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2014年5月

2014年5月31日 (土)

韓国がタブーにする日韓併合の真実‥2

この著書「日韓併合の真実」は韓国・日本の比較文化論という体裁で書かれています。その際に双方の国の歴

史的背景となっているのは、韓国:500年間の李氏朝鮮であり、日本:270年間の江戸時代なのです。李朝が国王

と特権階級の両班(やんばん)が、多数の弱く零細な民衆(常民さんみん:農民、及び奴婢)に過酷な犠牲を強

い続けた搾取国家という体制(実態は中国に完全に従属して国家の体をなしていなかったと言っていい)であ

ったのに対し、江戸時代の日本は支配階級の武士が百姓・町人と一緒になって創意工夫して各藩の財政健全化に

努めていたのであり、その意味で近代民主国家となる準備が整っていたということです。朝鮮が学芸、産業文化

も育たず停滞して“腐り切った”社会が永々と続いている間に、日本は武士から庶民(農民、商人、町人)に至

るまで裾野広く学芸文化が浸透しただけでなく、鎖国政策があったとはいえ長崎の出島を通じて西洋の学問文化

を積極的に取り入れていたので、ペリー来航によって“太平の眠り”を覚まされたことが契機であるにしろ、驚

くべき短期間で西欧諸国に劣らない先進国家に変貌できたのです。‥‥そして結論から言えば、朝鮮に真の文明

開化がもたらされるのは、日清戦争で日本が勝ったことにより清の属国状態を解かれた日韓併合を待つ以外にな

かったということなのです。日韓併合に伴い、近代化への政治改革、社会改革、教育改革がようやく朝鮮半島で

行なわれることになったのです。しかし、第二次世界大戦で日本は敗戦国となり朝鮮統治から手を引いてしまう

と、韓国はこの日韓併合がもたらした国家の近代化という事実から目を背けたまま現在に至っており、北朝鮮の

方は不幸にも李氏朝鮮時代に戻ったようなもので(著者は北朝鮮を李氏朝鮮のクローンと呼ぶ)、「共産主義」

の名を騙(かた)る金王朝専制国家となっているというわけです。

 そして現在の韓国は、日韓併合によってもたらされた近代化という事実に目を背けるどころか、あの「従軍慰

安婦」問題を捏造し日本に陳謝と補償を迫っているのです。私は韓国が米国等の諸都市に従軍慰安婦像設置の動

きが出た時に、「正気なのか」と耳を疑りました。自分の国の“恥部”をさらけだすことを以って他国を誹謗す

る材料にするという行ないの異常さ・異様さにです。それはどういう国民感情なんだろう、今までにそんなこと

をした国がいったいあっただろうかと。

‥しかしそれも、この本を読んで何となく氷解したのです。つまり「従軍慰安婦」とは、今も韓国の精神土壌に

厳然と残り続ける「両班制度」が弱い立場の民衆に強いたものに違いなかろうということです。戦後70年近くも

過ぎてから、これほど非人道的(破廉恥)なことを何故やりだすのかといったようなことは、“両班勢力”と

もいうものが何らかの形で今も存在していない限り説明できないと感じたのです。

2014年5月29日 (木)

