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2014年4月

2014年4月27日 (日)

山歩き

4月27日、相棒の花粉症が落ち着き、この春初めて奥多摩の山歩きをしました。例年より2ヶ月遅れです。

天気も良く、高尾駅からバスで陣馬高原下まで行き、そこを8:30出発、登山者の多い陣馬山は避け私達は生藤山

(しょうとうさん990m)を目指しました。それでも10人ほどと顔を合わせ、途中では30人位のグループとスレ違う賑わ

いぶりでした。‥‥結果的には11:30生藤山頂着、12:00出発→13:30和田集落着→バスで15:00藤野駅着の少々

ヌル目の山歩きでした(徒歩12km)。駅近辺の居酒屋で健闘(?)の祝杯→電車で爆睡!!!!!→帰宅とあいなりました。

1 生藤山遠景

2 3

47 ツツジ他の草花が咲いています

5 6 遅咲きの桜(山桜?)が満開

2014年4月16日 (水)

「タモリ考」

 もう半月前のことで、331日のフジテレビ「笑っていいとも(夜の特番)」を我家でも見たのですが、後で

色々なコラムにタモリが最後まで“泣かなかった”ことが書かれていました。このこと自体がやはり“異例”な

ことだったのでしょう。確かに、普通の芸人なら最後に(いや、途中ででも)“感極まって号泣する”シーンが

あっただろうと思いますが、タモリは最後までそのような姿をさらすことはしなかったのです。逆に何人もの女

や男の芸人が泣きながらタモリに番組お別れの挨拶をしていたのですから、尚のこと泣かないタモリの“異質さ”

