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2014年3月

2014年3月27日 (木)

「政治家のスキャンダルとマーフィーの法則」(品定め番外編)

 昨年後半世上を揺るがせた猪瀬直樹前東京都知事に続いて、渡辺喜美みんなの党代表の不正資金疑惑が浮上し

ました。また少し前には小沢一郎の資金疑惑事件が話題となっていました。こういう時に決まって出てくること

は、このような事件と政治的な思想・信条に因果的に結びつけて非難するというものです。“あんなことをいつ

も言い、やってきた人間だからこんな事件を起こすのは当然だ”という類のものです。もっとひどいのは“あ

の顔を見ればこの事件を起こすのは予想できた”というものまであります。いったい、その「当然」や「予想」

がどう理屈立って説明できるのか聞いてみたいものですが、そもそもこのような非難には冷静な説明など無縁で、

スキャンダルが露見すると同時に吹き出るという経緯をたどるばかりなのです。実はこういう非難くらい荒唐無

稽なものはないと言っていいと思います。このような非難の「当然」や「予想」が前もって示されることなど決

してなく、いざ事が起こってはじめてこうした“決定論(こうなることは決まっていた)”として湧き上がって

くるものであり、根拠を示した正当な説明がなされることなどないからです。これは非難する多くの人達の心に

潜在的に、妬み、やっかみ、反感があったため、このスキャンダル発覚で溜飲が下がることからの現象なのかも

知れません。あるいは“勝てば官軍負ければ賊軍(負けた途端に賊扱いする)”という人間一般の心的傾向のな

す業かも知れません。もちろんスキャンダルを起こした人に責任があるのは間違いなく、弁護される余地はほと

んどないと言っていいでしょう。しかもこの人達は自分でスンナリ罪を認めて役職辞任や議員辞職をすることは

稀で、この疑惑に対してあくまでシラを切り通し、ギリギリまで世論(非難)に抵抗する姿勢を見せ続けるので

同情すらされず、やがて非難の声が更に一層高まり、結局は万策尽きて辞任・辞職に追い込まれるケースが大部

分となります。‥‥最近この手のことがやたら多いんではないかという気がします。そしてここで起きているこ

とはいったい何なのかを考えてみたくなったのです。

 そこで“マーフィーの法則”です。これは「まずいことになる可能性がある場合、必ずまずいことになる」と

いうものです。もともとの英語の原形はIf it can happenit will happen.です。従って、起こり得るのはま

ずいことだけではなく、いいこともです。しかし、まずいことが起こった後によく(冗談半分に)当てはめて

言われるようになったのです。この“法則”は数学的真理を解明したようなものではまったくなく、人間が犯す

錯覚の性癖をうまく語る点で“心理学的真理”を説明したものと言えばいいのでしょう。もちろんこれは後講釈

の典型のもので、正当なものではありません。しかしこれが“法則”と呼ばれるゆえんは、社会の色々な出来事

のなかの、理不尽で不可解に見えることを一見うまく説明してしまう点にあります。腑に落ちないことが腑に落

ちてしまうのです。正しいという根拠はないにもかかわらずです。卑近な例を上げれば、森喜朗の「あの娘、大

事な時には必ず転ぶんです」がまさにこれでしたし、日本のことわざにも「弱り目に祟り目」「イワシの頭も信

心から」「泣き面にハチ」などたくさんあります。すべてのことわざがそうだとも言えそうです。従ってまた、

政治的なプロパガンダにも非常に利用されやすいものです。例えば最近の中国・韓国の日本バッシングの論法は

ほとんどがこれと言っていい代物です(ですからそういうものとして対処すべきでしょう)。

政治家に話を戻すと「スキャンダルを起こす政治家は、もともとスキャンダルを起こす素質があったのだ」とな

ります。テレビや新聞の論調も、また義憤的コメンテーターもみな“マーフィーの法則”に乗っかったものと言

っていいでしょう。

‥‥最近の“事件”にはこの類の話がかなり多く、いいかげん辟易しているというのが正直なところですが、そ

の一方で本当にクリティカル(危機的)な状況も目に見えず迫っているのではないかと微かに危惧もしているの

です。

<画像は知人の写真からです「山と花」>

Photo

2014年3月22日 (土)