韓国がタブーにする日韓併合の真実 ‥1

韓国がタブーにする日韓併合の真実 崔基鎬(チェ・キホ)―ビジネス社―

これは日本人が書いた本ではなくれっきとした韓国人(大学教授)が書いた本です。この手のものには日本人が

反韓(嫌韓)感情で書いたものが最近目に付きますが、韓国の知識人が救国の思いで書いた(それだけで画期的

な)本なのです。

 私は従軍慰安婦問題や竹島問題における韓国(大統領を初めとする韓国世論)に対しては、正直なところ首を

げることばかり感じてきましたが、今年になって旧知の人からこの本を薦められて最近読んだところ、これま

韓国のことを理解する時に常に拭えなかった“霧”が晴れたと強く思ったのです。“霧”と言うのは、韓

国に関する正確な情報が日本ではあまりに少なく、いや、韓国に関することはどれが正しくどれが嘘の話か判斷

できない情報環境に置かれてしまっているからなのです。これがどうも日本側にと言うよりも韓国側に主たる原

因がある印象は否めなかったからです。

 そのような時、この本で目にした初めのところにまずこう書かれていたのです。『‥わが国の人々の多くは、

本統治が犯罪行為であったごとく力説するが、それは事実を知らぬ妄説にすぎないと、私は信ずる。あの時代

を理性的に振り返ってみれば、いかに日本統治がわが国にとってプラスになったか、日本が真摯に朝鮮半島の近

代化に努力したかを、読み取ることができるだろう』(韓国人の著者ですから「わが国」とはもちろん韓国のこ

とです)

 そしてそのような“妄説”が今だにまかり通り続けている病巣は、1392年に成立し1910年の日韓併合までの5

18年の長きに渡り続いた「李氏朝鮮王朝」の“宿痾(しゅくあ)”とも言える根本的体質にこそあったと断言す

るのです。その宿痾を宿痾たらしめた三つの重要な要因が李氏朝鮮にはあったということです。即ち、(1)仏教を

禁じて、儒教の中でも最も原理主義的な朱子学を国教とし、その結果中国への属国意識が定着したこと、(2)両班

(やんばん)制度と科挙の存在。これにより朝鮮国内は特権化した官僚が支配する、階層の流動化が存在しない

停滞社会となった。(3)上は国王から下は地方官に至るまで血縁、地縁の閉鎖的なグループを形成し、もっぱら

内向きの政治抗争に明け暮れたため、近代国家への道を閉ざしてしまったこと、というのがそれだったのです。

‥‥日本から見て異常な、最近の朴槿恵大統領の“中国スリ寄り外交”はまさに(1)の体質以外の何物でもなか

ったのでしょう。

2014年5月25日 (日)

紫式部のブラックユーモア(6)

ここでちょっと閑話休題です。

源氏と末摘花(紅花=赤い鼻)との付き合いの顛末をブラックユーモアと言いましたが、ここに紫式部が(男

の理想像として)書きあらわそうとした源氏の気質が逆に見えてくるのです。源氏は、自分が思わぬ形で

き合うことになってしまった何とも変わった容貌の女人に対し、この運命的な出会いにはその父親である故

陸宮の影を感じ、自分が故宮に選ばれてこの娘の後見人になることになったのだろうと思うのです。このよ

な意識は男の一種の“割り切り”とも言えるでしょうが、このように割り切れる男も世の中には少なかろう

思います。源氏自身、あの頭中将や馬頭(うまのかみ)達ならとてもここまでの付き合い方はできないだろ

と感じているのです。若くしてこのような“矜持(きょうじ:自分への誇り)”を源氏は具えていたのです。

この点はこの物語に一貫して変わらない源氏の気質として描かれています。そして、この気質の故に源氏は大

きな不運に見舞われるのですが、大きな幸運にも巡り合うのです。紫式部は源氏物語において、様々に語られ

るこのような事件のまつわりについては中途半端な描き方を決してしなかったのです。こういったエピソー

ドを“容赦なく”語り続けるばかりで、安易な教訓や妥協めいた書かれ方の箇所などどこにも見られないので

す。これは「源氏物語」が世界に誇る名作たる所以(ゆえん)の一つの側面だと言っていいのでしょう。

1,000年も前にこれほどの内容を持った小説が書かれたということは、そのこと自体が奇跡的なことなのかも

知れません。‥‥最初に言いましたが、今の日本において、この名前は知られていてもこの物語がほとんど読

まれていないのはどういう種類の不幸と言ったらいいのか私には分かりません。

さて次回は、もう一つのブラックユーモアである源氏と典侍(ないしのすけ)との付き合いのことをお話して

みましょう。

<今日のスナップは、知る人ぞ知る横浜の秘境“陣ヶ下(じんがした)渓谷”(保土ヶ谷区川島町)です。

15haの広さがあって周りの平地からは560m位(?)は落ち窪んでおり、鬱蒼とした森に囲まれて、せせ

らぎが流れる辺りは温度も45度低そうです。やがて蛍も出るそうです>

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2014年5月24日 (土)

