« 2013年8月 | トップページ | 2013年10月 »

2013年9月

2013年9月30日 (月)

「ハチ」‥14

 煙草についてお話してみましょう。私は禁煙してからもう30年経ちますが、それでも18歳を過ぎて自分も“人

並み”であっていいだろうと煙草を吸い始めた時のことは今でも比較的鮮明に覚えています。‥‥煙草は記憶力

に微妙に作用するものらしいと確信めいたものも持っています‥‥昭和40年代始めの頃は「ハイライト」全盛で

したので私も専らこれでした。今から考えると「ニコチン」も「タール」も極めて濃度の高い煙草でした。煙草

を肺に吸い込んだ時の“クラクラ”っとしためまいの初体験は忘れられるものではありません。そうして煙草に

馴染んでいきながら同時期に体験したこと‥‥聞いた音楽、読んだ本、何処かの景色、誰かとの恋(あれば)、

食物の味、酔った安酒‥‥などの一切合財が煙草の記憶と一緒になってしまっているといっても過言ではありま

せん。もし今煙草(特にハイライト)を吸えば立ちどころにこれらの記憶が蘇ってくることは疑いありません

(吸いませんが)。

 そしてハチに通っていた頃も煙草を吸っていました。というかこの頃が一番よく吸っていたと思います。ジャ

ズの物憂げでリラックスした雰囲気には煙草のデカダンスな(退廃的な)効果は、他の何にも替え難い道具立て

だったからです。

 だからといって、私はジャズを聞くための必須アイテムが煙草であるといいたいわけではありませんし、煙草

の悪魔的魅力を強調するつもりもありません。私の時代はジャズを聞く環境がひたすら煙草の煙が立ち込めて

る環境だったというだけのことで、今はジャズ喫茶も禁煙が基本だと聞きます(ハチはどうか知りませんが)。

ジャズの環境もやはり時代とともに変貌していくものなのでしょう。

 

<煙草の煙とともに聴き馴染んだジャズ曲の一つがハンク・モブレイの「スピーク・ロウ」でした。

“小声で囁け”って何を?などと聞くのは野暮というものです>

Photo_2

http://www.youtube.com/watch?v=NoBUpox2wvE

2013年9月26日 (木)

「ハチ」‥13

 そういえば一度、ハチママがつがいのダックスフントをハチに連れてきたことがありました。土曜日の夕方

だったか、ハチの入口をくぐるやジャズの音ならぬ犬の声がいきなりして、「あ!エラ、ルイ、ほらモーさん

にごあいさつ!」とハチママが躾けようとするのですが、甲高い声で「ギャンギャンギャン」と吠えるばかり

で、さわると咬みつかれそうなので私はカウンターにいち早く座り遠巻きに眺めていました。子犬かと思った

らそれでおとなの犬で、この種の犬を真近で見るのは初めてだったのですが本当に胴長の不格好なものでした。

それと何といっても体の割には大きな耳に響く声には閉口したものです。「そのうちエラとルイの子できるか

ら、そしたらモーさん達にあげるわ」ってお話で、「うわ~いいなぁ~《それはいりませんわ》!」‥‥それ

にしてもエラとルイとはよく名づけたものです。本物の「エラとルイ」のような美しくチャーミングな歌声と

は大違いで、ハチでは犬の声まで“フリージャズ”かいなと思ったものでした。やがてお客様も増えてきたの

でハチママがエラとルイを店の外へ連れ出しました。なんでも近所のおでん屋の女将さんが大の犬好きで、帰

りまで預かってくれるそうなのです。しかしおでん屋だってお客様が来るだろうにと思いましたが‥‥まあ私

が心配することでもありませんでした。

 ここまで書きますと私が犬嫌いのように感じるかもしれませんが、半ば当りで半ば外れです。私は小さい頃

56歳頃)、近所の犬に不意に足を咬まれ痛い思いをした記憶が消えずに残ったままで、自分の家の犬は

くないのに、他所の犬は何を考えているか分からずまず怖さが先に立ってしまうのです(どんな小さい犬でも)。

自分が餌を与え育てた犬は犬の考え(:喜んでいる、遊びたがっている、空腹である、悲しんでいる、‥‥)

