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2014年2月

2014年2月24日 (月)

「品定め」‥4

馬頭(うまのかみ)は「期待通りの相手でなくても別れずにいる男にはまごころがあるように見えますし、捨

てられずにいる女にも何かいいところがあるのでしょう。‥ところが、容姿が美しく文を書くにも細やかで、

かつ言葉少なでやきもきする程の人が、つい機嫌をとっているとが然色気付いてこちらが興冷めしてしまう

という難点があるものなのです。そうした情趣本位になりすぎるのも困りものなのですが、家事一点張りで

色気のカケラもなく、こちらが仕事の独り言をもらしたような時に「何か?」と間の抜けた顔で見上げられ

たりしたら、ただいまいましいだけでしょうよ。‥‥では、一途に子供らしく素直な女を補い補いして妻と

するのも仕込みがいがあり可愛らしいということかも知れませんが、一緒に暮らしているうちは良くても離

れて暮らすことになった時に、あれやこれやの用事や折々の始末事を1人では判斷できずに行き届いた気遣い

もできないのでは、まったく歯がゆくてこれは困りものです。‥いや逆に、普段は無愛想で人づき合いの悪

い女が、何かの折に目覚ましい働きを示すということもあるのですよ」と、さすがの論客も結論を出しかね

て深くため息を付くのです。

「こうなったらもう、身分にこだわらず顔かたちなどはなおさら論外で、よほどのひねくれ者という感じさ

えなければ、実直で落ち着いたところのある女をこそ、生涯の伴侶と決めておくのが良いというものです。

‥それに加えて、すぐれた資質、気働きの能力が伴っていればもうけものと思い、少しぐらいの不足には

無理な要求はいたすまい。頼りがいがあっておっとりした性質が確かなら、あとは表面的な風流気などは自

然と身に付けられるものですからな‥‥」と、一つの結論じみたところまで話を持って行こうとし始めるの

です。

 今とは違う当時の身分社会という状況の中で、しごく真っ当な見方が打ち出される点には少なからず驚か

されるのですが、これは言うまでもなく紫式部の見識を反映したものです。‥しかしこれからまだ議論は続

きます。

 

23日に相棒と行った鎌倉のハイキングロードもまだ雪が残っています。トレッキングシューズでは

なかった相棒は悲鳴をあげていました>

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Dsc_0961_1(寿福寺)

 

Dsc_0943(小町通り)

2014年2月22日 (土)

「品定め」‥3

頭中将はどうしても中流にこだわるのです。中流と言っても色々な事情で幅があり、成り上がった者でも

の家柄に問題があったり、もとは高貴でも勢いが衰え家計面等で何かと不如意になっている場合もあり、

れも皆中流なのです。その中で地方に任官している受領(ずりょう、国司)で、世間の評判もよく家柄も

はない者がまずまず安楽な暮らしをしている家の中に、まぶしいほどに大切に育てられた娘が立派に成人し、

そのような娘が宮仕えに都に出て望外の幸運を得るという例も少なくないのだと言い立てます。馬頭もほぼ

これに同調して、「高貴な家柄で世間からの信望が寄せられる家で娘が立派に育てられるのは当り前で、も

し躾や風儀が具わってなければそれはもうお話になりません。それよりも、誰にも知られず寂しく荒れ果て

た草深い家に、予想外にも愛らしい娘が引き籠っていたりするものです。‥‥また、年老いて肥えた父親

と顔つきの悪い男兄弟がいてどう見ても大したことはなさそうな家の奥の間に、気位だけは実に高くひとか

どありげの芸事もたしなんだ娘がいたりすれば、思ってもみない興味を引かずにおられましょうか。何一つ

落ち度がないわけではないにしても、それなりの女としてこれは捨てがたいものです」と言って式部丞に目

を向けます。式部丞は自分の家の姉妹たちのことを言われたと思って(ムッとして)物も言いません‥‥。

 そんなやりとりを聞いている源氏の、白いお召し物の上に直衣(のうし)をからげただけで袴も履かずく

つろいだ格好で物に寄りかかっている艶やかな灯影の姿はそれが女だったらいいのにという有り様で、この

方のためにどんな最上級の女を選び出してもまだ足らなそうに見えてしまうのです。‥‥

 様々な人のことについて語り合いした挙句、馬頭は「色々な女と通りいっぺんの仲で付き合っても、いざ

妻として選ぶとなるとなかなか決められないものですよ。家のこと一切を任すほど頼りにできそうな人はな

かなかいないもので、こちらがよければあちらが立たずといった具合に何かしらの不足がどうしてもありま

す。そのあまり、自分で苦労して手直ししなければならないような面倒がない人をと、選り好みするものだ

からいっこうに相手が決まらないんです。‥じゃあ、希望通りでなくても一度夫婦となるのも縁だと割り切

ってしまうという考え方もあるのでしょうが、それにしても周りの色々な夫婦の仲をたくさん見てきますと、

なるほどと心惹かれ感心するものはまずお目にかかりませんな。‥若殿方(源氏、頭中将のこと)の最上の

人選びとなりますとなおさらのこと、一体どんな方がお相応しいのかほんとうに難しいですね」と話を続け

ていくのです。

 

