« 2014年10月 | トップページ | 2014年12月 »

2014年11月

2014年11月24日 (月)

「六条御息所」‥‥(4)

中秋の夜に夕顔の家に泊まったものの、間近に聞こえてくる隣家の男の話し声や枕元に響いてくる米を挽く

唐臼(からうす)の音、耳元に押し当てられたかと思うほどやかましいコオロギの鳴き声などが渾然となっ

て暗い寝所に響きわたってきます。源氏の君にとって、それはそれで物珍しくおもしろく感じられるのは、

やはり夕顔の姫君への深い思い入れのせいだったのでしょう。とは言うもののもっとくつろいだ所で女とゆ

っくりしていたいと思い、夜明け近くになって、ここから遠くない空き家で近頃目を付けていた何某(なに

がし)の院に牛車で場所を移したのです。これには夕顔のお付の女房(右近)も伴ったのですが、荒れは

てた門や言いようもなく木深い闇の様子がそら恐ろしく、夕顔にはだんだんと気味悪い気持ちが生まれてく

るのでした。そして朝露に袖を濡らして廃邸に入っていきながらこんな歌を詠むのです‥‥

源氏《いにしへもかくやは人のまどひけん わがまだ知らぬしののめの道》

(昔の人もこのようにさ迷い歩いたのでしょうか、私の今まで知らなかった夜明けの恋の道行きに)

夕顔《やまのはの心も知らでゆく月は うはのそらにて影や絶えなむ》

(山の端がどういう気持でいるのかも知らずに、そこに向かっていく月は、もしかしたら空の途中で姿が消

えてしまうのかもしれません)