紫式部のブラックユーモア(5)

 源氏は邸の正門から入る前に邸内にそっと入り格子の隙間から中を覗いてみると、薄暗い部屋に女房が45

っていて、見るからに哀れな食べ物を御前からさがってきて食べているのが見えたのです。皆寒そうにして、

にはふるえている女もいて、「ああ、なんて寒いこと。長生きするとこんなつらい目にも合うのですね‥」な

と体裁も何もなく泣き言を言っているのが聞こえるのです。源氏はいたたまれない気持ちになってそこを離れ、

たった今来たかのように門の格子を叩いて招き入れられたのです。

 今日は若女房の侍従は他所への勤めのため留守で、老いてみすぼらしい田舎じみた女房ばかりで、くすんだ暗

い部屋の灯を明るくすることもしないのです。しかしそれはそれで興趣がありしみじみとした気分をそそられ、

普段とは違う心惹かれる風情があってしかるべきなのに、ここの姫君がただの引っ込み思案で風流気も何もなく、

心栄えがしないことに源氏は落胆するばかりだったのです‥‥。

 ようやく夜が明けてくる気配がして、源氏の君は格子を上げて雪明りに映える前庭の植え込みを見ると、「ほ

ら、みごとな外の朝空の景色をごらんなさい。‥いつまでも遠慮だてしていても楽しいことはありませんよ。」

と尻込みをする姫君を明るいほうへいざない、見ぬふりをして外をながめながらも、しきりに横目を使い、打ち

解け姿の多少でも見まさりするところでもあればうれしいのにと思ったのでした。ところが思わず目に入ったの

は、痩せて丈のある猫背らしい姿とともに、驚くほど長い顔に高く突き出た鼻があり、その先が赤く色付いて

雪より蒼白な顔面から長く伸びている容貌だったのです。そうしてそのめったに見られない有様にほとんど目が

釘付けになってしまったのですが、肩のあたりも痛々しいくらい細く尖っていて、源氏の君は、どうして何もか

も残らず見届けてしまったのだろうかと思うものの、いつぞやの夜の初めての逢瀬の折に、暗闇の中で感じたど

こか不慣れな“違和感”の正体を探り当てたような心持ちになったのでした。

 そして姫君の装束にも目が行き、薄紅色がひどく白茶けた単衣(ひとえ)に元の色目が分からないほど黒ずん

でいる袿(うちぎ)を着重ね、表着は黒貂(くろてん)の皮衣(かわころも)を着ていたのです。それはそれな

りに古風で由緒あるお召物とはいえ、若い女人にはまったく不似合いな装束で、それでもこの皮衣がなければさ

ぞや寒かったのだろうと労(いたわ)しく姫君の顔色をご覧になると、言うべき言葉もなくなり、姫君同様自分

でものを言えなくなったような気持ちになるのでした。

 源氏は、この姫君には自分より他に頼る人はまず居ることはあるまい、こうしてお逢いしたのも何かの縁なの

だから自分としては今後もお付き合いするつもりだが、まだどこかよそよそしく、とりわけあの“ダンマリ”は

どうにかならないものかと思い、

《朝日さす軒の垂氷(たるひ)はとけながら などかつららのむすぼほるらむ》(朝日のさす軒のつららは溶

ているのに、どうしてあなたは池の氷が固く張るように打ち解けてくれないのでしょうか)と声をかけるもの

の、姫君は「む、む」っと重く口ごもって笑うだけなので、いよいよ気の毒な気持ちになってしまい屋敷を出て

行ったのでした。

 そして帰りの車中で源氏は、鼻の先が赤く色付いて寒そうな姫君の顔を思い浮かべるとつい苦笑し、「頭中将

があの鼻を見たら何と言うだろうか。いつも様子を探りに来るくらいだから、そのうちに見つけられてしまうか

も知れないな」と心配し出す始末なのでした。

 

