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2013年5月

2013年5月29日 (水)

「性格」‥39

 37で掲載しましたジャズ喫茶「ちぐさ」の看板絵のコメントが寄せられていた件で調べましたところ、この絵の作者は

<Rocco Satoshi>(通称ロコさん)という横浜では有名なウォールペイントのアーティストでした。

 ロコさんは1970年代末期に初めて桜木町の東横線高架下の壁面に壁画を描き、ウォールペイントの創始者として

世に登場しました。以後色々なイベントにおいて独創的な絵を提供し夢幻的な世界を私達に見せ続けてくれています。 

 ロコさんと「ちぐさ」の関わりの真相は分かりませんが、同じ桜木町の目と鼻の先で、絵画と音楽のジャンルは違うと

はいえ、芸術として通じ合うのも自然の成り行きだったのかもしれません。

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2013年5月27日 (月)

「性格」‥38

 半年ぶりに相棒と山歩きしました。私が病み上がりなので、軽い足慣らしということで、奥多摩の浅間

尾根(せんげんおね)を4時間ほど歩きました。JR青梅線武蔵五日市からバスで浅間尾根入口→尾根→浅間

嶺(900m)→払沢(ほっさわ)の滝→払沢バス停というまったく優しいコースで、やはり熟年ペアや若

いアベックが目立ちました。

‥‥‥次回はもう少しコタえるコースを試そうということになりました。

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東側に大岳山が見えます

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雲がなければ西の方向に富士山が見えたはずです

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払沢(ほっさわ)の滝です

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2013年5月22日 (水)

「性格」‥37

 今日は仕事もなくのどかな天気でしたのでふと思い立って、バスを使って散歩の足を伸ばし、横浜

のジャズ愛好家なら知らない者はない野毛のジャズ喫茶の老舗「ちぐさ」を覗いてきました。平日の

真昼間(3時頃)にジャズを聞く客は、やはり私と同年齢かもう少し上くらいの者(暇な老人)が2

人いるだけでした。2人がいなくなると今度はオバさん3人連れが入って来ました(やはり同年齢く

いです)。私はこの新しい店には初めて来たのですが、もちろん昔の名物店主の“吉田翁”は何年も

前に亡くなられて、昔の店の場所から少しだけ離れた所に昨年3月に再開したのです。今はいかにも

リタイア小父さんといった感じの人が何人かで交代番で切り盛りしているようです(昔の常連さんら

しい)。

 コーヒーを注文して暫くすると、レコード係の方の小父さんが「リクエストは?」と保存アルバム

帳を持ってきました(ハハーン、この慣行も引き継いでいるわいと感心しました)。私はどうせなら

懐かしいのをと、コルトレーンがエリントンと共演したLP版をリクエストしました。昔、今頃の季節

によく聞いていた記憶があるからです(あやふやですが)。初っ端の“IN A SENTIMENTAL MOOD

がやはり何とも心がなごむ曲であったのに思わずホッとし、この眠た気な雰囲気が5月に合っている

んだと勝手に納得したものです。店の2階は昔の店のメモリアルルームになっていて、色々な写真や

品物が展示されているとかで、1時間余り聞いた後帰りしなに寄ろうとしたんですがたまたま交代番

の人が外に出ていてだめで(店の人の立ち会いで見学できる)、またこの次ということにしました。

 その後は野毛町~戸部町を1時間ほど徘徊しながらまたバスに乗って帰途についたのです。

「ちぐさ」のたたずまいです。

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野毛から見たランドマークタワーです。

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掃部山公園です。

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2013年5月16日 (木)

