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2012年7月27日 (金)

「顔」‥12

子供の時に初めて自分の顔を認識した経験は誰にでもあると思います。私の場合は、まだ小
学校に上る前の5、6才の頃だろうと思いますが、10才近く上の長兄か次兄(私は兄3人姉1人
の5人兄弟の末っ子)に「お前は黒ん坊そっくりで本当に変な顔をしている」とからかわれ親の
化粧台の鏡に写る自分の顔を見て、なんて変な顔なんだろうと思ったのが最初でした。最初
のきっかけがこれでしたので、その後小学校3年頃まで自分の顔の劣等感が続き、遠足や学
芸会の写真に写った自分の顔を見るのもいやだった記憶があります。なぜこんなことを言うの
かといえば、自我の認識が自分の顔の認識と時期的に重なる、と言うよりも自我認識=自分
の顔認識という気がするからです。「死」の認識を持つようになったのもその頃で、死=自分の
不在、という想像によって底なしの不安を掻き立てられたものでした。といっても私は遊びの方
も忙しく普段は劣等感や不安は頭から去っていて、精神生活に浸ることの多い子供だったとい
うことでは決してありません。今になって記憶の糸を手繰るとそういうことだったなと言えるので
す。これがどこまで正確かは分かりません。ただ私は数十年間この記憶を反芻してきたのだと
言えます。
ここで今問題になっている「いじめ」の話をしてみます。
私は幸い深刻な「いじめ」に合ったことはありませんでした。深刻な「いじめ」を犯したこともなか
ったと思います。この加害者でないかどうかは相手次第なので、昔の友達の中に「私はあなた
から本当にひどいいじめに合った」という人がいないという保証はないのでしょう。しかし、兄弟
間を始め子供の遊びの世界は、からかい、小突き、諍(いさか)い、は切り離せないものです。
そもそも子供の遊びは「○○ごっこ」の範疇のものです。鬼ごっこ、チャンバラごっこ、缶蹴りご
っこ、隠れんぼ、ままごと、野球や相撲も真似ごと(ごっこ)です。その「ごっこ」を本気で、真剣
にやる点にスリルも面白味もあったのでありこれが子供の遊びの本質と言えます。
子供の遊びには「からかい」「いじめ」の要素を必ず含みます。鬼ごっこや隠れんぼの鬼は「い
じめられ役」です。鬼は誰かを捕まえて交代していきます。「すばしこい子供」は鬼になりづらく、
なってもすぐに誰かを鬼にすることができます。「すばしこくない子供」は鬼になりがちで、鬼か
ら抜けだせないことにもなり、そのときは「いじめられ状態」が続き鬼が泣き出して遊びが終い
になったのです。泣きだした鬼をさらにからかい続ければ純粋の「いじめ」ですが、何らかのブ
レーキがかかってそうはならなかったのです。そのブレーキとは遊び仲間の年長者や、番長
(ガキ大将)といったリーダー格によるブレーキで、またそれがいなくても何となく面白くなくな
りそれで終わったのです。たまに泣いて帰った鬼が母親に連れられて戻ってきたりすると、リ
ーダー格の子供に「☓☓ちゃん一緒に遊んでね」と言い置いていったのであり、するともう泣い
ていたことなど忘れ、すぐに別の遊びに入っていったのです。このようなことを繰り返しながら
昔の子供は精神的にタフになっていったのです。年長者や番長は自分も同じような経験があ
って鬼の「悲しさ(痛み)」を知っているので、優しさを発揮できたのでした。
では最近の「いじめ」の現場では何が起きているのでしょうか。昔と今では何が違うのでしょ
うか。明らかに違う点は、遊びの「からかい」「いじめ」にブレーキがかからないということです。
つまりブレーキをかける子供がいないのです。より正確には遊びの中でブレーキをかける術
(すべ)を知らない子供ばかりということでしょう。これは子供の遊ぶ環境の彼我の差とでも言
うしかないかもしれません。昔は遊びの中で、からかい・からかわれ、いじめ・いじめられなが
ら、徹底的には痛みつけてはしまわない術、間合い、を知らないうちに会得していたのですが、
今の子供は経験からそれを学ぶ(会得する)機会は消滅していると言えそうです。
これは一つの案ですが、昔のような遊び環境を人工的に作る(演出する)というやり方が考え
られます(昔の遊びは自然発生のものでした)。例えば毎週1回特定の時間帯(2時間位)に
全校をあげて遊びの時間を設け、それも上級生と下級生が入り混じる形にする。遊びは缶蹴
りでも、隠れんぼでも、あるいは新しい遊び方でもいいでしょう。そして遊びに伴うケガくらいは
大目に見ないといけないでしょう。重要なことは、この効果を短兵急に求めてはならず年単位
のものと踏まえることです。なにせこの効果(目標)とは、上級生は下級生をいたわり、下級生
は上級生を崇敬することを身に備えるという一点だからです。先生は上級生中の上級生として
遊びに混ざり子供と意識を同じにすることもポイントでしょう。最近の若い先生がそもそもこの
経験がないと思われるからです。
単に就学時間数を減らすだけの「ゆとり教育」が失敗だったのであれば、このようなことをする
ことの方が本当の「ゆとり教育」だと思うのですが。

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