<先日また「古都鎌倉紀行」に参加し、鎌倉幕府始まりの縁の寺「補陀洛寺(ふだらくじ)」と鎌倉幕府

終焉の縁の寺「九品寺(くほんじ)」他を散策しました。海に近い材木座の社寺でした>

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3文覚上人が開山、頼朝は平家打倒を祈願した

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6新田義貞が鎌倉攻めの本陣を置いた

78材木座の海岸にあった奇妙な石

2014年5月19日 (月)

紫式部のブラックユーモア(4)

頭中将は宮中での職務に出る途中に源氏の居所に寄ったもので、ならば一緒に参内しようということで、そろっ

朝食を済ますと一つ車に同乗して出かけるのです。中将は源氏の眠そうな顔を見て、「またこの私に色々隠し事

してますね‥」と恨みがましく冷やかすのでした。

 当時、新婚の直後は三日間連夜通うというのが習わしだったのですが、源氏は行く気がなく、後朝(きぬぎぬ)

の文(逢瀬のあと男と女がし合う手紙)も雨も降りだした午後になって、何もしないのもやはり可哀想と思い書

き始めたのです。これも普通なら翌朝早く送るものなので、源氏の熱意のなさのほどを示しています。姫君の屋敷

では、命婦や女房どもが後朝の文が昼になっても届かないことに心痛の思いでいたところ、やっと夕方になって届

いたものの、そこには

《夕霧のはるる景色もまだ見ぬに いぶせさそふる宵の雨かな》(夕霧の晴れる気配も見えないように、あなたが

心を開いて迎えてくださる様子もまだ見えない上に、いっそう私の気持ちの晴れない今夜の雨です。‥‥雨雲が晴

れるのを待つのはどんなにもどかしいことでしょうか)とあります。どこか言い訳がましい文面で、これでは源氏

の君は来そうもないと胸のつぶれる思いになるものの、「やはりご返事なさいませ」と皆で姫君に勧めるのですが、

姫君本人は昨夜のことを無闇に恥ずかしがってあれこれと思い乱れるばかりで、後朝の文のことまで気が回らない

有様なのです。「これではこのまま夜が更けてしまいます」と、例の良く気を回す侍従が書き方までお教えして、

《晴れぬ夜の月まつ里をおもひやれ おなじ心にながめせずとも》(晴れぬ夜に月の出を待っている里のように、

わびしい思いであなたのおいでをお待ちしている私の心を思いやりください。たとえこの私と同じ気持ちの物思い

ではないにしても‥‥)と、紫の色あせた古い紙に、昔の流儀の固いしっかりした筆づかいで文をしたためたので

した。源氏の君は(思わせぶりな風趣のかけらもないので)見るかいもなしとがっかりして文を下に置いてしまい、

いよいよ後悔の念がつのってくるのでした。が、その一方で、あの異常な恥ずかしがり様は一体どういうわけなの

だろうかとの思いも消えないままなのでした。

 その後、宮中行事の忙しさにかこつけて姫君のところへはすっかり足が遠のいてしまい、秋も暮れた頃に源氏の

とに命婦が参上したのです。源氏は「ずっと気にはなっていたのですが、その後姫君はどうしていらっしゃいま

か」と聞きますと、命婦は「本当にこれほどまでにお見限りのお心向けでは、お側にいる私達までおいたわしく

て」と泣かんばかりの面持ちで訴えたのです。命婦は、成り行き任せだったとは言え、自分が源氏の君を姫君に引

き合わせた故の結果に、やはり後ろめたさを感じていたのでしょう。

 その頃源氏はふとしたキッカケで、あの恋い慕う藤壺の宮と血縁の少女を(人さらいのように)二条院に引き取

って自分のもとで養育を始めていたのです(この少女が「紫の上」で、後々まで源氏にとって最重要な女性となり

ます)。‥‥つまり源氏の立場は、正妻として葵の上がいながら、桐壺帝寵愛の藤壺の宮を慕い(不倫を犯す)、

亡き東宮(皇太子)の未亡人の六条御息所を恋人とし、空蝉や夕顔(死去)を一時は恋人とし、手もとに可愛い養

女がいて、さらに評判を聞きつけた女人がいれば厭わず通うという、現代の常識からは“トンデモナク”かけ離れ

たものなのです。‥‥「末摘花」とはこの評判を聞きつけて通った女人の一人だったということです。そして雪が

ちらつき始めたある寒い夜、源氏はこの姫君をもう一度しかと見定めようと荒れ果てた屋敷を訪れたのです。

<植物園の花です。「シラン」=「紫蘭」で色を表している名と思うのですが、白いシランがあって驚きました。

サクラソウの野生種があったり、来園者を楽しませるクイズ板もあちこちに立っています>

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2014年5月13日 (火)

紫式部のブラックユーモア(3)