 <2週続きの大雪で、私達の住宅街でも道の傍に1m近くもかき寄せられて解けない

 ままです。

  公園内も積もったままなかなか解けません。もう降らないようにと願っているの

 ですが‥‥>

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2014年2月18日 (火)

「品定め」‥2

この巻の題「箒木(ははきぎ)」とは、遠くからは見えるが近寄ると見えなくなると言う空想上の木のことです。

これは人の世の物事の喩えなのでしょう。人間はある理想、目標を宛てにして進んでいくものの、そこに辿り着

いた途端それを見失って原野をさ迷うことになる‥‥あるいは源氏物語全体がこれに喩えられると言おうとし

ているのかも知れません。紫式部は最初からこのような哲学観(人生観)を持ってこの物語を書いたと言っても

いいのかも知れません。

 さて、源氏は今上帝(桐壺帝)の次男で17才、既に12歳で今上帝の妹と左大臣の間の娘(葵の上)と結婚して

います(今で言えば従姉との結婚ですが当時は普通のことでした)。その妻の兄(義兄、従兄)にあたる頭中将

(とうのちゅうじょう)は子供の頃から何くれとなく源氏に目をかけて、昼夜となく勉学や遊びを共にし源氏も

他の誰よりもこの頭中将に慣れ親しんでいて、お互いの私室にも自由に出入りして言いたいことは何でも話す間

柄なのでした。この二人は皇族(貴族)の家柄で後々には朝廷の重要な地位に昇り詰めて行くのです。

 そんな梅雨時のある夜、暇を持て余している源氏の私室に頭中将がぶらりと訪れてみると、源氏が何やら女性

からの手紙(ラブレター)らしきものを整理しているのを目にします。興味を引かれた頭中将はそれを見たがる

のですが、源氏は見られてもいいような無難なものしか見せません。つまりこの時既に源氏には複数の交際相手

(今の基準では計れませんが軽いのから重いのまで)がいて、文通をしたり夜通ったりしていたのです(結婚し

ていてもそれが許される世だったのです!)が、そういった形跡が手紙として残っているということです。一見

世間並みの色恋沙汰と無縁な貴公子のような源氏にも実は悩ましい恋のふるまいの面があったのです。‥頭中将

当り障りのない内容のものでなく、心情(恋情)を吐露したきわどい、面白そうな手紙を予想したのですが、

源氏は高貴な方(藤壺の宮)からのものは隠し、差し支えないようなものばかり見せます。頭中将はその色々な

手紙を見て当て推量に、「これはあの女からか」とか「こっちはあの女か」などと詮索し、見当違いもあれば言

い当てるのもあって源氏は内心ハラハラしながらもどうにかごまかして、手紙をしまい込んだのでした。

 そして今度は源氏が「あなたの方こそたくさん手紙を持っているのでしょう、それを見せてくれたら私も隠し

ているものまで見せますよ」と逆に切り出します。すると頭中将は「いや見せるに値するようなものはありませ

んね。‥‥それと非の打ちどころのない女性など滅多にあるものではないこともようやく分かってきました」な

どと言い出したのです。さらに、「字がさらさらときれいに書けたり、その場その場で如才がないなどは、身分

次第でいくらでもいますが、本当にその面で優れている人を見極めようという段になると文句なしに目にかなう

ことなどまずありません。‥‥自分の自慢ばかりして人を悪く言って見苦しかったり、親や世話をする人から

甘やかされながら身に付けた技芸ぐらいで心惹かれる男もいるかも知れませんが、‥‥いざ付き合ってみると

がっかりしてしまうということばかりなのですよ」と自信満々に自分の豊富な経験から語るのです。また源氏が

「いったいまったくとりえのない女の人がいるのでしょうか」と聞くと「それが最初から分かっていれば誰も

り付きませんよ。まったくとりえのない人とまったく完璧な優れた人というのは共にまずいるものではないと

えばいいでしょう。‥そもそも上流の生まれの人は大事に育てられて欠点も隠され自ずから格別な扱いとな

