言うまでもなくこの段階では泣き声が言葉です。泣く以外に空腹の意思表示の方法はなく、こ
れを本能によって行ないます。つまり言葉の原初的な契機は本能が司っていると言えます。
言葉の成り立ちは本能に基づいているということです。より正確にはこの時期の赤子の振舞い
全体が本能に基づいているということでしょう。
しかしこの本能的振舞いの反復の過程で、泣くことにより(声を出せば)授乳が得られる、とい
う知恵を赤子は具えると言って間違いないでしょう。即ちこれが赤子にとって第一段階の言葉
であり、意思表示であり、思考であると言えます。泣くこと(自分の声)が自分への授乳をもた
らすという関連を知る、これは紛れもない思考です。しかしそれは同時に乳をくれる人(母親)
の体温、声、匂い、肌合いによりその人の存在を知覚し、その人の同一性も微妙に感知しな
がらのものでしょう。従って、この赤子の思考はこの人に守られた環境と一体化したものとして
あり、赤子の中で独立した振舞いとしての(成長した人間の)思考があるとまでは言えず、まだ
ぼんやりとした段階の思考だということでしょう。
やがてもう少し日時が経ち視界もひらけてきますと、人が出す音声を聞きながらその音声が出
る口を絶えず見るようになり、その人が出す音声と同じ音声が出るよう繰り返し真似をすること
になります。そしてその時は既に言葉・思考の第二段階に入っていると言えます。それはもち
ろんまだ、ア~ア、マンマ、オッパイ、ダーダ、ワンワン‥‥の類の幼児語で明確な言葉には
なっていませんが、その音声が赤子にとって、ある「ものごと」を表わして(意味して)おり、その
限りでは泣き声とは異なる言葉となっていることは間違いありません。その言葉の数も急速に
増えていき、より正確な言葉(ものごとを指し示すもの)となっていくでしょう。
この段階の思考の型は単純な「これは(あれは)☓☓だ」が基本です。つまり「ものごと(これ、
あれ)☓☓」の認知を示すものです。即ち言葉☓☓=思考☓☓です。もっともより正確には赤
子は「これ」「あれ」という代名詞をまだ知らず、あるものごとを「これ」とか「あれ」で示す思考は
まだ具えていないはずです。従ってこの時は、「☓☓だ」という極めて単純な形でしょう。
言葉の数は増えていくので「☓☓だ」、「△△だ」、「○○だ」、「□□だ」、「◇◇だ」、「▲▲だ」
‥‥の羅列ということになるでしょう。そして同じものごとがあれば、「(あ!)□□だ」、「(ん?)
▲▲だ」と再認するでしょう(あ、んは内感語です)。しかしこれで既に立派な思考と言っていい
のです。この羅列から、「☓☓と△△だ」や「○○のあと▲▲だ」へと進み、さらに「□□だから
◇◇だ」や「▲▲なのに☓☓だ」へ発展するのは時間の問題だからです。そして「と」、「のあと」、
「だから」、「なのに」等の接続詞的な言葉(思考)は、その用法を人を見ながら、真似をしながら
習い覚えていくのはご承知の通りです。
そしてこの段階で既に、これができるのは人間だけなのです。

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