今度は命婦の手はずの良さによって、源氏は御簾(みす:すだれ)を隔てただけの隣の部屋まで招き入れられた

のです。今をときめく源氏の君の訪れを、突然のこと(実は命婦が仕組んだもの)とはいえ、うろたえて挨拶も

せずにお引き取り願うなどとんでもないことと、命婦と姫君お付の女房たちは内気な奥ゆかしさで後ずさる姫君

を無理やり御簾の前に押し出したものの、姫君は源氏の話しかけに対して声を上げることもできず黙っているだ

けなのです(命婦から、返事はしなくてもただ聞いているだけでいいからと諭されたのです)。源氏の方はと言

えば、御簾の向こう側の奥ゆかしい姫の気配に、やはり予想通りだったと実に感じ入っていたのです。これま

の間、何度手紙を出しても返事もこなかったので、こうして目の前で話しかけてもなおさら答えがないのも止む

を得ないことなのかと、ため息を付いて、

《いくそたび君がしじまに負けぬらん ものな言ひそといはぬたのみに》(いったい何度あなたの沈黙に私は負

けたことでしょう。あなたが物を言うなと仰らないのを頼みにこれまで訴え続け申し上げてきたのですよ)と

るのでした。‥‥今の感覚で言えば、“黙っている我慢比べ”をしているような具合とでも言うのでしょうか、

それにしてもここまで無反応とあっては白けてしまうものではないでしょうか。

‥源氏も「本当に私のことが嫌なのであれば、嫌とはっきり言い捨ててください。どっちつかずというのは堪え

られません」とまで仰ると、姫君の乳母の子で乳姉妹となる侍従(じじゅう)をしている若女房が、もう焦れっ

たくなって見るに見かねたあげく姫君のお側に近寄り、

《鐘つきてとぢめむことはさすがにて こたへまうきぞかつはあやなき》(鐘をついて、もうこれで終わりとば

かりに、あなた様のお話をお断りすることはさすがにできかねますが、お答えしにくいのもまたどうしたわけな

のか自分でもさっぱり分からないのです)と、姫君本人が仰っているかのように申し上げたのです。源氏は急に

若やいだ声で、しかも珍しい返事がきたのでいささか面食らって、

《言はぬをも言ふにまさると知りながら おしこめたるは苦しかりけり》(何も仰らないのは仰る以上に、私を

思ってくださっているのだと存じましたが、黙ってばかりいらっしゃるのは本当に辛いものでしたよ)と少しホ

ッとして、あれこれなだめ言を言ったり、取りつくろったりして話かけるものの、やはりはかばかしい返事がか

ってこないのです。

‥‥ここまで読むと、源氏が簾を挟んで目には見えない腹話術人形を相手にしているような滑稽さまで出てきて

まうものです(‥そして何度も言いますが、こんな場面で和歌を詠み合うなどまったく非現実的ですが、心

描写としてこに優る表現技法もまたなかったのです)。

 そして源氏の君も、こんなことはとても普通ではなく、とは言えこのまま引き退がるのもいまいましいので、

ええいままよと、ふすまを押し開けて姫君の部屋の中に入ってしまったのです。命婦や若女房たちは予想外の成

り行きに驚愕しながらも、高貴な源氏のお方とてお咎めするわけにもいかず、すばやく自分の部屋に引き込んで

しまい、ただこんな場合の心構えも何もない姫君の身を案じるばかりなのでした。

‥色恋物語とは言え、この時代に現代のような露骨な性描写が展開されることはありません‥‥姫君は恥ずかし

くて身がすくむばかりで、ただ無我夢中でわけが分からない有様で、源氏の君は「これまで男女の情けも知ら

大切に育てられてきた方だから」と大目にごらんになるものの、なんとも合点がいかない風にいささか落胆し

て、姫君の様子にもどことなく労(いたわ)しさを感じたのでした(とは言っても真暗闇の中で顔の表情など分

ないはずですが)。そしてまだ暗いうちにそっと忍ぶように屋敷を出て行くのでした。命婦は、どうなった

とやらと目も冴えて聞き耳を立てて横になっていたのですが、知り顔をお見せするのも禁物と思って、女房た

お見送りを‥」と声をかけることもしなかったのです。‥源氏は自分の居所の二条院に帰り着いて横にな

たものの、あれやこれやのことが頭によみがえって思案に乱れながら、気の毒な姫君の身分柄を思いやり、や

りこれは軽く考えてはならないことだったと、まんじりともしないまま夜が明けてしまったのです。

‥‥そうこうしているうちに頭中将がお越しになって「ずいぶんごゆっくりのお寝みですね、さだめしわけがお

りになりそうですね」と声をかけてきたのです。

 

<先週末、熱海の病院に入院中の親類を見舞ったのですが、途中の湯河原の海岸沿いでのスナップです。

海はもう真夏の様相でした。海辺の食堂の刺身定食と、アジのたたき定食です。食べている間中ずっとアジ

の尻尾が動いていました>

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2014年5月 9日 (金)

紫式部のブラックユーモア(2)