いるものです。中流の生まれの中にこそ気性や考え、好みも表に出てはっきり見極められる人がいるのですよ。

下層の身分の人ともなれば取り立てて注意することなどありません」と、すべてを知り尽くしている面持ちで語

るのです(頭中将も右大臣の娘と既婚の身です!)。

 源氏は、出世したり落ちぶれたりの栄枯盛衰が多い世の中でその上、中、下の類別もそれはそれで難しいので

はなかろうかと尋ねだした時、宮廷に仕える気の置けない仲間である左馬頭(ひだりのうまのかみ)と藤式部丞

(とうしきぶのじょう)がやって来ました。二人ともこのようなことの通人でおまけに口達者ときているので、

いよいよ女の品定めの話が白熱化しそうな雲行きです。

<スナップは1月に行った鎌倉・長谷寺でのものです。春から秋まで様々な花が咲き乱れるところですが、この

時期は咲いている花はありませんでした。少し高台にありますので由比ヶ浜の海も間近に見下ろせます>

Dsc_0807(観音堂)


Dsc_0802(阿弥陀堂)

Dsc_0812(千手観音)

Dsc_0822(経蔵)

Dsc_0803(鐘楼)

Dsc_0816(由比ヶ浜の眺望)













2014年2月16日 (日)

「品定め」‥1

 源氏物語を昨年初めて読み非常に面白かったので、その中でも特に興味を引いた箇所を中心にお話してみよう

と思います。こんなことをやろうとするのは、私自身がそうでしたが、我国のこれほど有名な小説(物語)であ

るにもかかわらずほとんどの日本人に読まれていない(読むとは読了の意味です)のが、不思議であると同時に

何か非常に残念でもあるように思ったからです。この一番の理由はこの小説が1,000年も前に書かれた長編の古

典であり、当然古文で書かれているという点でしょう。最近は現代語訳で書かれたものも各種出ていますが、も

とは古文であるということでまず躊躇が先に立ってしまうのでしょう。それにわざわざ源氏物語を読まなくても、

本屋を覗けば内外の面白い本は一生かかっても読み切れないほどありますから。

 私にしてからがこれを読むきっかけは、以前友人と飲んだ時に、「死ぬまでにヤッパリ読んでおいたほうがい

い本は‥‥」という話になって、それならまず源氏物語だろうという話になったからで、それまでは読むことな

ど頭にかすめたことすらなかったのです。それでも実際に読み出したのはそれから1年以上経って、私が煩わし

い病気にかかって入退院を余儀なくされた時に、それならいっそのこと源氏物語でも読もうと、動機としてはま

あ感心するものでもありません。一言で言えば“暇つぶし”です。昨年の春先から読み始めて年末近くに読み終

わり約9ヶ月余りかけてのものでしたが、それをかの友人に今年になって話しましたら、その“根気の良さ”に

とても驚いていました。友人は昔読みかけてすぐに放り出してしまったそうで、今は視力も落ちてとても読む気

にならないようです。‥‥‥こう言いいますと何か私の自慢話めいて取られるかもしれませんが、それはまった

く逆で、むしろ自分の恥を告白するようなものなのです。その意味は追々お分かりになると思います。

 まずお話したいのは初めの方の「箒木(ははきぎ)の巻」の中の<雨夜の品定め>という章です。ここは初夏

の長雨の夜に光源氏を含む4人の若者が某所に集まって女の品評会をやるというものです。1718才の少年の集ま

りですから、悪友同士の女談議と言えばいいでしょう。このようなテーマで今書かれれば十中八九は猥談となる

のでしょうが、はたして紫式部はこれをどう書いているでしょうか。

このシリーズのタイトルも「品定め」としました。

なお、私が読みましたのは小学館「古典セレクション:源氏物語全16巻」(16分冊)です。

<スナップは先週の大雪3日後の散歩公園でのものです。ほころび始めた梅も寒そうでした。

肩の高さ80㎝以上もありそうな犬に、思わず道を譲りました>

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2014年2月 4日 (火)