がほぼ分かりますし、どんなことをしても本気で私を咬むことはしないのも分かります。他所の犬でも暫く一

緒にいればなついてしまうものなのかも知れませんが、そうまでして一緒にいたいという気にもならないので

す。‥‥ジャズとは何の関係もない話になってしまいましたね。(現在、住んでいる近所でやはりダックスが

いる家があって毎朝奥さんが散歩に連れ出すんですが、これがまた声が喧しい‥‥そんな時にふとハチママの

「エラとルイ」のことを思い出すこともあるのです)

 

<話の行きがかりで、「EllaLouis」から今日もまた「Summertime」です。前回と違う味わいと、関西弁

の対訳も楽しんで下さい>

Photo_3

http://www.youtube.com/watch?v=VdJpSCxHdD0

2013年9月22日 (日)

「ハチ」‥12

 ハチの常連の中で何といっても最も印象深かった人は“オーちゃん”です。アダ名の由来は恐らく本名の姓が

大下、大木だったからだと思います。私が常連に加わってすぐにハチママに聞いたような気がしますがすっかり

忘れてしまいました。オーちゃんは私より56歳上で、ある大手造船会社に勤務するサラリーマンでした。サラ

リーマンとはいえ坊主頭で日に焼けて真っ黒、それに筋肉ムキムキの“マッチョ”だったのが一番の特徴です。

少し古いマンガの「じゃりン子チエ」に出てくるチエの父“テッちゃん”がそのまま抜け出してきた風貌だとい

ったらイメージし易いでしょう(腹巻きはしてませんでしたが)。実際に喧嘩も強かったらしいのです(話に聞

くだけで見たことはなかったのですが)。真っ黒なマッチョの理由は会社のボート部でカヌーの一種「シングル

スカル」の現役の選手だったからで、国体の大阪府代表になったりもしていたので見掛け倒しのマッチョではな

かったのです。私を含め常連の何人かで堺の浜寺にあったボート部の練習場に連れて行ってもらい、シングルス

カルに試乗させてもらったこともあります。

 実はこの“オーちゃん”のハチでの存在感はその風貌ではなく“ボーカリスト”としてのものだったのです。

ボーカリストですから歌を歌うということです。それは88日その他のハチでのライブセッション後の打ち上げ

の時に、興に乗ってくると我と思う者が飛び入りで楽器を吹いたり、ピアノを弾いたり、ドラムを叩いたりした

のですが、オーちゃんはボーカルをやったのです(もちろんアカペラで)。そして歌う曲は「サマータイム」、

そうジョージ・ガーシュウィンが作曲したジャズ・オペラ「ボギーとベス」の中で歌われる有名な曲で、その後

ビリー・ホリデイなどがレパートリー曲にしていたものです。オーちゃんなりには、ボート漕ぎと海のイメージ

がピッタリ合うと感じて自分の“持ち歌”にしたんだと思います。さて出番になると、オーちゃんは朗々と

(いちおう原語で)‥♪Summertime and the livin is easy Fish are jumpin and the cotton is high Oh your daddys rich

and your ma is good lookin So hush little baby, dont you cry‥♪‥とこのへんまでは原曲に忠実に歌うのですが、

の後いきなり“スキャット”に変わり♫ダバダバ、ダバダバ、ダバダバダ!ダバダバ、ダバダバ、ダバダバダ!ダ

ーダバダバ、ダンダンダバダバ、ダーダバダバ、ダンダンダバダバ!ダンダンダバダバダン!Summertime!ダバ

ダダ、ダバダダ、ダバダバダン!jumpin Fish! ダバダバダ!ダバダバダバダバダバ、Ohダバダバダ!‥‥キャ

キャコ、キュコキャキグキョク、キョコキョコグキャコ、グキャココキャコグ、コンコングキャコ、Oh daddy

キョンキョン‥‥○☓◎◎☓☓、◎◎☓☓○◎、▲▲○○☓○、Oh baby!ダバダ、ダバダ‥‥ ♫(正確には覚え

ていませんが、こんな感じでした)‥‥というハチャメチャな調子で、いつ終わるとも知れず大声で歌い続ける

(怒鳴り続ける)のです。私達は涙が止まらないほど笑っていたのですが、初めて見る人は「あの人はオカシイ

んやないか、誰もとめられないんか?」と本気で心配しただろうと思います。‥‥オーちゃんは“フリージャズ”

のつもりでボーカルを演ったのです。そして、さすがに声が嗄れてきて周りの私達も心配になってきた頃に‥♪

Oh~Summertime~♪と原曲に調子を戻してエンディングしたのです。この間30分位が普通でした。‥‥これには

あの山下洋輔も本当にアキレた顔をしていたのです。

 

