« 2014年5月 | トップページ | 2014年7月 »

2014年6月

2014年6月15日 (日)

紫式部のブラックユーモア(8)

源氏と典侍のやり取りの騒ぎは頭中将の耳にも入らないはずがなく、そうなるとこういうことにかけては人一倍

負けず嫌いな頭中将は、好色な典侍にめざとく接近してたちまち懇ろの仲になったのでした。そんなことも知ら

ないまま幾日も過ぎてしまったある夜、源氏は宮中の内侍の詰所のあたりを歩いているうちに、中から聞こえて

くる琵琶の哀れみ深い音色を耳にし、それが典侍の奏でているものだと分かると近寄って、外と内とで誘い謡

をかけ合った挙句そっと部屋に入っていったのです。するとそこで、例によって、そんなこともあろうかと網を

張っていた頭中将に見付けられてしまったのです。

 頭中将は日頃から源氏が真面目を装って、自分を何かと非難するのが実にいまいましいと思っていたので、何

とか源氏のお忍びの現場を突き止め懲らしめてやろうと、その機会をずっと狙っていたのです。ですからここで

願ってもない場面に出くわして思わず嬉しくなって、一計を案じ、突如としてここに典侍の“通い夫”が訪れて

しまったかのようにしたのです。そしてその通い夫が間男に気が付き刀を抜かんばかりに怒りに震えている風を

装うと、源氏は男の気配に直衣(のうし)を抱えて半裸のまま後ろに隠れようと慌ててひろげる屏風を、逆に男

は音を立ててたたんでいくのであり、その間に割って入った典侍が「ああ、あなた、お止めくだされ、ああ!」

と大声を出して取りすがるという“阿鼻叫喚”の展開はドタバタ喜劇そのものだったでしょう。さすがに頭中将

は吹き出してしまいそうになると、源氏も男が頭中将だと気付いて刀を持つ腕をつかんで「あなたという人はま

たなんということを!」と叫んで思い切りつねると、もがき合いをしながら両人とも直衣もなにも脱げ破けてし

まったのでした。そしてまた非現実的ながら、お互いに吹き出しながら歌を交わして、どちらも破けた直衣を

抱えたしどけない姿で帰って行ったのです。

中将《つつむめる名やもり出でん引きかはし かくほころぶる中の衣に》(包み隠そうとなさる浮名が漏れ出て

しまうことでしょう。引っ張り合って、二人の仲を包んでいた衣がこんなにほころびてしまったのですから)

源氏《かくれなきものと知る知る夏衣 きたるをうすき心とぞ見る》(薄い夏衣では何も隠しきれないものとよ

く知っていながら、それを着ているのは浅はかというもの。あなたと典侍の仲は知られないではすまないものと

承知しながら、こうしてやって来たあなたは薄情な人です)

 この話では、典侍は5758歳とされていて、今の感覚で言えばさしずめ60歳代後半の女性と言ってもいいで

しょう。この“老女”を二人の高貴な20歳前後の若者が我が物にしようと争った(関係も持った)という経緯、

最後には二人が夜中に半裸で宮中を遁走するという図柄は、まさに紫式部の“諧謔精神”の奔出なのでしょう。

紫式部はこの物語で王朝貴族の生活様式を雅やかに美しく描くことを主眼としたわけでは決してなかったのです。

<梅雨に入り、植物園ではこの季節にふさわしい花が咲き出しました。ヤマアジサイ、ギボウシ、花菖蒲、

ノカンゾウ、など。それからオオミズアオが羽化したばかりの姿を見せました。>

Hana1

Hana2

Hana3

Hana4

Hana5

Hana6Hana7














2014年6月 8日 (日)

紫式部のブラックユーモア(7)