「品定め」‥9

 頭中将は「まだ生きているとしたら、心細い身の上で落ちぶれた暮らしをしているんでしょうか。もっとうる

さいくらいに私につき纏ってくれていたらあんなに途絶えさせることもせずに、しかるべき通い処としてずっと

面倒を見てやることもできたであろうに、‥‥あの幼子のことを考えると何とか捜しだしてやりたいのですが未

だに消息がつかめないのです。こうした女も先ほどの頼りない部類の女だったのでしょうね。‥‥とにかく、

あの口やかまし屋の女も忘れがたい点もあるとはいえ顔を突き合わせて暮らすとなると辟易する時もありましょ

うし、また芸達者で才気があっても浮気な性分は許すことなどできません。‥この様々の良いところだけを取

り揃えた、難点のない女がはたしているものでしょうか。まあ吉祥天女(きちじょうてんにょ)のように完璧な

妻を望んだとしても逆に抹香臭くて人間離れして興ざめでしょうな」と言うと、皆が笑ってしまったのです。

 こうして最初の、理想的な女性は得難いものだという話にどうしても戻ってしまうのですが、今度は式部丞

しきぶのじょう)には変わった面白い話があるだろうと、何か話すよう頭中将がせき立てるのです。4人の中で

は位が一番低く、はじめのうちは遠慮がちにではありましたが、式部丞は才気走った女の話を始めたのです。

 「私が学生であった頃、ある先生の娘といい仲になったのですが、これがまた大変な才媛で、生半可な男では

相手にならないほどでした。この女が私にはことに情け深く世話を焼いてくれまして、私はこの女を師匠にし

て漢文を習得したと言っても良いくらいなのです。しかし妻とするにはこちらがあまりに頭が上がらないので、

腰が引けてしまうのでした。そんなことで暫くご無沙汰していたある時ふと立ち寄ってみますと、直接会っては

くれず、物越しに話をするだけです。すねているなら、ちょうどこれで縁切りにしようと帰りかけますと、『少

し風邪気味で、草薬を服用してとても臭いのでお目に掛かれませぬが、しかるべき御用なら承りましょう』とも

っともらしく言うのです。さすがに軽率な恨みがましいことも言わず殊勝な様子で、それでも帰ろうとすると、

『この(ニンニクの)臭いがしなくなりましたらお立ち寄りください』と追っかけて言うので私は、

《ささがにのふるまひしるき夕暮れに ひるますぐせと言ふがあやなさ》(蜘蛛の動きから私の訪れることがは

っきり分かる夕暮れに、昼間を過ごせ―ニンニクの臭いが消えるまで待て―とあなたが仰るのはわけが分かりま

せん)<※蜘蛛が巣を張るときは親しい人が訪れる兆しという中国の伝承。昼=蒜ニンニクで、昼間:ニンニクの臭

いがする間という意味。女がニンニクの臭いの話を持ち出すことは普通はない。>

と言い捨てて出ようとしますと、女はすかさず、

《あふことの夜をし隔てぬ仲ならば ひるまも何かまばゆからまし》(夜ごとに逢っている仲でしたら、昼間で

もどうして恥ずかしいことがありましょう―ニンニクの臭いがする時でもお逢いしましょう―)と見事に返答す

るのです‥‥」と式部丞は澄まし顔で言うのでした。これを聞いて皆は吹き出して、「そんなことを言う女がど

こにいるものか、それ位なら鬼を相手にした方がマシだ。作り話だろう、それは!」と呆れ顔をするのでした。

 紫式部自身が男顔負けの才媛だったことを考えると、このエピソードを書くことがやや複雑な皮肉を込めての

ことになるのでしょう。つまり、男感覚で「女の才気」を言うとこうなると書いたものでしょう。

<がぜん春めいて、ツツジなどが満開です>

1(三つ葉ツツジ)

