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2012年6月26日 (火)

「顔」‥4

私がサラリーマン時代に購読していた日経新聞にはしばしば企業の「フェース分析」が掲載
されていました(現在も掲載されていると思いますが)。それは企業の業績(売上高、利益水
準、成長性、好不調、安定性など)が人間の顔で表現され、その時点の企業の経営状態が
簡単に(感覚的に)理解できる便利なものでした。
「顔グラフ」とも言われるそれはマンガチックな絵で、例えば眉の上がり具合を増収率、目の
大きさを1株当り利益、顔の幅を経常利益額、顔の長さを売上高、鼻筋の濃さを自己資本比
率、髪の多少を増益率‥‥という具合に表わしながら企業の顔が描かれるのです。数値的
分析で企業業績を判断することが必要な場合もありますが、細かいこと抜きで一目で調子を
知りたい場合はこれが一番手っ取り早い方法だったのです。この手法を発案したのが個人か
研究機関かは分かりませんが20年近く前に紙面に登場してきたように記憶しています。当時
は思っても見ませんでしたが、今考えますと、「顔社会」あるいは「顔文化」とでも呼んでもよ
さそうな人間社会に浸透したいわば「顔判断」の習慣を実にうまく取り込み、反映させたもの
だと感心します。(顔グラフの例を写真添付しておきました)
これはまた、ある事実を下敷きにした考え方に基づいていることが分かります。それは人間の
顔の表情は共通語だというものです。つまり顔の特定の表情は特定の意味を表わす点で言
葉と同じ地位にあるものだということです。有り体に言えば、人間の喜ぶ顔、悲しい顔、怒った
顔、元気のない顔、活気のある顔、等は誰が見ても同じものだということです。この前提がな
ければ「フェース分析」の汎用性はなく便利なものとはならなかったはずです。
顔の表情を読むことはやさしいようで難しい、難しいようでやさしいものと考えられますが、そ
れ以前に誰にでも分かる共通部分が顔の表情には存在しているということです。考えてみれ
ば、顔の表情の習得と言葉の習得とは、人間は生まれて以後ほぼ同じ時期、同じプロセス
の中で行なわれると言えそうです。人の顔の喜怒哀楽の表情を学び覚えるのは、普通は言
葉を伴う状況でのことが多いはずです。幼児の身辺には常に、笑った顔と笑い声、怒った顔
と怒り声、悲しい顔と泣き声、そして何よりも何かを伝えようとする親の真剣な顔と真剣な声
があったでしょう。そのようにして目の前の顔と声の有様を何度も体験するなかで顔(表情)
の意味を知るようになっていったわけです。
私は従前から、人の表情に関してはどんな作家によって書かれた精妙な心理描写の文章よ
りも、たとえ一筆描きでもマンガ家の一コマの顔画の表現力には敵わないと感じていました。
それは顔の表情はそれ自体が言葉なので、それをさらに言葉と(文章化)するよりもむしろマ
ンガ家のデフォルメした顔画の方が、人が持つ「顔判断」知覚に直接うったえる点が大きいこ
とが理由と言っていいでしょう。もちろんそれを描けることが才能であるのも間違いありません
が。
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