末摘花(すえつむはな)との付き合いも落着した翌年春、身重だった藤壺の宮は皇子を出産します(実は源氏と

の不倫の子)。帝は皇子が源氏に瓜二つなのを手放しで喜び(不義など露ほども知らず、兄弟なので似ても不思

議ではないと)、その一方で源氏と藤壺は驚愕し不安に打ち沈むのです(不倫の発覚を恐れ)。そして帝寵が一

段と増した藤壺と源氏との距離はますます離れていかざるを得ず、勢い、愛娘のように手元に置く紫の上への愛

着だけが増していくのです。そのような中で、正妻の葵の上は源氏が養女を引き取っているらしいことを聞いて

源氏に対してなお一層心を閉ざしてしまうので、どうしても葵の上の居所左大臣邸への夜離れが度重なってきて

しまうのです。‥‥すると“好き者”源氏の根っからの虫が騒ぎ出す仕儀と相なるというのは、誰でも考えつく

シナリオと言っていいかも知れません。

 その頃帝に仕える女房達は大勢いたのですが、家柄、容貌、気立てから教養に至るまで皆申し分のない女ばか

りで、年齢も若年から老年まで幅広く揃っていたのです。そんな宮中の生活で源氏は女達に気軽に声は掛けるも

のの本気になろうとはしないので、「真面目過ぎてつまらない」というのが源氏のもっぱらの評判だったのです。

 そんな中に、かなりな年配の典侍(ないしのすけ:天皇のそばで礼式、事務などをつかさどる女官)で、品格

もあって宮中でも重く見られていたのですが少し好色なところがあり思慮に欠ける女がいたのです。源氏は、こ

うも年を重ねながら何故ああも気が多いのだろうと興味を持って見ていたのですが、たまに源氏が冗談で冷やか

しの声を掛けたりした折には、女の方は自分を不似合いとも思わずその気で応えるので、あきれてそれ以上手も

出さないのを、典侍は逆に恨めしいと思っている始末なのです(‥今風に言えば、年をとっても色気を失わない

“熟女”というところでしょうか)。

 ある日、典侍が帝の御整髪の奉仕を済ませたあと、衣装もしっとりと優美な様子でそこはかとない色気を漂わ

せて一人で控えているところに源氏の君が居合わせて、こんな時は見て見ぬふりもできないもので、ふざけ心に

裳の裾を引っ張って気を引いてみたのです。すると派手な絵柄の扇で顔を隠しながら振り返った流し目が何とも

言えない色気があるものの、よく見れば黒ずみ落ち窪んだ瞼(まぶた)は重ねた年を隠すことはできず、源氏は

それで二、三言葉は交わしたものの拙いと感じ、人に見られないうちに立ち去ろうとしたのですが、典侍はそれ

を引き留めようと、「こんなせつない気持ちになったことはございません。この年になって私に恥をかかせるの

ですか」と泣いてすがろうとしたのです。この騒ぎを聞きつけて帝がふすまの奥から顔をのぞかせて、「堅物過

ぎて皆が心配していたのだが、さすがにそなたを見過ごしはしなかったね」とお笑いになると、典侍は気恥ずか

しいながらも弁解をすることもしなかったのです。

<梅雨入り前の今月初め、植物園の薔薇園でのスナップです。薔薇の名前には色々面白いものが

あるのを知りました。これらはほんの一部です。花の次に名前を並べています>

PhotoPhoto_2


111

2Photo_3

331

441

55152

661

771

991















































2014年6月 2日 (月)