2(クロフネツツジ)

Photo(寒緋桜)

Photo_2(カメリア・ロゼフローラ(椿)の落花)

2014年3月15日 (土)

「品定め」‥8

馬頭はもう一つ浮気な女の話をするのですが、これは人付き合いが良く技芸も達者、容姿も無難だったもの

の、自分以外にも通う男がいて、何のことはない二股をかけられていた女だったというだけの話なので略すこ

とにして、続いて頭中将の内気な女の話に移ることにしましょう。これはこの後に、ある因縁で源氏が付き

合うことになる女「夕顔」のことで、さらに後々にその娘もこの物語の中で重要な役割を演じることになると

いう、数奇な運命の女だったのです。

 「ごく内緒で逢いはじめた女が、馴染みを重ねるうちに情が移ってきて、女からも私を頼る様子がうかがえた

のですが、根がおとなしく可憐で、恨みがましいことは一切口に出さずいじらしいほどでしたので、私をずっと

頼りにするようにと言い聞かせてもいたのです。親もなく心細い有り様で、子供も設けたのですが、愚痴もこぼ

すこともなく、こうもおとなしいのでつい私も安心して久しく訪ねることなく便りもしないことがありました。

ところが後から分かったことが、私の家内の筋から情け容赦のない圧迫を受けていて、気持ちが沈んでいたの

です。そんなことも知らずにいた私に、女は心細く思案にあまって撫子の花を折った手紙を寄せてきました。そ

こには、

《山がつの垣ほ荒るともをりをりに あはれはかけよ撫子の露》(いやしい家の垣根は荒れはてていても、何か

の折々にはお情けの露をかけてくださいませ、その垣根に咲く撫子の上に)とあります。私は思い出すなりすぐ

に訪ねて行きますと、いつものようにわだかまりのない素振りながら物思いも深い面持ちで、荒れはてて露で濡

れる庭をうち眺めて泣いている有り様に私は、

《咲きまじる色はいづれと分かねども なほとこなつにしくものぞなき》(いろいろに咲いている花の色はどれ

が美しいとも区別がつきませんが、やはり、常夏-あなた-に及ぶ花はないのです)と、これから常に訪れる約

束を交わして女(母親)のご機嫌を取り結んだのです。女は、

《うち払う袖も露けきとこなつに 嵐吹きそふ秋も来にけり》(夜がれの床の露を払う袖も涙で濡れている私に、

嵐まで吹き加わって、飽きて捨てられる秋もやって来ました)とさりげなく言いつくろって、恨めしく思ってい

るという様子は見せず、私の薄情さを心底でつらいと思っていると悟られるのは堪えがたいといった面持ちでし

たので、私も気を許し、その後も遠のいておりましたところ、どこぞ行方も知れず、母子とも姿を消してしまっ

たのです。」と頭中将は話を続けるのです。

先ほどの馬頭の話の「指喰いの女」の強情さが消えていて内気で可憐なのですが、肝心な女の本当の苦悩の情

を男が見損なっている点は共通しているというわけです。

 

<スナップは今週初めに歩いた鎌倉祇園山ハイキングコースのものです。八雲神社をスタート⇒東勝寺跡

までの短いコースで、鎌倉駅からも含めて1時間でした。>

1八雲神社

2階段が多い道です

3東勝寺跡(高時腹切やぐら)

4北条一門の菩提所の東勝寺跡。鎌倉幕府140年の歴史が閉じたところ

 

2014年3月 9日 (日)