<「サマータイム」は大勢のジャズ歌手が手がけていますが、ここではエラ・フィッツジェラルドとサラ・ボー

ンを聞いてみましょう。この二人はジャズ・ボーカル界の両横綱だったと思います>

Photo
http://ceron.jp/url/www.youtube.com/watch?v=6pdyiK5kziw

Photo_2

https://www.youtube.com/watch?v=mmofX0rE6CQ&feature=player_embedded

2013年9月19日 (木)

「ハチ」‥11

 ハチほどの老舗になると地元の(輸入版を扱う)レコード屋と提携的な関係ができていたのか、私ら凡人がま

だ耳にしたことのないジャズのレコードがかかることがよくありました。想像するに、レコード屋が「こんな

んありますけど、どないです?」と店に持ってきて、ハチママとお兄ちゃんに聞いてもらって「ホー、これはエ

エなぁ~」で選ばれたものが私らも聞けることになったのではないかと思います。それはやがて流行ったのもあ

れば流行らなかったのもあったようです。しかし、まず何よりもハチママとお兄ちゃんの好みに適うかどうかと

いうことだったのです。当時既にシンセサイザーなどを使ったエレクトリックな音のジャズが大きなトレンドで

したが、私がいた頃そのような曲がハチでかかることはまずありませんでした(レコードは置いてあったのかも

知れませんが)。屁理屈をいえばステレオで聞く音はすべてエレクトリックな音だということかも知れませんが、

その音源が人の息や指、声といった体温のある“生の音”のものでなければならず、“人工的音源”のもの

は聞かないというこだわりがあったようです(英語でいえばアコースティック、エレクトリックの区分けでしょ

うか)。さらに、別々のテープ録音を繋ぎあわせたり貼りあわせたりしてできた“合成音楽”のジャズレコード

も嫌われました。従って同じ演奏家でも時期によって良し・悪しがあり、例えばジャズの大御所マイルス・デイ

ビスでも「リラクシン」「クッキン」は良くても「ビッチェズ・ブリュー」はダメという訳でした。

 ついでの話で、ジャズとロックの違いというのもよく話題になりました(今でもかも?)。音楽のルーツを人

種に遡ったり(黒人:ジャズ、白人:ロック)、音階を見たり(ブルーノート=短調:ジャズ、長調:ロック)、

リズム(ドラムスで細かく刻む:ジャズ、ズンチャカ・ズンチャカと単調:ロック)‥‥とやっていってももう

一つスッキリせず、しかもジャズがロックの色彩を取り入れきたという側面があり、人種的にもすっかり相互乗

り入れになっていて、単純な分類が難しいのが実情のようです。またスティービー・ワンダーのような大物のソ

ウル・ミュージシャンが登場するとどちらのジャンルにも影響を与え、融合の動きを勢いづかせてきたようにも

感じます。ジャズ音楽も人間のやる“生きた芸術(文化)”ですから、絶えず変貌していくのはこれはこれで自

然なことなのでしょう。

 もう何年もハチには顔を出してはいませんが、今は代替わりもしていますし、私が通っていた頃とは大分雰囲

気の違うジャズが鳴っていることだろうと思います。

 

<当時ハチで大いに盛り上がった曲に“Isn't she lovely”というのがあります。もともとはスティービー・ワンダー

のヒット曲をソニー・ロリンズが取り入れて演奏したものです>

Photo

http://www.youtube.com/watch?v=UGsG7SLbFW4

2013年9月16日 (月)

「ハチ」‥10

 

