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2013年3月21日 (木)

「性格」‥29

 「お金」は経済学的にも「価値の尺度」、「交換の手段」、「価値の貯蔵手段」の3つの機能を持つ

ものとされています。そして前の二つは今まで述べて来た通りのことでいいと思いますが、この三つ目の

「価値の貯蔵手段」という機能こそは「人間の欲望」が最も直接的に現れるという意味で「お金」の持つ

宿命的、道徳論的な性格が浮き彫りになる側面なのだと思われるのです。なぜなら「お金」の貯蔵はその

まま富を表わし、いわば「お金」にまつわる醜悪な「物欲」という人間の性格がここに凝縮された姿で示

されると言えるからです。いつの時代でも、「お金」を貯めこむことは悪とみられることは多く善とみら

れることは少ないのが常で、富者に対しては「金の亡者」や「我利我利亡者」などと怨みを込めて呼ぶこ

とがもっぱらとなりがちです。今の世の中では多額納税をする人を辛うじて「長者」と讃えるだけという

のが実情と言っていいでしょう(そこにも揶揄のニュアンスがあります)

 しかしそもそも富は人間の生活の安定を成り立たせるもののはずです。それなのになぜ富は妬まれ富者

は憎まれるのでしょうか。それは富の形成過程に対するある一般的な評価傾向のためでないかと思われま

す。何と言っても「お金」を貯めるには得た収入より少なく消費するのが一番まともな方法です。いわゆ

る「爪に火をともす」暮らしぶりのことです。ところが、人がそれに徹した生活をすれば周りからは吝嗇

(ケチ)と見られることはあっても人望を得ることはまず困難なことになります。しかし吝嗇であるか

篤志であるかは実は偶発的なもので人が置かれたその時々の生活状況が決めるといってよく、そこに明確

な境界線を引くことは難しいことだと思います。最初から清貧な生活を心がける人は富を築きませんし、

富がなければ篤志を行うこともできません。そして富は相続や僥倖によって手にする場合を除けば吝嗇を

長い期間にわたって続けること以外にこれを築くことはできません。

 そしておかしなことに、上記の多額納税は経済的には篤志行為に他なりませんが、それは積極的な意志

によるのではなく納税義務によるものと見られるため、その人は「長者」と呼ばれるだけで「篤志家」と

尊称されることはありません。要するに富に対する善悪評価は「人間の欲望」を根底に置くため、それは

妬み、嫉(そね)みが判断根拠に紛れ込んだものになっているということです。そして敢えてステレオタ

イプな言い方をすれば、富者はゆとりのある安定的な生活と引き換えに、高額納税と世間からの嫉妬を甘

受している(ある意味では居直っている)ということになるでしょう。

 もちろんこのようなこととは別に、近年のビジネス社会における潮流となってきた観もある「起業家

(アントレプレナー)」という新時代の富者の出現に対しては、その革新的資質と一攫千金的資質とい

好悪相半ばする評価がありながらも、着実に社会の中で存在感を高めているのは事実として認めていい

となのでしょう。

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