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2012年8月10日 (金)

「顔」‥14

「顔」に関わる美学的判断力について話してみます。これはそもそも難しいことなので、恋愛に
絡む小説で説明するのも一つの方法かもしれません。
かのプルーストの大長編「失われた時を求めて」の初めの方に「スワンの恋」の部があります。
ここではスワンが恋したオデットについての面白い独特な描写がありますが、簡単に美人だな
どとは書きません‥‥「彼女はスワンの目に、なるほど美しくないわけではなかったが、どうで
もよいような種類の美人、さっぱり彼の欲望をかき立てず、一種の肉体的嫌悪感すら起こさせ
る美人‥‥<中略>‥‥頬骨はでっぱりすぎ、顔立ち全体がやつれているように見えた。目は
美しかったが、自らの重みでたわんでおり、顔のほかの部分はこの目のために鬱陶しく疲れて、
いつも具合の悪そうな、あるいは機嫌の悪そうな様子をしていた」と、こんな調子で描かれていく
のです。ほかの箇所でもオデットを醜く描く部分には事欠かず、読者にこれで恋愛小説が成り立
つのかと不安にさせるくらいなのですが、しかし読み進むうちにスワンがオデットに溺愛していく
プロセスにまったく不自然さを感じさせないのは、人間心理の機微を知り尽くしたプルーストの作
家的センスと言う以外にないのでしょう。
これを示す技巧の一つに、オデットのある表情がボッティチェリの描いた壁画「モーセの生涯」の
中の娘チッポラに似ていることにスワンが気が付くという下りがあります。実際のこの絵の中で
はほんの小さな部分にすぎず、しかもこれが美人顔と言えるかは大いに疑問も出そうであるに
もかかわらず、スワンの中では連想が連想を呼び起こし、オデットを自分にとって他に代えがた
い美人に創り出していってしまうという心理経過を描写するのです。普通なら不美人の根拠とも
なる容貌の特徴が、いつの間にか逆に惚れた者の弱みか美点となっていくのです。これを「蓼
食う虫も好き好き」と評したのではこの名作を理解できないことになります。最初から最後までこ
ういった感性が貫かれてこの大長編は書かれているからです。やがて後の部で描かれる、スワ
ンの妻に収まったオデットがパリのシャンゼリゼ通りをゆったりと散策していく描写に“絶世の美”
の感想を誰でも抱くのではないでしょうか。
ちなみにボッティチェリと言えば有名な「ビーナスの誕生」の絵があり、そのビーナスの顔を喩え
にしてもよさそうなのに、誰も気が付かない(と思われる)チッポラを使うのです。私が読んだ本
のカバー絵にはチッポラの顔の部分が描かれていて、不思議なことに、読み進みながらこの絵
を何度か見返していくうちにチッポラが喩えようのない美人に見えてきたものです。
インターネットから引っ張りだしたボッティチェリの絵を添付しておきましょう。
‥‥とにかく私には、人間の感性において答えの無い「感覚の起源の問い」にまつわるあるヒ
ントをこの作品全体が暗示しているように思えるのです。あの実存主義哲学者サルトルがこの
小説に触発されて哲学的処女作「嘔吐」を著したというのは納得のいく話です。

<壁画「モーセの生涯」と中央のチッポラの顔の部分です>
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<「ヴィーナスの誕生」とヴィーナスの顔の部分です>
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