« 死刑廃止(1) | トップページ | 死刑廃止(3) »

2014年9月29日 (月)

死刑廃止(2)

Ⅱ.死刑廃止について(反対論)

(ⅰ)人間の犯罪に対する死の刑罰は有史以来、古今東西あらゆる地域・社会で存続してきた、その意味で普遍

的な制度である。この制度の存在理由はその人間社会(国家)の維持存続のためであろう。死刑はその社会にお

いて重篤な犯罪を犯した者に対して加えられる最も厳しい刑罰(極刑)である。現在では死刑は殺人罪に対して

宣告される場合が多いが、社会(国家)によっては強盗や麻薬犯罪、政治犯罪、宗教犯罪等に対して死刑が宣告

されることも少なくない。それはそれぞれの社会(国家)が存立する歴史的な背景に基づいて、その意味で多様

な経緯の上で定められている制度と言っていいだろう。その一方、最近において西欧諸国を中心に死刑廃止を定

める国が増えてきている。さらに日本でも、ここに至って死刑廃止論議が出始めてきたのである。

 西欧諸国における死刑廃止の動きは、簡単に言えば、死刑を廃止してもその社会(国家)が維持存続できる

と国民が判断したからであろう。死刑廃止を国民投票で決めた国もある。しかし、社会(国家)の維持存続の可

能性などということは誰も予測のつかないことであるのも厳然たる事実である。それは現在に至るまでの世界の

文明の歴史そのものが示していると言える。そして、死刑廃止は必ずしも人道主義的な人命尊重の考え方からの

み導かれたわけではなかろう。むしろ出生率低下の問題に悩む社会が表出する一つの症状といった側面があると

言ったらうがち過ぎだろうか。それは言い方を変えれば、死刑廃止の動きはその社会に死刑を執行する気力が失

われている表れであるということである。社会保障が行き届いた先進国(それは少子高齢化の進む成熟国でもあ

る)ほど死刑廃止の動きが顕著であるのは、人道主義的人命尊重という表看板の裏側に、ある種の社会衰退を示

す兆候が隠れていると言えなくもないのではなかろうか。そして日本の死刑廃止論の高まりもこのような性格を

孕んでないとは言えないのではなかろうか。

 もし実態として、この社会の成熟化(少子高齢化)がもたらす社会の衰退化の兆候としての死刑廃止の動きで

あるとすれば(それを社会的な病状とすれば)、その社会の衰退に歯止めが掛かり社会が活力を取り戻すまでに

なるというのは本質論として容易なことではなかろう(そもそも死刑廃止が社会衰退の歯止めと結びつくわけで

はなかろう)。社会の活力回復のための手立てはまったく別の方法、別の分野でなされるものであろう。もちろ

んしばらく混迷した時代が続いた後に、偶発的な何かの出来事(例えば幕末のペリー来航のような)をきっかけ

にして再び活気に溢れた社会へ転換する可能性があるかもしれない。ただしその時は新しい社会が再び強権的制

度(死刑制度)を備えたものとなる可能性もまた逆にあるかもしれない。

(ⅱ)このようなことは、死刑廃止論の無責任性を指摘したいがためだけで言うのではない。死刑廃止論(少な

くとも日本では)が人道主義に基づくとの主張だけが目立つからであり、それは少なからず誤謬を含むものであ

って、そこには最低限見るべきものを見ていない、いわば盲目的な願望論という性格を帯びているからである。

例えば現在の死刑制度が社会に害悪を生じさせているのかという最低限必要な検証もないまま、海外の流れに惹

き起こされただけの(いわばムードに乗っただけの)議論として唐突に出てきているという印象は否めないだろ

う。最近の我国を悩ます防衛問題(沖縄米軍基地、尖閣列島、竹島、北方領土等)に対処する政府の(政権交代

があっても)姿勢の迷走ぶりを見ていると、問題の質としては一層重みを持つ死刑廃止論議に対し真に冷静な判

断ができる状況(国情)であるか、それがはなはだ心もとないと言わざるを得ないのである。残念ながら現在の

日本人にはこの判断能力はないと言う以外にない。従って、はっきり言えばこの問題は、もう半世紀位は先の、

今はまだ生まれてない未来世代の日本人に結論を委ねるほうがいいということである。今はそのための予備段

階として考えられ得る様々な角度からその当否の検討を開始し、議論を積み重ねていく期間だということであり、

さらにこの期限を定めなければならない性格のものではなかろう。これは根本的には問題先送りと言えるかもし

