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2012年7月29日 (日)

「顔」‥13

前回に引き続き「いじめ」について話します。
もし遊びの中で「からかい」「いじめ」にブレーキがかからなければ、これは遊びの範囲を逸脱し、
傷害・暴力でありれっきとした犯罪です。従ってこれを抑止する能力がこのトラブル当事者・関係
者になければ直ちに司直の手に委ねなければなりません。この対応の手遅れが深刻な事態を
招来する可能性があるからです。この最悪のケースとなってしまったのが最近の大津市で起き
た事件でしょう。この事件に限らず最近の「いじめ」事件のほとんどが、このような「いじめ」は犯
罪なのだという認識が学校を含む地域社会において希薄だったと言わなければなりません。
最初は遊びの中での「いじめ」であったとしてもブレーキのかからなくなってしまった「いじめ」は
犯罪だということです。「いじめ」の噂があったり「いじめ」の相談事が持ち込まれていたにもかか
わらず、この事実確認に手間取る、あるいは確認した形を作るだけで事実上何もしないで済まし
てしまっているのはこの犯罪意識の欠如以外の何ものでもなく、それ自体が犯罪である余地も
あるでしょう。そうであれば、その結果の見通しを怠った関係者の責任は非常に重いと言わなけ
ればなりません。
世界に目を転じれば、中東を始め、東ヨーロッパ、アフリカ、中国周辺、東南アジアには戦争状
態の地域が数多くあります。戦争とは相手の国民や民族、反対勢力を殺戮することです。日本
も70年前は戦争の真っ只中にいたわけです。そして戦争とは国をあげて、国民全体が犯罪心
理に染まることです。相手を「悪」と位置づけ、自分を「正義」と位置づけて殺戮をし合うのが戦
争です。例えば、アメリカは「正義」のために日本に原爆を投下し一瞬のうちに30万人の日本人
を殺戮しても犯罪を犯したという認識は皆無でした。それが戦争の本質です。
そして国家レベルで「いじめ」を実行すること、それが戦争に他なりません。
では、日常生活の中で「いじめ」が抑止できないのはどのような理由によるのでしょうか。
人間の深層心理(本質)の中に戦争(いじめ)をしたいという要素が含まれているのでしょうか。
私はこれをあながち否定できないことのように思います。例えばスポーツはすべてこれを代理
(昇華)するものと言って間違いありません(オリンピックというこの壮大なイベントがまた始まり
ましたが)。ギャンブルやゲームというものも突きつめれば同じ性質のものです。目を社会に転
じれば、四六時中競争下に置かれている企業ビジネスも「市場」を戦場にした戦争を行なって
いるという側面を認めないわけにいきません。もっと歴史に思いを巡らせれば、17世紀初頭に
誕生した資本主義(東インド会社)が西欧列強国の植民地政策と一体化し、常に戦争を下敷き
にしながら、戦争を契機にしながら発展していき、20世紀には二つの世界大戦を引き起こしまし
た。国民的利害の点から経済戦争は武力戦争と容易に結びつくことは事実として否定できない
ことだったのです。
これは特に「いじめ」の問題を大げさに政治問題にこじつけたということではありません。普通に
連想を働かせれば思い至ることであるように思います。「いじめ」は人間の本性に根差す性向で
あり、根絶やしにすることなど不可能なことだと言っていいと思います。「いじめ」「競争」「殺戮」
「戦争」は人間の性向からは同じ範疇に属する、同一線上に位置するものと極論できます。
それだけに「いじめ」は軽んじることはおろか、その局面において人間に教化を加えることを決し
て怠ってはならないものなのです。それは人間の宿命だという以外にないでしょう。

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