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2012年7月22日 (日)

「顔」‥11

もしこの世界に「顔」がないとしたらということを想像してみようとします。しかし、その想像は
そもそも不可能かも知れません。何故なら「顔」のない世界を、単に首から上のない人間社
会の風景を想像すればいいというわけではないからです。首から上がなければ目もないの
で風景は見えません。それどころか、五感のうちの視覚、聴覚、味覚、嗅覚がないことにな
りますので人間の認識世界が今とはガラリと変わってしまいます。触覚機能だけの生き物
の世界、いわばアメーバのような認識世界になると言えます(アメーバでも視覚や味覚に相
当する知覚能力を持つでしょうからそれよりさらに原始的な生命体の世界を想像しなければ
ならないでしょう)。もちろんアメーバの認識世界と言ったところでそれは喩えであって、アメ
ーバの認識世界を知ることなど実際できません。それくらい今に比べると不自由な世界にな
ってしまうだろうという想像(恐れ)に他ならないということです。
従いまして、逆に「顔」は人間の認識作用の根幹に位置していることになるでしょう。以前、
自分も現代の「顔文化」に感化され毒されてもいると言いましたが、「顔文化」とはそんな表
層的なものではなく、はるかに本質的なところに根差すと言わなければならないようです。
いや、それは想像の仕方がいけないのだ、例えば、目は肩の前、耳は背中、鼻は腰、口は
腹にあり、脳も腹の真ん中にあると仮定すれば「顔」がないことは満たされることになると言
う人がいるかもしれません。しかしそれは今の顔機能を首から下の上半身に分散させて移し
ただけで今度は上半身全体が「顔」になった(グロテスクですが)ということで、「顔」がないこ
とにはならないことになります。今と様相は異なるとは言え、やはり「顔文化」はあることにな
るのではないでしょうか。
ではその「顔文化」の根差す本質的なものとは何でしょうか。‥‥それは「顔」が、ものごとの
喩えである言葉を成り立たせているものだという点ではないでしょうか。まず直接的には目や
耳や口(声帯、舌、口蓋等)がなければ言葉は生み出されません。それはもちろん脳を中枢と
する神経組織の連携作用が裏側にあってのことです。その上で表側で「言葉」を演じるのは
「顔」の諸機能なのです。その時は声だけでなく眉、目、鼻、頬、顔の筋肉等が総動員されて
います。つまりは、五感が得た知覚を音声言葉として示すことは「顔」によって、「顔」において
為されると言うことができます。考えてみれば人間的行動の役割の過半数を顔が受け持つと
言っても大袈裟ではないのかもしれません。
初めに述べました、個人の識別というものを99%「顔」に頼るという人間社会の習慣はこれと
裏腹のことと言っていいのでしょう。

<散歩の途中にあった花です>
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