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2012年10月16日 (火)

「性格」‥9

 「性格」そのものの大きな特徴は「多様性」ということでしょう。多様とは、いろいろさまざまで変化

に富むという意味です。つまりつかみどころのない本質的に混沌としたもの(カオス)だと言っていいわ

けです。仮に遺伝子構造が同じクローン人間が複数いても彼ら一人ひとりの「性格」はまったく異なるも

のになることは容易に想像できるでしょう。いくらクローンであっても別々の個体であり、別々の経験を

重ねれば同じ性格になりようがないからです。

 ところで私達はオギャーと生まれた瞬間から周りの人間に対して本能的に、一生懸命「性格」付けをや

ります。それは最も単純に言えば、相手を「敵・味方」の色分けをして自分が生き残っていくためでしょ

うが、その後の実際生活においてもそれで友人・知人を作り、勉強仲間、遊び仲間、仕事仲間を作り、さ

らに異性パートナー(恋人・配偶者)を探すことになるのだと言っていいでしょう。そして時には「血液

型による性格判断」のような遊びネタにもしてしまうのですが、そのようなことをしながら「性格」の数

は顔の数だけ在りそうだと察知しているはずです。

 そもそも人間の知識欲とは、多様で混沌としたものに対しその仕組みを解明し、法則を見出そうとす

るものです。人間の叡智とは「多様性に対する規則付けのことである」と言ってもいいでしょう。従って

人に対する「性格」付け(色分け)もこの人間の本性からくる所作であるのは間違いありません。ところ

が一方で私達個々人は、こうして「性格」付けして相対化した他人とは異なる、この世で唯一無二の自分

という人格の存在を認識すること、即ち「自我」の確立をひたすら図ろうとしています。これにより子供

から大人になるとも言えます。

 ここには一見して矛盾した事態があることになります。人間は他人に対しては「性格」付けという色分

けをしようとしながら、自分は何にも色分けされない多様性を持つ個性的人格であることを志向するとい

うことです。これは一体何を物語るのでしょうか。

 思うに、これは人間としての認識の在り方なのではないでしょうか。つまり誰でも自分のことを振り返

れば確認できることとして、私達は他人を含む外部環境に対しては習性的に「理解」を試みるのであり、

うまく何らかの「規則」(理由、背景、事情、特徴、等々‥)を見出すことによって納得が得られれば、

それにより(その反面で)、自分みずからの存在認識も得られる(自分の立ち位置が分かる)ことになり

安心するのだということです。「いちいちそんなこと考えて生きてなどいるか!」と言われてしまう

もしれませんが、私達は日常において無意識にそれをやっているのではないかということです。

 やはり「本性(本能)」は意識にのぼらないものなのでしょうから。

<小田原の一夜城跡にあるコスモス園です。相模湾も見えます>

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