源氏は頭中将とは気付かず、この姫君のところに通う男かと思ってそっと屋敷を抜け出そうとすると、その男が

近寄ってきて「あなたが内裏から帰る途中で私をまいていなくなろうとしたのが恨めしくて後をつけてきたので

すよ」と言う声は頭中将だったのです。

《もろともに大内山は出つれど 入る方見せぬいさよいの月》(ごいっしょに宮中を退出したはずなのに、入る

方を見せぬ十六夜の月のように、行く先をくらましましたね)‥‥源氏はそれが頭中将と分かると腹が立ったも

ののひどく可笑しくもなり、

《里分かぬかげをば見れど行く月の いるさの山を誰かたづぬる》(どこの里も分け隔てなく照らす月の光を眺

めることはあっても、その月の入ってゆく山を尋ねてゆく人があるものでしょうか‥‥行く先まで後をつけ

てくるとはひどい人ですね)‥‥こんな時に和歌を詠み合うなどまったく非現実的ですが、前にも言いましたよ

うに紫式部のリアリズムは、和歌で表わされる哀れみの情に狙いを定めていると言っていいのです。紫式部が物

語を書く理由はひとえにそこにあったということになるのでしょう‥‥

 結局その日、源氏は(頭中将も)琴を弾く末摘花(姫君)の姿を見ることなく、二人は一緒の車で冗談を言っ

たり冷やかしたりし合いながら左大臣邸(葵の上、頭中将の実家)に帰っていったのです。源氏と頭中将は何か

につけて張り合っているので、源氏は「まごまごしていると義兄(頭中将)に先を越されてしまうかも知れない、

何とか邪魔されずに早く姫君と懇意にならなければ」と焦りの気持ちが生まれ、頭中将は「源氏のヤツ、どうい

う縁であの女に近付こうとしているんだろう、それはどんな女なのだろう」と気になり始めたのです。二人とも

先ほどの琴の音が耳について仕方がなく、「あの屋敷の有様も風情があったし、ああしたところに思いもかけぬ

可愛らしい女が暮らしているというのは本当のことだ」と思い込み、懸想文を送り始めたのです。ところがどち

らにも何の返事もなく、気の短い中将は「そちらには何か返事がありましたか、私は色々と書き送ったんですが

まったくナシのつぶてでそれきりですよ」と源氏に聞く始末で、源氏の方は(‥やはり義兄は言い寄ったのかと

思いつつ)「いや何も‥返事など期待してませんし、来ても見もしないでしょうよ」と空とぼけているのです。

その一方で源氏は命婦には「ハナから見向きもしないというのは一体どうしたことだ、さっぱり分からないで

はないか。私のことをかりそめの浮気沙汰と疑っているのか」と真剣になって問いただすのであり、命婦は「あ

の方はただもう遠慮深く内気で、その点で滅多にいらっしゃらない方なのでしょう」と答えるばかりです。

 そうこうしているうちに何ヶ月かたってしまい、常陸宮邸には何度も便りを出すものの何の手応えもないので

いよいよ世間並みの女(ひと)ではないと、意地も加わって命婦に強く手引を催促したのです。命婦は、こうな

ったら物越し(簾越し)でも源氏を姫君に引き合わせて、その結果はどうなろうと成り行きに任せればいいと決