 私は8年間に何百回かハチに通ったことになりますが、基本的に仕事からの開放感に浸ってのものでした。しか

し唯一仕事がらみでいったことがあります。

 もう40年近い昔のことで当時の関係者で現役の人もいないでしょうからお話しますと、当時「オーディオブー

ム」という産業界の一つの大きな流れがありました。高度経済成長も後半の頃で人々の気持にゆとりが出てき

ためか、多くの人が暇な時間にいい音楽を聞いて過ごしたいと思うようになりそのためにステレオが買われ始

たのです。最初は「セットステレオ」というお洒落な家具の位置付けだったものがやがて“音質の追求”へと好

が変わっていきやがてステレオの「コンポーネント」という趣向が生まれました。つまりステレオの基本的な

3ユニット:プレーヤー、アンプ、スピーカーをそれぞれ別のメーカー品で揃えて、自分の音楽の好みに合うよう

組み合わせるという考えです。特にアンプとスピーカーは製品的に柔らかい音質向き、硬い音質向き、と分け

られるとしたのです。“音感”と“好み”の領域の話ですから理屈立った説明は難しいのですが、実際にその専

門店が立ち並ぶ電気街へいくと大概の店に“耳の肥えたオッチャン”がいて、コンポのステレオを買い揃えよう

とする客に対して、その客が「クラッシック」、「歌謡曲」、「ジャズ」のどういう種類の音楽が好みかを聞き

ただしてアドバイスしてくれたものです。スピーカーでいえば、クラッシック好みなら柔らかい音質の「コーラ

ル」が良く、ジャズ好みなら硬い音質の「フォスター」が良いといった具合でした(もちろん予算も相談して)。

 前置きが長くなりましたが、当時大阪にラックス(ブランドも)という高級アンプの専門メーカーがありました。

その頃既にアンプも真空管式からトランジスタ(IC)式へと変貌しつつあったのですが、ラックスは真空管にこ

だわり音質を追求するマニア向けに手作りの高級アンプを作っていたのです。オーディオブームの中でラックス

も業績を伸ばし、その勢いで会社として株式を公開したい(上場会社になりたい)と経営者は考えたのです。私

は当時その関連部署の職場にいて、ラックスの上場の可否を検討していたのですが、私の会社が躊躇していたポ

イントはラックスが“マニア向けアンプ”を作るという「企業ポリシー」だったことです。つまり上場会社とな

るからには永続的な業績成長が至上命題となるのですが、“マニア向け(プロ向け)”というラックスの

リシーにはそぐわないのではないかということでした。

 それでも現に好業績を続けているラックスに対して「門前払い」はし辛いものです。そして分からないのは、

のアンプが現実に使われている現場(コンサート会場、教室、音楽系飲食店)のことだったのです。つまり

な音楽環境で使われ、どんな感想を持たれているのかという点でした。そこで、回りの人間でその世界の一番

くにいそうなのが○○だ(私のこと)ということが分かり、ある日私は調査部のアナリスト(企業分析の専門家)

を連れてハチにいったのです。ハチママには会社の知合いの者という以外に何もいわずにカウンター横のテーブ

ル席で店のオーディオ装置がよく見える場所に座りました。私より67歳年上のそのアナリストは音楽も酒も嫌

いではなく気持良さそうに飲みながらジャズを聞いていましたが、ハチママが寄ってきた時に「アンプはラック

スがいいのですか」と聞いたのです。ハチにはラックス以外に他の機種のアンプも使われていたのですが、ハチ

マは「ウチではいいジャズの音を聞いてもらうにはラックスが一番やと思うてます」と答えていました。そ

れから2時間ほど飲んでアナリストは先に帰って行きました。

 数日後私は会社の上司から、「☓☓さん(アナリスト)が話してたぞ、○○はなかなかいい雰囲気の店で飲ん

でいるって」といわれたものです。そして程なく私の会社はラックスに“上場門前払い”を伝えたのです。その

後ラックスは同業の他社の指導で店頭市場に上場を果たしたのですが、オーディオブームが終わると業績は急低

下し、他の企業グループの傘下に入って再建への道を歩むことになってしまったのです。

‥‥アナリストはラックスのアンプが非常にフィットしたハチの雰囲気は、そう簡単に世間には拡がっていかな

い“特殊で贅沢な”世界のものだとすっかり合点がいったということだったのです。

 

 

<その時流れていた曲ではありませんが、エロール・ガーナーの“Autumn Leaves”です>

 

Photo


http://www.youtube.com/watch?v=mtmRazXGnF4

2013年9月13日 (金)