「品定め」‥7

「実のところこの女と別れるつもりはなかったのですが、こちらからは幾日も便りもやらず遊び回っていたので

す。そしてしばらくたったある雪の晩に宮中を退出して思い巡らした挙句、あんなことの後で気恥ずかしさが残

っていたものの、女のところに立ち寄ってみる気になって行ってみたのですが、女は親の家に出かけて留守で、

ただいつ来てもいいように私の着物をいつも以上に心をこめた色合い・仕立てで用意がしてあったのです。何だ

やはりケンカ別れした後も気を配って私の面倒を見るつもりでいて、これっきりこちらを見捨ててしまうことは

なさそうだと私はたかをくくってしまいまして、その後の女からの手紙には『今までどおりのお気持ちでは辛抱

いたしかねます。心を入れ替えたお気持ちになってくださるのでしたら、一緒に暮らしたいと思います』とあり

ましたものの、私を見捨てることなどありはしないだろうからもう少し懲らしめてやろうと思い、『あなたの言

うとおりにしよう』とも言ってやらずに意地を張っているうちに、女の方がひどく気に病んで、とうとう亡くな

ってしまったのです。冗談もほどほどにしないといけなかったと悔やんで気持ちも落ち込んでしまい、考えてみ

れば、たわいないことでも改まってのことでも相談のしがいがあり、染物や仕立ての腕前も堪能で、すべてを任

せられる本妻ということならあれで十分なくらいの女であったと、思い出すだにかわいそうでならないのです」

と神妙な面持ちで馬頭は話をしたのです。

 頭中将も、たなばたの織姫と彦星の話にもなぞらえそうであった馬頭の経験談に深く同情して、誰にとっても

妻選びは難しいものだと同意するのです。

‥‥お互いの思いの微妙なスレ違いや不運な行き違いが、男の側とも女の側とも言えない原因により生まれてし

まい、悲恋をもたらすことにもなるという、この物語の今後の幾つかの挿話を予知しているとも言えるのです。

 

<先週末に神奈川県西部の小田原の梅林とほら川岸辺の河津桜を見てきました>

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2014年3月 5日 (水)

