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2012年9月16日 (日)

「性格」‥2

 すべての国語に「性格」という言葉はあると思われます。例えば英語ではcharacterquality、ラテン

語ではhabitusingenium(インゲニウム)というように。世界の全部の国語を調べたわけではありません

が、「性格」に相当する言葉はどこの国語でも必ずあるだろうと思います。何故なら他人を特定するのに

「性格」抜きではそれが不可能だからです。前回述べましたように「顔」「名前」と同じレベルの個人

特定の重要な要素だからです。仮に「性格」という言葉がなくても自分と他人との関係においてそれに相

当する「事態」や「有り様」があり、それは自分に対する他人の態度、反応です。あーいえばこーいう、

これをやればあれをやる、これを笑えばあれを笑う、といった対面的「やりとり」のことです。そこに

はお互いの特徴、癖が表れます。そして相手のそれらの全体的な印象のことを後になって私達は「性格」

という言葉を付したということでしょう。そのとき相手の特徴として記憶されるのは「性格」の中身であ

る印象です。従ってこの印象は必ずしも言葉とは限らず純然たる象形(強い、弱い、面白い、美しい、恐

ろしい、‥‥等を髣髴させる記憶像)であることもあるでしょう。動物の世界でも「性格」はその動物な

りの仕方で意識されているように思えますが、ほとんどそれは象形だといえるでしょう。少なくとも人間

的言語は介在してないにしろ相手の印象は把握しているようですから。

 また「性格」につながる言葉に「相性」というものがあります。相性の性とは性格のことです。私達は

色々な他人と何故か相性が良かったり悪かったりします。この相性の良し悪しはどこから来るのかはと

んと不明で、これは理屈を超えたもののように思え、要は「好きなものは好きだ、嫌いなものは嫌いだ」

としか説明できません。私達は特定の他人と相性が良い(気が合う)、相性が悪い(気が合わない)の

「仕方がないこと」あるいは「自然なこと」と考えているように思います。友人のでき方にしても、私

人の記憶でいえば小学校でも78歳の頃までは概ね等距離の友人関係(遊び仲間)だったものが、10

前後から特定の友人が(相性のいい相手が)でき始めたような気がします。もちろん誰からの強制でもな

く自然にそうなったのです。学校においてといっても勉強の中でより遊びの中で、教室の中といっても

遊び会話の中で、何となく気の合う相手ができてきたのでした。そして少年~青年~成人へと進む過程で

限られた友人が固まってきたように思えますが、私のように還暦を過ぎてからも自分の内外の環境が変化

することで新たに友人ができたり、逆に失ったりもするのです。

 下世話なところでは、ひと昔前はタレント(俳優)同志が華やかに結婚した後ある程度年を経てからや

がて「性格の不一致」を理由に離婚するというのが定番でしたが、最近は何らかのきっかけで同棲(事実

婚)→程なく「生活のスレ違い」でいつの間にか別居状態(離婚)というケースが多いようで、よりスピ

ーディーでお気軽化した印象です。世間一般でも晩婚化や熟年離婚という社会現象が目立つようになりま

したが、人間の性格が変わったというよりは人間にとっての「性格」の位置付け、取扱い方が変わって

きたというところではないでしょうか。つまり男女という人間関係の質、重み、価値というような点にお

いて以前ほど大げさに考えなくなってきたように感じます。良いかどうかはともかく、それが社会の流れ

となっているように思います。

 上で述べましたように、相手との関係において映じてくる全体的な印象を「性格」と呼称したのですが、

その「性格」の取扱いのアレコレを少し見ていきたいと思います。

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