「ハチ」‥9

 さてハチのお客さんの中には色々な人達がいて、ほとんどが私がハチの常連になる以前からの経緯や因縁に

るものなので、それに私が異議を言える立場ではなかったとはいえ、私から見て「何でこの人達がいるん

だろう?」と不可解に感じ、結局最後まで腑に落ちなかったことがあります。それは一群のSFファンのことで

す。SFつまりサイエンス・フィクション(空想科学小説)のことですが、ハチに通うようになって暫くして気

が付いたことに、時々明らかなSFファン(今風に言えばSFオタク、SFキャラ。もちろん外見から分かるはずは

なく後で知ったのですが)の、ほとんどが二十歳前後の若者(男女)で構成されている人達がハチに集まって

くることがあったのです。彼らはいわば“半常連”で、私のように単独でいつの間にか常連に“認定”された

ということではなく、つまり一人で来てさりげなくカウンターに座り酒を飲むのではなく、34人から多い時

78人で来てホールのテーブル席の方に陣取り慣れた雰囲気でワイワイガヤガヤとそれなりに楽しそうに過

ごして帰っていくのです。時々ハチママもそのグループの方に顔を出し話に加わったりしていたので、後で聞

くと「あれはSFファンの子達や」ということでした。それ以上詳しい説明もなく、私もSF小説は小学校時代に

子供向けのものを少し読んだくらいであまり縁がなく興味もなかったのですが、やがてある特定のイベントが

ハチである時に彼らも集まってくるということが分かりました。それは一つは“山下洋輔トリオ”のライブの

時、一つは“筒井康隆の集い”の時です。しかし後から聞いて山下洋輔と筒井康隆は、その細かい経緯は知

りませんが、極めて親しい友人同士だということが分かりました。そしてハチに来るSFファンとは筒井康隆フ

ァン、言い方を変えれば“筒井康隆の追っかけ”だったのです。彼らにすれば筒井康隆は憧れの人でありいわ

ば“教祖様”だったのでしょう。従って教祖様が山下洋輔と親しく、そのジャズが好きなら自分達も好きなの

であり、そのパワースポットがハチであれば何かの時にはすぐにハチに集まるということだったのです。

 そんなことが薄々分かってきてから私は筒井康隆の本を何冊か文庫本で読んでみました。当時ですから筒井

康隆の初期の頃の本で、「幻想の未来」「家族八景」「時をかける少女」「俗物図鑑」「狂気の沙汰も金次

第」などですが、それらの底に共通して流れていた要素は、前衛性、ナンセンス、スラップスティック(どた

ばたギャグ)で、ああなるほどこれは山下洋輔のジャズやタモリの技芸に通じるものだとすぐに感得できまし

た。それでもなぜ筒井康隆の“追っかけ”がいるのか、なぜ二十歳前後の若者達が“ワーイ、筒井せんせ

ー!”とばかり離れず纏わりつくあり様なのか、そして何よりも筒井康隆自身がこの“追っかけ”の存在を

どう思っていたのかは結局聞けずじまいだったのです(ハチで何回か筒井康隆を見たにしても親しく話したこ

とはありませんでした)。それを深く追求したところで、私がハチでジャズに耽(ふけ)るのと、筒井康隆の

“追っかけ”SFファンになるのと本質的に大した差はないかも知れないと、腑に落ちないながらも感じていた

のです。

 

<文面とは関係ありませんが、ルイ・アームストロングの「バラ色の人生」です。ハチに行けばどこかで必ず

この曲がかかったものです。お兄ちゃんが一番思い入れのあった曲だったようで、それはハチとともに歩んだ

人生が「バラ色の人生」だったのでしょう。>

Photo_2


http://www.youtube.com/watch?v=HsLLfrRg4To

2013年9月10日 (火)