「品定め」‥6

馬頭は今度は“指喰いの女”の話をします。指喰いとは指に噛み付いたという意味です。「私がまだ下っぱの頃、

通っている女がいまして、顔はまあ十人並みで特に連れ合いにしようとも思っていなかったのですが、何かとこ

んな私の身の回りの世話を焼いてくれ私に嫌われまいと一生懸命化粧をしたり精一杯気を使ってくれたりするの

で悪くはなかったのですが、ただ一つ大変嫉妬ぶかいのが難点でした。当時思いましたのは、むやみに私の言い

なりになってビクビクしているものだから、少し懲りるくらいの目に合わせればこの焼きもち焼きの癖も直るだ

ろうということでした。それでわざと冷淡な様子にして、あまり嫉妬がひどければそれで縁を切ってしまいそう

なそぶりを見せてやったのです。すると例のように腹を立てて恨みがましく言い出したものですから、『そんな

に我を張りいいかげんな邪推をするのなら、もうこれきりで別れるしかないだろう。たとえ宿縁の深い仲だった

とは言えもう二度と逢うまい。‥‥もし行く末永く連れ添うつもりなら、恨めしいことがあろうと少しは我慢し

て、変なひがみ根性さえ捨ててくれればどれほど愛しいと思うことか。私だってもう少し出世して一人前らしく

なれば、そなたに肩を並べる女はそうはいないということにもなるのだ』などと、我ながらうまく訓戒したもの

だと思ったのですが、女は薄笑いをして、『これまで、みすぼらしくうだつの上がらないあなたに辛抱して、そ

れでもいずれ人並みに出世する時もあろうと待つことに焦りもありませんでした。けれどあなたの薄情な心を我

慢していつになったら直るのかと、あてにならないことをずっと頼みにしてきましたが、もうこれ以上年月を重

ねるのはほんとうに辛いことになりそうですから、この機会に別れる方が、お互いのためにいいのでしょうよ』

といまいましげに言うものですから、こちらもカッとなって憎まれ口を散々叩きましたところ、女も黙っていら

れぬ性分で、私の指を一本掴んで噛み付いたのです。私は『こんなことをされて、あなたが馬鹿にする官位を務

めることもできやしない。もうこうなったら別れるしかない』と指を曲げたまま引き上げようとして、

《手を折りてあひみしことを数ふれば これひとつやは君がうきふし》(指を折って逢っていた間にあったこと

を数えてみると、あなたの悪い癖はこれ一つばかりじゃない)と言い捨てますと、さすがに女も泣き出して

《うきふしを心ひとつに数えきて こや君が手を別るべきをり》(辛いところを胸一つにおさめていつも我慢し

てきましたが、今度という今度はあなたとお別れしなければならないのでしょう)などと言い返すのでした。

‥‥まだこの話は続くのですが、痴話ゲンカのクライマックスで和歌を詠み合うなどとは、今の基準で考えると

まったく現実離れしていて“昔はケンカも悠長なものだった”と見たら間違いです。これがこの時代の物語の物

語たる特徴で、紫式部も和歌にこそ哀れみの情が最も端的に表わされると確信を持っていたようです。それと馬

頭が語っているので、男優位の形に見えますが、男の身勝手も程を知らないと恥なのだと、示す狙いもあるよう

なのです(正直私もピンと来ないのですが)。

 

34日にカルチャー教室の「鎌倉の魅力散歩」に臨時参加しまして、大蔵稲荷~永安寺跡~瑞泉寺まで

歩きました。美術史家の先生の説明もあり、なかなか味わいのある鎌倉散歩でした>

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2014年3月 1日 (土)