「性格」‥36

 知人に紹介されて行ってみた泌尿器科検査のことですが、結果論としては無意味でしかありませ

んでした。「セカンドオピニオン」を聞く積もりでしたが、今回は2度の前立腺手術を受けた後で

したので、いわば治療後の検査に「セカンドオピニオン」もヘッタクレもなく“後の祭り”以上の

意味は無かったということです。これは病気治療に対する私の不安(不信)のなせる“勘違い”で

あったのです。と言うのは「セカンドオピニオン」とは手術をする前に他の医者の意見を聞くこと

で、その最初の検査結果(ファーストオピニオン)に対する患者の判断の参考にする狙いのもので

す。従ってその時は最初の検査のカルテ(のコピー)をもらい、同じ材料で別の医者に判断を仰ぐ

という手続きとなります。例えば最初の検査で手術をした方がいいとなっても、セカンドオピニオ

ンが手術をせずに薬餌療法で様子を見ましょうとなった時に、患者としてどちらに従うかというよ

うな場合を想定すればいいでしょう。あるいはセカンドオピニオンも手術の意見となればどちらか

の医者で手術を受けることになるでしょう。

 私としては手術の結果が(期待と異なって)必ずしも満足の行くものではなかったので、別の医

者による意見はどうなのか聞きたかったのです。前の医者に事情を話してカルテをもらうのも煩わ

しかったので、次の病院で同じような検査(尿道の造影検査、尿、血液等の検査)をしたのですが、

何せ治療後なので尿道狭窄が写るはずはなく、結局手術後の尿漏れ、頻尿、再狭窄等の症状への私

の不満を聞くことだけだったのです。その挙句にその医者も「私も手術を奨めたと思いますし、そ

の結果は同じとなった可能性があります」と仰ったのです。ただ私がセカンドオピニオンを聞こう

とした理由も理解していたので、この病気に関してかなり細かい説明は聞くことができました。そ

してこの医者だったら手術をしたにしても事前説明をやはり細かくしてくれたのだろうと思ったも

のです。

 ちなみに、以上のことに関連して「インフォームドコンセント」という更に基本的な考え方があ

ります。「治療方法に対する正しい情報・説明を得た上での同意」という意味です。今回私が前立

腺手術を受けた時に、何枚もの「同意書」(検査時から手術時までに都合7,8枚もあった)に署名し

ましたが、その根拠となるものです。多分その中の一枚に手術後の後遺症的症状の可能性も記され

ていたのでしょう。それらを医者あるいは看護婦が出だしのところだけ読んで聞かせ、後は目を通

しておいて下さいで終わっていたものです。これを一字一句丁寧に説明していたら何時間もかかっ

たことでしょう。

 「セカンドオピニオン」と言い「インフォームドコンセント」と言い一見英語で勿体ぶっていま

すが、日本語的には“医者の話はよく聞く”それと“信用出来ない(評判の悪い)医者には掛かる

な”と言う昔から言い古されたものに過ぎません。‥‥個人的にはこのような尤もらしい外来語の

横行は医療現場の劣化に外ならないだろうと思います。こんなことが流行るのは、患者にとっては

医者のご都合主義しか感じられないからです。

‥‥医者に掛かった時の薬の大量処方が初めて問題になってから40年位が経ちますが、今や医者に

とって「モラル」はすっかり死語となった観があります。

<散歩の途中に目についた幾つかの花です。白いラッパのような花はカラーです>

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2013年5月11日 (土)

「性格」‥35

 そろそろ晩御飯時と思い居間に下りてみると“マメ”(パグ、♀、9歳)が何か大きなものを咥え

て横切っていくので、追いつめて見るとキャベツの上側の葉をパクツイています。妻に「マメがニワ

トリみたいなことやってるぞ」と言うと「あれ、知らなかった?キャベツ大好物なのよ」と言うでは

ありませんか。犬は人様が食べるものはだいたい食べるものですが、キャベツをバリバリ食べるとは

思わなかったので私はいささか驚きました。しかもそれを拾い上げようとすると、怒って足で押さえ

て防ぐのです。台所でまとわりつくので妻はキャベツを与えて追い払ったというわけです。‥‥そう

言えばうちの犬は果物も好物でミカンやリンゴを喜んで食べます。バナナなんか特に。

 猫が草を食べるのは寄生虫がいる場合だと聞いたことがあるけれど、うちのマメは生肉は食べさせ

ないし、虫などまず食べないのでそれはなさそうです。それでまったくの健康体かというと、2年位

前から体にいくつかコブができていて病院で診てもらうと腫瘍だという。すぐに命に関わることは

いとのことですが、問題もあるという。思案したあげく、よほど体が弱まりでもしない限り治療を施

すことはやめておこう、基本的にそのままにしてあとは寿命にまかせることにしました。

 ということで、キャベツも食べたいなら好きなだけ食べておけ!となりました。

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2013年5月 7日 (火)