「ハチ」‥35

「ハチ」シリーズもこの辺で切り上げようと思います。私のような“団塊の世代”(この呼び方は好き

はないのですが)から見てのジャズ喫茶の今昔物語のような話を少ししてみましょう。日本の昭和40年代は

ジャズ喫茶の黄金時代と言ってもよかったと思います。高度成長に伴って社会全体に“ハングリー”感が覆

っていて、特に東京や大阪といった都会には時間はあり余っていてもお金がない学生が溢れていました(学生

運動の嵐も起こるべくして起こりました)。彼らの行動パターンは、バイトをする、パチンコをする、麻雀を

する、映画を見る、恋人漁りをする、下宿(間借)でボーっとしている、というものでした(学生ですから勉

強が本業ですがそれは書くまでもないことです)。そして、それらの中に少数派ですが“ジャズに凝る”とい

うのもいました。凝り方は色々で、ラジオのジャズ放送を聞く、ステレオを持っていてジャズのLPレコードを

聞く、ジャズ喫茶に入り浸る、というのが主なパターンでした。私はといえば大学3年目に留年し、暇を持て

余す生活状態になった時のある日、間借りの6畳間でうたた寝をしている時にラジオから流れてきたジャズを

ふと耳にしたのがこの音楽にハマるキッカケでした。それまで耳にした歌謡曲やクラッシック、その他の軽音

楽などの何れとも違う不思議なリズムとメロディーを持った音楽を聞いていると、終わりに曲名と演奏者名の

説明があり初めてそれがジャズ(モダンジャズ)だと知ったのです。それからは毎週決まった時間のジャズ番

組を忘れない限りはよく聞くようにして、耳も肥えていったような気がします。それと同時に、それまでは入

るのに何か違和感(孤独な暇人で溢れているという異様さ)を感じたジャズ喫茶にもそれほど抵抗なく入るよ

うになりました。そして、前にも述べた、ジャズは(哲学と同じく)性欲の変形だという感慨を何の疑問もな

く抱いたのでした。“プロテスト・ソング”といえば反戦フォークをまず連想するかも知れませんが、理由が

不明な反抗気運のようなものが心の奥深い処にこもるという点では、ジャズこそがプロテスト・ソングの本質

的性格を具えていたように感じます。日本では70年安保闘争の終焉とともにプロテスト・ソングの存在理由が

消滅に向かうのと歩調を合わせるようにジャズブームも下火となっていき、あれ程たくさんあったジャズ喫茶

も急速に数を減らしてしまうのも、このことの符合を強く印象付ける事象であったように思います。昭和40

代のハングリーな社会的雰囲気とジャズ喫茶の隆盛とはやはりどこかで濃密につながっていたものだったと言

っていいでしょう。

 ちなみに、私の一回り上の年代の人達においては、ジャズは進駐軍とともに入ってきたスウィング・ジャズ

のことで、ダンスホールで踊る音楽だったのであり、プロテスト・ソングというような意味合いはまったく

薄なものだったようです。後年「ハチ」でその年代の人とジャズ談義をするようになってそのことが分かった

のです。それと私らの年代の人間が持っているジャズのスピリットも、時代性を帯びた特殊なものらしいこと

も何となく分かってきました。私らのモダンジャズも既に歴史的な音楽となってしまった観があるのです。今

でも若いジャズファンはいますが、私らが感じたジャズの持つ“反社会的スピリット”を彼らに説いてもま

ったくピンとこないことは請け合います。

 そしてジャズ喫茶の黄金時代は再び巡ってくるでしょうか。それはまず99%ないでしょう。“モダンジャズ”

は今や“クラッシックジャズ”となってしまいました。本場のアメリカですらジャズはかつての圧倒的な熱気

放った“革新的音楽”の地位のものではなくなったように見えます。もちろんジャズが消滅してしまったわ

ではありません。いわば成熟して、数ある音楽ジャンルの一つとしておさまったというようなことかも知れ

せん。あるいはかってのチャーリー・パーカーのような“天才”がまた出現して“第二のモダンジャズ”

を生み出さないとも限りません。しかしこれは誰にも予測ができないことだと言わざるを得ません。私として

は長年慣れ親しんだモダンジャズをこれからもノスタルジックに聞き重ねていくだけです。

<今日のジャズはマイルス・デイビスの「Rated X」とオーネット・コールマンの「Snowflakes And Sunshine」です。

ジャズの持つ革新性がたどり着いた極北点のような曲です>

http://www.youtube.com/watch?v=mrjFtbGKqFk

http://www.youtube.com/watch?v=y09k4zyIfO8

スナップは、梅がほころび始めた鎌倉の荏柄天神社(えがらてんじんじゃ)でのものです。

頼朝が幕府の鬼門の鎮守として建立した神社で祭神は菅原道真です。そこに近年の漫画家

寄せたカッパを描いた「絵筆塚」があり、私が好きだった「はらたいら」さんを探した

のですが見つかりませんでした。根回りの幹の直径が2mはあろうかという大銀杏の木も

ありました。

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