「ハチ」‥8

 さて山下洋輔トリオのことを語ったらタモリも語らないわけにはいきません。ハチに通うようになって23

した頃いつものライブ後に店内での打ち上げで飲んでいた時、山下さんが「次のライブの時にタモリというちょ

っと変わった男を連れてくるから楽しみにしてて」と話したのです。「え、タモリ?ヤモリやのうて?」とハチ

ママ。「いやタモリ、僕らはタモリと呼んでいる男なんですよ」と山下さん。これが私達が「タモリ」という名

耳にした最初でした。もちろんテレビなどに登場する前なので私達がタモリを知る由もありません。そしてそ

年の師走のハチでのライブ・セッションの時にタモリも来たのです。ライブ中に見た記憶がありませんのでこ

によったら打ち上げの頃に来たのかもしれません。サングラスだったか片メガネ(アイパッチ)だったかも

記憶が定かではありません。この日は年内最後の山下トリオのライブとあって、狭い店内が超満員電車状態で、

ライブが終っても打ち上げパーティーに残る客も多く辛うじてしつらえた席に皆やっと座っていました。私達常

連はカウンター席の奥のほうで遠目に様子を眺めているだけでした。この時にタモリが例の“密室芸”をやった

ような記憶はやはりありません。ただやがてサックス(坂田明)の “キャラバン”が鳴り出すとタモリが椅子の

に立ち上がり“ストリップショー”を始めたのです。この時は女性客も大勢いたのですが、タモリは全裸にな

て誰かの帽子で秘部を見せ隠ししながら音楽に合わせてくねくねと踊り、テーブルからテーブルへとゆっくり

び移っていったのです。そして油断した若い男のメガネを奪い取るとそれで秘部を擦ったりするのです。間近

見た人によれば“オトコのモノ”を紐で結わえて後ろ側に回して貼り付け、従って前から見ると“女性”のよ

だったそうです。とにかくその時すでに、人を笑わす芸においては度肝を抜く奇想天外な発想と並外れた芸の

かさを具え持っていた人間だったのです。山下さんにより博多のホテルで偶然“発掘”された森田という男は、

 やがて“怪人タモリ”としてラジオやテレビの深夜番組などに登場するようになったのはそれから1年もしない

うちだったのです。

 タモリのなかではその話芸とジャズのアドリブ(学生時代トランペットを吹いていた)とが一体通じ合うもの

なのかは私には分かりません。しかしジャズのアドリブが実は即興的フレーズの技巧的蓄積がなければできな

と言われるように、似非(えせ)外国語(ドイツ語、フランス語、スペイン語、中国語、朝鮮語、ベトナム語、

スワヒリ語‥‥等々すべて“それまがい”の語)を縦横無尽に操る話芸も、各国語ごとに違う発声・発音の語感

の微妙な差異についての膨大な記憶がなければまずできないことだろうと思います。恐らくその記憶力に“異能”

と言えるものがタモリには具わっていたのでしょう。

 

<ご覧になった方もいるかもしれませんがタモリの技芸の一端を見せたビデオです>

Photo

http://www.youtube.com/watch?v=gGYwotxeXnA

http://www.youtube.com/watch?v=CtxRsrhQIT0

2013年9月 8日 (日)