れない。しかしどう見ても決断能力(自己決定能力)を欠いているのが現世代の日本人であれば、少なくとも拙

速な決定だけは避けなければならないのが義務であろう(死刑存続の弊害が検証されてないのであるから)。

 国連が日本に対して死刑の廃止を勧告したというが、それは一体どのような論拠によるものだろうか。第二次

世界大戦における敗戦後、日本は平和憲法を制定し世界でも稀な戦乱と無縁な平和国家を構築し現在もこの体制

が持続している。もちろん平和とは言え犯罪は他国並みに起きている。しかし日本において死刑制度が社会不安

をもたらしているとか、犯罪の頻度を増幅させている側面などは認められないと言っていいだろう。死刑制度を

廃止すれば社会状況(犯罪面で)が必ず改善方向へ向かうという保証も根拠もなさそうに思える。要するに今の

日本において死刑廃止を早急に導入すべき国内的理由はないと言っていいだろう。従って、この国連の勧告は

日本の国内事情を見てのものではなく、国連の側の何らかの事情によるものであろう。それは一体何であろう

かという上の疑問に戻るわけである。今も世界で絶えることのない戦時的混乱の解決が喫緊の課題である現実に

おいて、今までのところ戦乱から遠ざかっている日本に対して、不意打ちを食らわすように死刑廃止を迫ること

は唐突で不可解であるとしか言いようがない。世界諸国の過半数で死刑廃止に踏み切り、これが世界の趨勢であ

るからというのが理由だと論ずるとしたら、これほど無意味な論拠はなかろう。このような趨勢はいつ方向が変

わっても不思議ではないものであり、その意味でいわば本質的に無定見・無責任なものと言っていいだろう。

 死刑廃止論議は本来的に人間道徳上の問題としてなされるべき論議である。果たして国連において、たとえ一

時期にしろこの倫理学的討議がなされたということは仄聞にして聞いたことがない。つまりこのような手続きも

なく出てきた勧告ということは、逆に驚くべきことであるということだ。もし、そうでないというならばその証

拠となる明確な事実(いつ、どこで、どのような内容の議論をしたか)を示してもらわなければならない。本当

の議論はその後であろう。

<先日、カルチャー教室で江ノ島古道を歩き、富士塚や昌清院(しょうせいいん)、其中山房(きちゅうさんぼう)

などを見学しました>

12

34他所にはない“枯淡さ”です

57十一面観音立像

14寺の裏には予想外の池がありました

8戦後間もなく、彫刻家イサム・ノグチが李香蘭(山口淑子)と住んだアトリエ「其中山房」です。竹藪の奥に北大路魯山人が設けた窯があります。

910






















 

« 死刑廃止(1) | トップページ | 死刑廃止(3) »

心と体」カテゴリの記事

コメント

こんにちはsun
今日も良いお天気ですね♪
指の具合はいかがでしょうか。
歳は関係なく、ひょんなことから大きなけがに成りますね
お気を付け下さいね(#^.^#)

死刑制度は永遠の問題なのかな。

生きて一生堀の中で、人のために生きて行くのも死に値するのかも知れません

山歩きも、良いお天気の様で気持ちよさそうです♪
日差しはきついのかな。
お気をつけてです(#^.^#)

こんにちは。
こちらは曇り時々雨で、肌寒いくらいでした。
指の怪我はほぼ治りましたが、仕事柄デング熱や毒グモ
対策に気が抜けない日々が続いています。
それでもここが噴火するわけではないのでまだいいですが。
御嶽山は戦後最大の山岳事故となりましたね。犠牲になっ
た方の御冥福を祈ります。
死刑制度の問題とは、何故悪の罪に対し死の罰を下すのか、
その死の懲罰の意味は何か、何故社会がそれを執行するこ
とができるのか、それはどういう資格(責任)に於いてできる
のか、‥‥‥逆に、死刑制度を廃止するとしたらその意味は、
目的は、資格(責任)は、‥‥と果てしなく疑問が出てきます。
そして、そのようなことにスッパリとした解答を出すことは恐ら
く人知の及ばないことなのです。
‥‥それは、何故“戦争”が存在するのかという疑問と同じも
のに違いないと思います。thinksweat02

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1627554/57529732

この記事へのトラックバック一覧です: 死刑廃止(2):

« 死刑廃止(1) | トップページ | 死刑廃止(3) »