めたのです。そして820日過ぎの月の出の遅い晩に源氏はお忍びで姫君のいる屋敷に来たのです。

 

<植物園にはナンジャモンジャノキ(ヒトツバタゴ)や、ハンカチノキもあります(ハンカチは風で落

ちてしまいました)。また木陰の草地にはキンラン(金蘭)、ギンラン(銀蘭)がひっそりと花を咲か

せていました>

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2014年5月 6日 (火)

紫式部のブラックユーモア(1)

源氏物語の中には紫式部独特の(あくどい)ジョークが出てきます。いずれも光源氏の“色ごと”にまつわる話

ですが、一つは醜女と付き合ってしまったもの、一つは老女と付き合ってしまったものです。紫式部は源氏が契

を持った(関係した)女性としては必ずしも“またといない美人”ばかりを描いたわけではありません。最初の

方の女性は「末摘花(すえつむはな)」、後の方は「典侍(ないしのすけ)」です。“付き合ってしまった”

というのは、半ばは図らずも、半ばはそうと知りつつという意味合いです。なお、源氏物語に登場する女性の名

のほとんどは「あだ名」あるいは「身分」で呼ばれていて、末摘花はあだ名(紅花)、典侍は身分(女官)

です。

 まず「末摘花」の例をお話しましょう。源氏の父帝の宮中に仕える女房の一人、大輔命婦(たいふのみょうぶ)

は源氏の乳母の娘で源氏とは乳きょうだいなので普段から内裏の暮らしの中で何かと気楽に話を交わす間柄でし

た。ある時その命婦から故常陸親王(ひたちのみこ)が晩年にもうけて大切に育てられた娘で、親王が亡くなら

れた今はひっそりと琴を親しい友として、1人で心細く暮らしている姫君の噂のことを聞きます。物の怪に取り

憑かれて死んだ夕顔の事件からしばらく心が癒えなかった源氏でしたが、すぐに命婦にその姫君に逢えるお膳立

てを依頼するのです。この辺は“好き者”源氏の面目躍如たるところと言えばいいのでしょう。そして程なく、

ある春の十六夜(いざよい)の月が美しい晩に命婦の手引でこっそりと姫君のいる屋敷にやって来て、命婦に促

された姫君が弾く琴の音を別の部屋で聞き耳を立てるのです。琴の音は遠慮がちでかすかに聞こえるばかりで、

しかも短い時間だったのですが、源氏はいつか「雨夜の品定め」の時に聞いた“寂しく荒れ果てた屋敷に引き籠

っている予想外の可愛らしい女”の話を思い出して、そのイメージのままいよいよこの姫君のことが気になって

しまうのです。そして姫君のいる寝殿の前の生け垣に近寄るのですが、宮中からこっそりと出かけた源氏を不審

に思って後をつけてきた頭中将とそこでバッタリはち合わせしてしまったのです。

 

<先月下旬のカルチャー教室「四季の古都鎌倉紀行」で明月院に行った時のスナップです。6月のアジサイ

の季節にはまだ早かったものの、木々と水の自然の造形を活かした閑静な庭のたたずまいにはただ見惚れ

るばかりです。>

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