韓国がタブーにする日韓併合の真実‥3

先般の韓国の旅客船沈没事故における、船長他の運行責任者に限らず、大統領以下、監督官庁、警察等に至るま

での政府中枢部の事故への取り組み様を見て、「この国は保たないのではないか」と感じたのは私だけだったで

しょうか。この国がかなり深刻な国情に陥っているのではないかとの疑念はもはや隠蔽しようがなく露見してし

まったからです。‥‥しかし、それは日本人が言うには“夜郎自大”(身の程知らず)に過ぎる言い方なのか

も知れません。かく言う日本もマッカーサーの押し付けた「平和憲法」を護持し続けていけばいずれ遠からず、

にっちもさっちもいかない深刻な状況に陥ると思われるからです。そしてチェ・キホのこの本にも日本にとって

耳の痛いことが書かれています。『‥今日の日本は、かって李氏朝鮮が臣従した中国に依存したように、アメリ

カを慕って国の安全を委ね、アメリカの属国になり下がっていると思う。これでよいのだろうか‥』と。李氏朝

鮮の歴史に学ぶべきはまず韓国であるのは当然ですが、これを他山の石として日本も学ばなければ進む道を間違

えますよと言っているのです。私は、チェ・キホのような人材が次々に輩出し韓国内で発言権を増していくので

あれば韓国はまだ捨てたものでもなかろうと思いますが、かっての李氏朝鮮の時代のようにこのような人材を圧

殺し続けるようでは、北側の国ともども、近い将来に崩壊の憂き目を見るのではないかと思います。

 最後に、少し横道にそれた議論になりますが、どうしても言っておきたいことがあります。それは、竹島問題

と従軍慰安婦問題が韓国によって持ち上がってから、作家の大江健三郎氏達が韓国を擁護し日本に反省を促す提

言をしていましたが、私には何とも“ピント外れ”にしか見えなかったというのが正直なところです。大江健三

郎氏(達と言うのは止めます。大江氏の個人的性格に収斂されると思うからです)の論拠はひとえに戦前の日本

の“アジア侵略”であり、従って反省すべきはもっぱら日本にあるはずだということです。これは既に30年ほど

前から日本の保守勢力によって“自虐史観”と揶揄されている立場で、これは「平和憲法(憲法九条)」護持の

立場にそのままつながっているものと言えます。私が“ピント外れ”と言う理由は、この立場が「☓☓史観」ど

ころか真の意味での「歴史観」を欠いていると感じたからに他なりません。歴史観とは、それなりに長い時代経

過を俯瞰して、その民族・国家の内部的、外部的な状況を分析した上で導き出す全体的な歴史判断というもので

しょう。大江健三郎氏の主張はこの観点が微塵もないと言わざるを得ません。大江健三郎氏の「歴史認識」とは、

単に言えば(簡単に言えるのです)、“戦前の日本は天皇制を核とした軍国主義国家で、アジアの周辺国に対

軍事的・経済的侵略に邁進し極悪非道の限りを尽くした国家であった”というものです。これは戦争終結後に

GHQが占領下で決めた“戦前の日本の振舞い”のことであり、歴史観とはまったく無縁で異質の、敗戦国日

を懲らしめるために戦前の日本の姿を“一括り”にしたものです。これを歴史観とは決して言わないでしょう。

私が極めて不思議で残念に思うのは、大江健三郎氏という戦後でも屈指の小説家が何故このような“一括り”の

見方に囚われてしまっているのかということです。少しでも冷静にこの“一括り”に対して疑問を抱くことがな

かったのか、あるいはそのように疑問を抱くことへの“個人的な抵抗感”でもあったのか、それとも反対に“自

分の思うことは決して誤らない”という絶対的な自信(私には“ヘンなこだわり”にしか見えないのですが、

れは盲信でしょう)でもあったのでしょうか。“イマジネーション”というものにあれほどこだわりを持つ作

であば、なおのこと不思議な観が拭えないのです。このような個人の性格の面のことは外部の人間には知

得るころではありません。しかし、私として大江健三郎氏に望むことは(大氏自身、自分の“発言力”を

なり頭に置いてのものであったのは疑いようがないので、それであれば)チェキホのこの本の内容一つ一

に反できるものがあれば是非やってもらいたいということです。

 私は、「日韓併合の真実」はこれまでこのような問題に対する判断に迷いがちだった私達日本人に対し、かなり

重要なインプリケーション(示唆)を与えてくれる内容を持っていると思います。そうであれば、これとまった

く逆の「歴史認識」を持つ大江健三郎氏には何らかのコメントをしてもらいたいと思うのです。 <了>

« 2014年5月 | トップページ | 2014年7月 »