「性格」‥34

 セカンドオピニオンという言葉が身近になったのはいつ頃からでしょうか。

 私の場合は5年前に妻が子宮体癌になり、掛かった病院の担当医から手術が必要と伝えられたのですが、

その時「セカンドオピニオンを聞いてもいいです」と言われたのが最初でした。「え、何ですかそれは?」

と聞き返して、それは別の医者(病院)による診断を受けて手術を要する癌かどうか意見を聞くことだと

教えられたのです。しかし設備の整った当該の病院で時間をかけて各種の検査をした上での結論だったの

と、それに異を唱える根拠となる医療知識が私達にはないので、セカンドオピニオンもなにもなく、また

時間のロスが致命傷になるかもしれないとの素人考えから、すぐに手術の手続きへ進んだのです。幸い術

後は良好で再発や転移もなく今に至っているので、とり敢えず安堵しているのですが、それにしてもあの

時の「セカンドオピニオン」の話は唐突な印象の強いものでした。

 私は昨年12月に尿道狭窄で前立腺手術をしさらに今年3月にも同じ手術をしたのですが、私は最初から

の診断で「セカンドオピニオン」の発想など微塵もなく、小便が止まるなどと煩わしいことはなるたけ早

く治してもらおうと、またこの手術で10年間は心配ないと言われたのも弾みとなって、さっさと手術を受

けることを決めたのです。ところが、手術は無難に済んだもののその後の経過が極めて不本意なことにな

ってきました。退院直後のオムツこそ取れたものの、頻尿、残尿症状が続き、そうこうする内にまた尿が

出にくくなり3ヶ月で再手術となりました。10年大丈夫だったはずがたったの3ヶ月です。そこまで来て頭

によぎったのが「セカンドオピニオン」のことだったのです。どこかの時点で冷静にこのあたりのことに

思いを致すべきではなかったのか、そのタイミングは果たしてなかったのかと。しかし思い返せば思い返

すほどそんな余裕はなかったということも強く感じるのです。友人 と酒を飲んでいる時に尿が出なくな

り病院に駆け込んで処置をしてもらってから後の経過はほとんど自動的に進んでいったというのが事実な

のです。この治療を中途で思い留まるなど不可能だった観が強くあります。しかし結果論とはいえ、最後

に不満が残る形となったのです。

‥‥そして遅きに失したのは否めませんが、またこのまますんなり治癒してしまえばそれまでですが、一

応今からセカンドオピニオンの手はずも踏んでみようと思い始めたのです。そして同じ治療を受けたこと

のある旧職場の知人を通じて別の病院を紹介してもらいましたので、来週そちらに出向くことにしました。

<何の花でしょうか、裏の路地に咲いていました>

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2013年5月 4日 (土)

「性格」‥33

 東北被災地へ行った時、仙台の松島にも寄りました。「松島や ああ松島や 松島や」と詠まれる名勝

です。震災の時は260余りの大小の島々が防波堤の役割を果たしたのと松島湾が比較的浅い海だった点で

大きな津波とはならず三陸海岸のような大被害を免れました。しかしそれでも3m前後の津波が来て海岸

沿いの多くの家屋・商店で浸水被害があり、瑞巌寺の前庭にもここまで波が来たという標しがありました。

この日は五月雨模様でしたが、遊覧船に乗った時は晴れ間が見えました。

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「性格」‥32

  久しぶりだからというわけではないんですが、今回は「性格」番外編です。

 51日~2日と東北被災地へ私、女房、息子の3人で車で行って来ました。もう2年も経っていたのです

がやはり見て置きたいと思ったからです。甚大な津波の被害を受けた地域の一つである女川町の今の

様子を見て来ました。

 ネットの動画で2年前の3・11の女川町の津波をご覧になった方も多かったと思います。その町が今どう

変わったかということで見てください。

 漁業を中心に賑わいを誇った街並みは平地には跡形もなく、倒壊したビルが3棟ほどそのままの姿で残

っていますが、瓦礫はほとんど撤去されてかっての女川町全体が更地のような姿となっています。そこ

をダンプカーや工事車両が動きまわる以外は私達のような見学者がちらほらと見えるだけです。今やこ

のように何も無いことが被災の残酷さを一層強く感じさせる印象なのです。

平地から15mほどの高台になっているところに町立病院が残って建っていて、ここから町の全貌が見渡

 せます。この病院の1階まで波が来たとのことで20m前後の高さに達した津波の凄まじさが思い起こさ

 れます。倒壊したビルは4階のものと23階のもので、陸側に倒れたもの、海側に倒れたものとありま

 すが、陸側に倒れたのは押し波で倒れ、海側に倒れたのは引き波で倒れたものです。撤去せず残してあ

 るのは、メモリアルの意味というよりは、この時の津波の力や質を計測し、今後の研究目的に役立てる

 点に主眼があるようです。

  港には何艘かの漁船もあって、漁業も再開されているとはいえ、女川町が元の活気ある姿に戻るには並

大抵の努力ではとてもできるものではなく、またそれが何年かかるか想像もできないことですが、地元

の方々と国全体とが一丸となった復興への歩みを一歩一歩着実に進めていく以外に無いことは言うまで

もありません。

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Dsc_0193                               奥の黄色い建物は復興で建てられた製氷棟です

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「女川サプリメント」の表札がありました

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「江島共済会館」という4回建てのビルが後ろへ15mほどずれて倒壊したものです

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Dsc_0189_1 女川町立病院です Dsc_0175_2 慰霊碑は病院の右端に建てられています

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