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2013年3月23日 (土)

「性格」‥30

 さて「お金」のこととなるとやはりインフレとデフレのことを話さないわけには行かなくなります。「価値の尺度」という

「お金」の機能に直接関わる社会現象だからです。こうなると「経済学の勉強」のようなことになりますが、すでに今ま

での話も経済学の範疇のことですからこれは止むを得ません。経済学とは「経済現象を研究する学問」の謂ですが、

これだと漠然としてピンときません。これを私なりに言い直せば、経済学とは「お金の本性を探究する学問」のことであ

ると見ます。経済現象とは「お金」の在り方、動き方に他ならないと思うからです。

 ついでに言いますと、洋の東西を問わず古来「お金」を論じることはそれ自体賤しいことと見られてきました。「お金」

にまつわる論議は必ずこれをいかに増やすかの話にはなってもいかに減らすかの話にはならず、「人間の欲望」に

隷従したものと見られたからでしょう。1901年に始まったノーベル賞に経済学賞が加わったのも賞の中では最も遅い

1969年のことで、これはサミュエルソンを始め大勢の経済学者を擁し、東西冷戦下で資本主義陣営のリーダーを自

他共に認めていたアメリカがノーベル財団に強い政治的圧力をかけて実現させたと言われています。

 物価が上がったり(インフレ)下がったり(デフレ)とは、物の「お金」で表示された数値(価格)が大きくなったり小

さくなったりすることです。つまり物の本来的な価値(人にとっての利便性)は変わらないとすれば、「お金」の方の価

値だけが下がったり(インフレ)上がったり(デフレ)することです。よく使われる喩えとして、経済を体とすれば「お金」

は血液とされます。インフレは血が多すぎること(高血圧)、デフレは少なすぎること(低血圧)でいずれも病気なのです。

現代の医学療法ではこの体の病気の治療に血を抜いたり(瀉血)、血を加えたり(輸血)することは行われず(昔はあ

ったのです)薬餌療法で治療しますが、経済の病気の治療にはこの方法(「お金」の吸い上げと注入)が使われるのです。

つまり今までのところこの方法以外に経済の病気の治療方法は見つかっていないのです。病気(特にデフレ)を治せる

までの方法論を備えた「経済学」は未だ打ち立てられてはいないのです。それがこの分野の学の賤しさのために歴史

的に学問的考究が遅れたせいかどうかは分かりませんが‥‥。
 

 本来的には物と物の交換のための利便性の必要物として生まれた「お金」はその利便性の性格の故に「富」の象徴

となりました。そうして欲望を持つ人間が「富」を築くことを生きる目標とするようになるのは避けられないことだったと言

えます。それを「悪」と言ったところで皆同じ本性を持つ人間の誰がどのような立場でそれを言えるのかということです。

「神」がいると信じられればそれは「神」以外にいないのでしょう。

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