「ビットコイン考」

 ビットコインの事件が話題となっています。以前に「お金」をブログった者として一言述べさせていただこう

と思います。前にも言いましたようにお金とは『人間が、生活する上で、必要なものを、購うための支払手段』

のことです。あるいは経済学の原則的な言い方をすれば、お金とは「価値の尺度」、「交換の手段」、「価値の

貯蔵手段」の3つの機能を持つものとされます。

 では今回のビットコインをこれに当てはめてみるとどうなるでしょうか。まずその前にビットコインとは何で

しょうか。どれを見ても曖昧に書かれていてスッキリしませんが、例えば「コトバンク」には『インターネット

上で流通している電子マネー。通貨の単位はBTC。紙幣・硬貨は発行されていないため、「仮想通貨」「デジタ

ル通貨」などとも呼ばれる。流通を管理する事業主体や国家もなく、中央銀行のようなものも存在しない。米ド

ルや円など現実通貨との交換は、ウェブ上の「取引所」を通して行われるが、決済は金融機関を通さないため、

諸経費や手数料などが発生しない。そのため、小口の売買やP2P(個人同士)の取り引き、とりわけ国境を越えた

送金・決済に利用されている。』と書かれています。これをもっと縮めて言えば『中央銀行や企業といった特定

の発行者のいない、インターネット上だけでやりとりされる仮想通貨』のことです。

 従って、インターネット上で仮想賞品だけを取引するのであれば支払手段としてビットコインという仮想通貨を

使っている限りでは何の問題も発生しないでしょう。売買取引と呼んだところで仮想取引なのですから、想通

貨で精算し合っているだけのことです。これは純粋のゲーム、ママゴトと同じです。そしてビットコインとは貨

幣(コイン)を名乗った非貨幣ということです。いわば「オモチャのお金」なのです。

 ですから、インターネット上とは言えreal(現物)な取引を伴うとしたらたちまち問題が発生するのは当たり

の話でしょう。現物と仮想通貨(オモチャのお金)とは対等できません。現物を相手に渡す人は見返りに仮

貨(オモチャのお金)をもらうわけには行きません。見返りが仮想通貨(オモチャのお金)で満足して現物を

える“お人好し”はこの世に存在しません(頭がおかしい人やボランティアはここでは問題外です)。極端に

えば“仮想通貨”を名乗ることは“偽物”と名乗ることです。これは「価値」のあるものではないと始めから

言しているのです。ですから最初から“偽物”と割り切ってこの取引に参加する(遊びに参加する)ことが前提

だということです。これ以上でもこれ以下でもないのです。

 上の「コトバンク」の説明もまったく言葉足らずで、「米ドルや円など現実通貨との交換」は、「米ドルや円な

ど現実通貨と“仮想通貨”との交換」と言わなければなりませんし、「国境を超えた送金・決済に利用されてい

る」も、「国境を超えたビットコインによる送金・決済に利用されている」と言わなければ間違いです現実通

と仮想通貨の混在は絶対に排除しなければならず、現実通貨の役目を仮想通貨が持つことはない)

そして現実通貨とこの空気のようなビットコイン(仮想通貨)との交換を望む人が本当にいるのでしょうか(ビ

ットコインを作った人は現実通貨に交換できた時は“無から有が生じた”と本気で思うでしょうね!!!)。

 今回このビットコインで被害を受けたのはこの根本的な原則を知らなかった人か、知っていて“賭け”として

この取引に参加した人のいずれかでしょう。厳密には前者が被害者で、後者は被害者ではないでしょう。どちら

も“運”がなかったというだけの話です。

<先日行った鎌倉の大仏様です。‥‥「お前たち、アホなことに手を出すものではない!」と仰っておら

れませんか?>

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「品定め」‥5

次に馬頭は、夫の浮気に対する妻の態度のとり方次第で色々問題が起きてしまうのだと言います。「‥何か思わ

ぶりに恥じらってみせたり、恨み言を言ってもいいような時に知らないふりをして、表面は何でもないかの

ように装っていたものの、いよいよ胸一つに収めきれなくなるや、恐ろしい言葉や哀しい歌を残して山里や海辺

に身を隠してしまう女がいます。男の心が離れたわけでもないのにこんなことをすれば取り返しのつかないこと

になるだけで、まったく軽はずみなことです。これをまた『よくぞ決心されました』などと言う取り巻きがいた

りするとその勢いで尼になったりするのです。当座の間は俗世と縁を切った気でいても、見舞いに来た知合いの

人の世間話を聞いたり、事情を聞いてやって来た相手の男が涙を落とすのを見て、髪を削ぎ落してしまった自分

の姿に今更のように気が付き泣いて後悔するはめになったりして、中途半端な悟りのためにかえって悪道にさま

ようことになるのです。‥‥それだったら、万事穏やかに、恨み言を言いたいときも憎からぬさまにほのめかし

たり、それとなく言うとかすれば、それにつけても可愛さが増すというものでしょう。‥しかし、あまりに男を

好き勝手にさせれば男からすれば気が置けないものの、くみし易い女と見られてしまうものです。夫の心も妻の

仕向け方次第ということで、つまり岸に繋いでおかない舟はどこに漂ってしまうか分からないというではありま

せんか‥」と、頭中将に同意を求めると、中将はいかにもというふうに大きく頷くのです。

 頭中将は、この議論にぴったりなのが源氏の妻である自分の妹姫(葵の上)のことであろうと思うので、源氏

の方を見ると居眠り(狸寝入り)をしているのでガッカリし、いまいましいとも思うのでした。‥源氏は12歳で

葵の上結婚したものの、気位ばかりが高いこの姫とはなんとも折り合いが良くなく夜離(よが)れがちになっ

ていたのです(‥後に、葵の上は源氏の子を出産するも直後に病に冒され亡くなりますが、その死の床で初めて

氏と心を通わせ合うという悲運の妻だったのです)。

 

<月末は用事も兼ねて神奈川県西部の蘇我の梅林に行ってきました。この日は4月の陽気の中で、色とりどりの

梅の花が満開でした。梅の花の香りに負けそうな気がしたのは初めてです。‥‥歳のせいでしょうか。>

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