「ハチ」‥7

 毎年88日は有名なジャズバンドによるライブ演奏が夕方からハチで行なわれるのがお決まりになっていま

た。そして私が常連だった頃はいつも“山下洋輔トリオ”が東京から来てのライブセッションだったのです。

当時のメンバーは山下洋輔(ピアノ)、坂田明(アルトサックス)、森山威男(ドラムス)でした。特にリー

ダーの山下洋輔氏とハチとは深い繋がり(因縁)があり、今でも交流が続いているようです(今年も当初は山

下洋輔氏の公演予定だったのが山下氏の急病により中止になり、パーティーだけだったようです)。他の二人

も今はそれぞれ自分のバンドを組んで活躍しています。このトリオの“ウルトラパワフル”な演奏スタイルは

つとに有名で、1970年頃に山下洋輔トリオが初めて大阪でライブを行なった時に会場のピアノの弦を切ったり、

ドラムスのペダルを折ったりしたことがあったそうで(これだけ聞くと子供のイタズラみたいですが、実際ピ

アノの鍵盤をゲンコツし、肘打ちもカマシますから)、その他にも別のコンサートホールでのライブの時に

“想定外の大音響”が他のフロアーに漏れて大騒ぎになったりした、そんな時にひたすら山下洋輔トリオの味

方になって庇ったのがハチママで、そんなことが縁でそれ以後、山下洋輔氏とハチとの“やんごとなき”信頼

関係ができ上がり、これが今でも続いているというわけです。

 山下洋輔氏についてはジャズに興味を持つ人なら今や知らない人はいないと思いますが、当時はまだ“フリ

ージャズ”という演奏スタイルは一般的にあまり馴染みがなく、山下洋輔トリオのライブに初めて足を運んだ

人はまず一人の例外もなく“全身総毛立ち”という体験をしたことだと思います。もし体質的に“騒音”に弱

い人がこのトリオのライブセッションに遭遇してしまった時は早目にその場から逃げ出さなかったら間違いな

く“病気”になってしまったと思います(高血圧や耳鳴り症状が1週間くらい続くといった)。私が初めてこの

トリオの演奏を聞いたのはハチの常連になって間もない頃で、大阪厚生年金会館での“山下洋輔トリオ+1

(プラスワン)”と銘打った公演でした。最初にリーダーの山下洋輔氏が飾り気の少しもない挨拶をした後いきな

り“驚天動地”の大音響が爆発したのです。私は“床が震える”ということが実際にもあるんだと初めて知っ

たのです。私は“こりゃまた一体‥‥!!”と目を見張るばかりで、「もの憂げでリラックスした音楽=ジャズ」

という私の先入観はどこかに吹き飛んでしまいました。‥‥そして+1(プラスワン)の登場、それは何と、ハチの

お兄ちゃんだったのです。事前には何も知らされてなかったので聴衆全員“オー!”と歓声をあげるの

束の間、トリオの誰にも負けない位のパワフルなトランペットの“雷鳴”を轟かせたのです。お兄ちゃん得

のメロディックなスタイルは打ち捨てられ、ここにおいて紛う方なき“フリージャズの権化“となりきって

たのです。これは(ハチママ以外の)誰もが初めて見るお兄ちゃんの姿だったはずです。あっという間のワ

コーラス後には割れんばかりの拍手・歓声です(後日聞いた話では、山下洋輔氏からはバンドへの加入を強

誘われたそうですが、お兄ちゃんには一旦引退した立場を覆す意志はなかったそうです)。この時の最初の

目は「ハチ」だったのではないかと思いますが、このライブ録音がどこかにあればまた聞きたいものです。

 その後、ハチでの山下洋輔トリオのライブを何度も“目の当り”で聞けるようになりました。やがてトリオ

もドラムス、サックスとメンバーが入れ替わって行ったのですが、お兄ちゃんが+1(プラスワン)で共演するこ

とはありませんでした(打ち上げで遊びでいっしょに演ることはありましたが)。その意味でもあの時のライ

ブ録音を捜してみたいものです。

 

1975年のドイツでの山下洋輔トリオのライブセッションで演奏された「ハチ」です。

ドイツの聴衆が驚嘆した雰囲気が伝わってきます。>

Photo

http://www.youtube.com/watch?v=VTTBgUxcMfQ

2013年9月 4日 (水)

「ハチ」‥6

 ハチの常連同士がお互いにアダ名か通称で付き合いを済ませているのは、ある種の“すがすがしさ”があっ

てよくできた慣わしだと皆思っていましたが、時に思わぬ落とし穴もあるものです。

 翌日が休みの金曜日にはたまにあることでしたが、ハチで私を含め常連5人が夜1時過ぎまで飲んでいたためも

終電もなくなりました。今のようにネットカフェもなかった時代で、初夏の頃とは言えまさかホームレスのよ

に地下街にダンボールを敷いて寝るわけにも行かないので、タクシーを拾って家(会社の寮)に帰るしかあ

りませんでした。5人のうち1は自分の家(アパート)に帰ったのですが、他の3人は時間が遅すぎて会社の寮に

入れないので私の寮に泊めてくれと言うのです。割り勘でタクシー代を出し合い寮に2時過ぎに着いて、私の6

一間4人で雑魚寝したのですが、そのうちの1人ヤノちゃんだけは土曜日も出勤だったのです。朝7時前に目覚

めたらしく、そっと起き出して部屋を出て行く気配はかすかに感じました。

 ヤノちゃんはスンナリ出て行くつもりが、靴を履いたりする物音がしたためか玄関横の寮の管理人室から覗

管理人に呼び止められてしまいました。管理人は寮生とは違う見慣れない顔なので「アンタ誰や?」と声をか

けたのです。しかしヤノちゃんは「モーさん」以外に私の名前が出てこないので、しどろもどろ要領を得ない説

明をしているうちに、管理人に“寮荒らしのコソ泥”かと怪しまれてしまい、警察を呼ぶからと言われてしまっ

たのです。ヤノちゃんは「いや、そうじゃないんです、私が泊めてもらった知合いの部屋に行ってその人を呼ん

でくれば分かりますから!」と言ったのですが、管理人は袖をつかんで放そうとしません。

 そんなことで騒ぐ声が聞こえてきて(私の部屋は2階の出入口に近い場所でした)私はハッと目を覚まし、アレ

はひょっとしたら?と思い当たって玄関ホールまで降りて行くと、泣きそうな顔をしたヤノちゃんがいるのが

え、すぐに私は「ああ、管理人さんその人は私の知合いなんですよ!」と釈明してやっと事なきを得たのです。

寮生が会社の同僚を連れてきて泊めることはたまにあることだったとは言え、泊めてもらった本人の名前を知ら

ないことがあろうかと、その時に訝(いぶか)しげな顔を管理人がしていたのですが、また2時間ほどしてか

更に2人見慣れない人間を私が連れ出すのを見てどう思ったのかは知りません。

 翌週34日したころハチに行くとこの話が既に伝わっていて、お兄ちゃんから「モーさん、えらい迷惑なこ

やったなー」とねぎらわれ、やがてヤノちゃんが入ってくると「アンタ誰や!」とからかうのでした。

 