が目立ったのです。そしてタモリは最後の挨拶でも「自分のような、世の中を馬鹿にしくさったひねくれ者を長

い間応援してくれた皆様方に大変感謝申し上げます」と語り神妙に頭を下げていたのですが、涙ぐむような素振

りはまったく見せず、淡々とこれを行なったのです。そして、これがまたタモリの評価を高めたようなのです。

 私が思うにこれは、タモリは自分が“筋金入りの皮肉屋(cynicシニック=ひねくれ者とも言う)”であること

を告白し、それをあくまでも最後まで貫いていることを示したのでしょう。だからこそ涙を流すような“臭い芝

居”はする気にならなかったということでしょう。‥‥まだタモリがテレビに出るようになって間もない頃、自

らを“テレビのオモチャ”と自嘲的に語っていた基本的なスタンスは今に至るもまったく変わってはいないこと

を見せたというわけです。これは“計算ずく”ではなく、タモリの“こだわり”なのです。

 さらに政治番組でもなく、バラエティー番組に時の総理大臣が登場したというのは前代未聞で、これは総理大

臣が異質と言うより司会者が異質と言った方がいいでしょう。私には非常に不思議に思えることですが、これほ

どの皮肉屋(ひねくれ者)が何故、女・子供から政治家にまで幅広く好かれるのでしょうか。本当はタモリを

心底嫌いな人間は少なからずいると思いますが、表立ってこれを言う人間をまだ見たことがありません。これを

タモリの“人徳”とでも言えばいいのでしょうか。‥‥いや、やはり忘れてはならないのはタモリの独特の“話

芸の才能”(=話し言葉のユーモアのセンス)なのではないかと思います。ただただアクの強い皮肉屋というこ

とであれば、これは底抜けの嫌われ者となる可能性も大きかったはずで、この皮肉の毒気を帳消しにして余りあ

る“面白さ”を感じさせる何かをタモリが持っていたからこそ皆から好かれる人間であったに違いないのです。

そして、それが何であるのかは、いわく言い難いもので知るすべがなく、タモリの話・仕種から醸しだされる

一種の“雰囲気”だとしか言いようがありません。まさしくこれは「無形文化財」でしょう。

 私はこのまま行くとタモリは「国民栄誉賞」をもらう可能性があると思いますが、もしそうなったらその時ど

のようなことが見られるか楽しみです。‥‥ひねくれ者の“矜持”を示して辞退するか(イチローのように)、

逆に“無節操”のモットーどおり受賞した上でタモリ流のやり方でこれを戯画化してしまうか、今まで泣いたこ

とのない者があえて号泣する(という臭い芝居をする)か、‥等々色々考えられるからです。この賞の基準はど

うやら「まじめ一筋に一つのことをやり遂げ国民を感動させたこと」のようですので、これに当てはまりそう

な気がします。しかし、タモリはテレビに出る前の頃、面白半分に皇居(宮内庁)に電話して、「タモリ:天皇

陛下お願いします‥‥職員:陛下は公務中でございます」、この電話のやりとりを23度繰り返した後、最後

に「タモリ:あ~、天皇じゃがワシに電話がなかったかな?‥‥プツン、ツー、ツー、ツー‥」ということ

をやった“不敬な前科”があるらしいので(証拠はありませんが)、受賞の可能性はないかもしれませんね。

<バイト先の植物園の牡丹の花も咲きだしています。

それと先週末に山梨の「桃源郷」へ行った時のスナップで、辺り一面ピンク色でした。>12_234

1_22_3

3_24_2受粉はもっぱら人間の手で行われます

1_3(山梨では今、桜が満開です)

2_4(見事な大島桜です)

2014年4月 1日 (火)

「品定め」‥10

 この後、左馬頭が品定め(女性論)を総括するのですが、始めから議論が定まらない兆しが見てとれていた通

り、理想的な女性なるものを見つけ出すのは難しいこととして、どうしても帯に短し襷に長しの、埒(らち)も

ない話の数々が語られていく中で、源氏の心に去来するのはいよいよ、ただ1人の高貴な方(藤壺の宮)の過不

足なく比類なき姿なのでした。‥‥こうして夜は明けてしまったのです。

 次の日は天気も良くなり、源氏は宮中の自分の部屋に閉じこもってばかりでいるのも後ろめたさがあるので、

女君(葵の上)の待つ左大臣邸へ退出するのです。そうして「品定め」のほとぼりも残る気分のままに見る女君

の様子は、すっきりと気品が高く、くだけたところが少しもなくて、やはりこうした人こそ、先刻の人達が“捨

てがたい”と強調していた、実のある妻として信頼の置ける方であるに違いないと思うものの、あまりにきちん

とし過ぎて気詰まりを感じてしまうのも事実で、それが物足りなくてつい周りで世話をする気のきいた若女房た

ちに冗談事を言いかけたりして気を紛らわせてしまうのです。そして、ある物忌みにことかけて左大臣邸には泊

まらず、涼しく落ちつける所と聞く紀伊守(きのかみ)の別邸に向かうと、その夜たまたまめぐり合わせただけ

の、その守の老父の後妻である女(空蝉うつせみ)を見初め、何とその夜のうちに契って(関係して)しまうの

です。それはいわゆる「夜這い」で、今の基準で言えばほぼ「強姦」なのですが、当時の貴族社会においては因

習として黙認されているかの有り様で語られるのです。‥そして源氏の頭によぎるのは「ああ、このような屋敷

が例の“中流”の所で、そこにこのような“中の品の女”がいるということなのか」という、いわば“遍歴”

意識なのです。‥‥いや、紫式部はそこまで露骨に語っていないのかも知れませんが、この物語全般を振り返っ

て見れば、ここから光源氏の数奇とも言っていい“女遍歴譚”がスタートしているという筋書きとなっているの

です。そしてこの後すぐに、あの頭中将の前から姿をくらました頼りない女「夕顔」とのめぐり逢いの話へと

つながっていくのです。

‥‥というわけでこの最初の方の<雨夜の品定め>の章が、源氏物語という長編全体を通した「モチーフ」を示

したもの、あるいは「プロローグ」となっていたということです。このような概念すらない時代に、これは紫式

部がそうと意識せずして使った手法なのであり、この時に既にこういったバランス感覚・能力を具えた稀代の作

家だったと言う以外にないでしょう。‥‥「品定め」はこのくらいにして、また面白い箇所を拾ってご紹介して

いきたいと思います

 

4月から園地管理のアルバイトを始めました「横浜こども植物園」でのスナップです。

ハクモクレン、ボケ、横浜寒緋桜、レンギョウ等が咲き誇ってます。>

Photo Photo_2

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