<この時ヤノちゃんにとってはそれどころではなかった、「朝日のようにさわやかに(Softly as in a Morning

Sunrise)」です。MJQ他多くのジャズメンの演奏がありますが、ここではソニー・クラークの演奏を載せて

おきます。この曲の“あわれみ”を最もよく出していると私が感じたからです。>

Photo_2Photo_3

http://www.youtube.com/watch?v=KUaOyC4h5xk

2013年9月 2日 (月)

「ハチ」‥5

 少し硬い話になりますが、「ジャズ」とは何でしょうか。つまり日本ではこの音楽がどう定義・理解されてい

るのでしょうか。“日本では”と言うのは、どうも生みの親のアメリカで理解されているジャズのスピリット

と、日本で日本人の感性で理解されているジャズのスピリットが同じではなく、いわく言いがたい差異がある

のを感じるからです。これは一言で言えば“伝統文化としての音楽の歴史的差異”(また何と硬い言い方

でしょうか!)からくるものかも知れません。本場のアメリカでもジャズは一元的なものではなく、ディキシ

ーランドジャズ、スイングジャズ、ビー・バップ=モダンジャズ、フリージャズ、フュージョン‥‥と時代的

変遷と重ねあわせてジャズには幾つかの異なるスタイル=ジャンル=様式があるものとしています。これはそ

もそも言葉で説明するよりもその音楽そのものを聞く方が簡単に理解できると言っていいことなのでしょう。

 広辞苑で「ジャズ」を引くと「アメリカに発生した民衆音楽。黒人の民族音楽がヨーロッパ音楽と融合してで

きたもので、主にピアノ、トランペット、サキソフォンなどヨーロッパ音楽の楽器を用いる。アフター・ビー

トによる独特の力強いリズムを持ち、集団的即興演奏を生命とする」と出ています。また岩波の国語辞典で

は「アメリカの黒人の間から出た、不協和音の多い陽気な音楽。また、それに合わせて踊るダンス音楽」とな

っています。これらをつづめて言えば「アメリカの黒人がやる騒々しいが陽気でダンスもできる音楽」という

ことになるでしょう。ところがジャズを生んだアメリカにおいてこのような説明がされているなど聞いたこと

がなく、これらはみなジャズに対する日本人的理解を表現したものと言っていいでしょう。さらに楽律論的な

解説までいくと「ブルーノート音階の短調を基調とする音楽」と、ますます硬い言い方になってしまうのです。

 しかし先入観を捨てて私なりに素直に言ってしまえば、ジャズとは「もの憂げでリラックスした音楽」あるい

は「もの寂しく恨めしいあわれみの音楽」というものだと思います。そしてジャズの代名詞とも言えるモダン

ジャズの数ある曲の中でも、日本人にとってジャズの“taste”を最も典型的に理解させた曲が「モーニン」だ

と言った時にジャズ好みの人間のほとんどが賛成するだろうと思うのです。そう、あの“ジャズの伝道師:ジャ

ズ・メッセンジャーズ”(リーダーはアート・ブレーキー)の1960年代の日本で大ヒットし、日本のモダンジャ

ズブームの先駆けとなった曲です(作曲されたのは1958年です)。そして知る人ぞ知る、“裏通りで蕎麦屋の

出前が「モーニン」を口ずさんで通り過ぎた”が嘘のような本当の話としてこっそり語られたりしたのです。

アメリカのゴスペル音楽にインスピレーションを得て作られた曲と言われていますが、上で色々述べた定義に

もなるほど良く当てはまっているのではないでしょうか。ところがこの「モーニン」は日本でこそ大ヒット

しましたがアメリカでは特別に騒がれたわけではなく、ごく普通の“いい曲”の一つに過ぎなかったのです。

この点なども最初に述べたジャズに対する理解の質の日本とアメリカの彼我の差を示すものと言えそうです。

<アート・ブレーキー&ジャズ・メッセンジャーズの「モーニン」です>

Photo

http://www.youtube.com/watch?v=VKXsnDvILmI

« 2013年8月 | トップページ | 2013年10月 »