‥‥源氏も少し不安を感じながらもまだどこか気楽さがある分、夕顔が心底から心細く怯え始めていること

にまで気が付いていなかったのです。

 日がだいぶ高くなってから二人は起きだして格子を上げ外を見ると、まったく荒れはてて人気もなく広が

る庭に、気味の悪いほど老い古びた木立や長い草に覆われた間垣などの光景が目に入ってくるのです。こん

なところだったとはと初めて源氏は驚きながらも、夕顔が今だに身元を明かさないにしても夕暮れの明るさ

の中で顔を見交わすほど馴染んできてひたと寄り添っていながら、何かに怯えてひどく怖そうにしているの

が、かえって子供っぽくていじらしいと思うのでした。そのうちに家来の惟光(これみつ)が源氏達の居場

所を尋ねあてて、食事の差し入れなどがあったので少しは気持ちも落ち着き、そのまま夕暮れになるまで睦

まじく過ごしていたのです。そんな時に源氏の心の中では、(最近足が遠のいている)六条御息所は悩み恨

んでいることだろう、あの深い心の奥底の重苦しさにひきかえ、この眼の前の女のおっとりと邪気のない愛

おしさはどうだろう‥と思わず知らず比べてしまうのでした。

‥‥そして宵を過ぎて、源氏はついウトウトした時に夢うつつの中で一人の美しい女が枕元に座っているの

に遭遇します。その女は源氏が来てくれない恨みつらみを言い「こんなどうということもない女を可愛がる

なんて!!!!」と言いながら源氏の傍の女を引き起こそうとします。‥何ぞに襲われるような気がしてはっと目

覚めると、灯火も消え失せ真っ暗闇です。ぞっとして気味が悪いので、太刀を引き抜いて側に置き、右近を

呼び起こすと右近も怯えた様子で源氏の側に寄ってきます。その間夕顔の姫君はわなわなと震えて正気も失

せている有り様です。誰かを起こそうとして手を叩いても山びこが響くだけで何の返事もありません。西

妻戸を押し開けると渡殿の灯は消えていて風が少し吹いているだけで人気もなく、お付の者は皆寝てしまっ

ているらしい。ようやく院の番人の子の若い男が起きてきたので「紙燭(しそく)を点けてすぐに持ってま

いれ、惟光朝臣が来ていたようだがどうした」とお尋ねになると「まいっておりましたが、特に仰せ言もな

いので、朝早く参上する旨申して退がりました」と答えて番人の部屋へ去っていったようです。源氏は部屋

に戻って手探りで二人を探ってみると姫君は先刻のように伏したままで、右近はその傍らでうつ伏せになっ

ているのです。「これはどうしたことだ、これほどまで怖がらなくともよい。こういう荒れた所では狐のよ

うなものが人を脅かすことがあるのだろう。しかし私がいるからもう脅かされたりはしない」と言って右近

を引き起こすと「もう気分がおかしくなり、どうにもうつ伏すしかなかったのでございます。それよりお方

様のほうが心配でございます」と言うので急いで姫君を探ると、もう息もせず正気を失っている様子なので

す。じっさいひどく子供子供している人なので物の怪に気を奪われてしまったのだろうかと揺すってご覧に

なるものの手を下すすべもないのです。やっと若い男が紙燭を持ってまいったもののぐずぐずして近寄らな

いので「何をしておる、遠慮も時と場合によるぞ!」と灯りを取って姫君の方にかざすと、ついその枕元に

夢に出た女の幻が見えてすぐに消えたのです。昔物語などにこそこうしたことを聞いたことがあったがまっ

たく無気味で異様なことだと思いながらも、姫君の様子が心配で寄り添って「これこれどうした」と起こそ

うとしたのですが、息はとうに絶えてただ冷え入っていくばかりなのです。何とも言いようがありません。

がりを言ってはいてもまだ年若な源氏はどうしたらいいか分からず、ひしと姫君を抱きしめて「あが君、

き返っておくれ。私を悲しい目に合わさないで」と仰るばかりで、あまりに急な成り行きに茫然自失の体

だったのです。

 

<何の変哲もない近所の風景です>

3_5


4_3


夕顔はおはてきますすでうすでんな

2014年11月14日 (金)

<番外編> 「時は金なり」

先日(11月初めだったと思います)晩飯時にどこかのチャンネルでやっていたテレビで、日本人の「時は金なり」

の解釈がもともとの原意(18世紀米国の政治家・実業家ベンジャミン・フランクリンの言葉)と違っており、ひ

いてはそれが日本人の時間を守る勤勉さ・実直さに通じている、というようなことを言っていました。それも米

国人と日本人の何人かに街頭インタビューして裏付けを取りながらです。

 まず米国人に聞くと、原意の「Time is money」とは文字通りの意味で、時間はそのままお金である。1時間働け

1,000円、2時間で2,000円、‥一日働けば10,000円という具合に。つまり即物的な時間給的発想であり、そこに

は道徳的な意味合いはまったく含まれず、勤勉さとも無関係なのだということです。一方、日本ではこれを、時

間はお金のように貴重なものであり無駄に過ごしてはならないという意味で使い、これが時間を良く守る(時間

にルーズでない)日本人の勤勉さの一面に通じているというわけです。こちらの根っこにあるのは、道徳的・儒

教的発想と言ってもいいのでしょう。そしてこの一面は、明治以来の日本の奇跡的な近代化を可能にした原点で

あるというようなことまで言っていました。‥これを見て、はて、これは本当なんだろうか?少し日本礼賛論的

で自画自賛し過ぎてやしないか?というのが私の正直な感想でした。

 そこでこれを少し探ってみることにしました。確かマックス・ウェーバーの有名な著書「プロテスタンティズ

ムの倫理と資本主義の精神」にフランクリンのこの言葉が引用されていたことを思い出したのです。本棚の奥に

埋もれていた本を引っ張りだして当ってみたところ、同書の初めの方で、「資本主義の精神」とはどういうもの

かを説明する上において最も適切な資料としてフランクリンが青年事業家に語った説教を引用した箇所があった

のです。そこにはこう書かれています‥‥

(同書、岩波文庫・大塚久雄訳40頁以下)『時間は貨幣だ(Time is money)ということを忘れてはいけない。

一日の労働で十シリング儲けられるのに、外出したり、室内で怠けていて半日を過ごすとすれば、娯楽や懶惰の

ためにはたとえ六ペンスしか支払っていないとしても、それを勘定に入れるだけではいけない。ほんとうは、そ

のほかに五シリングの貨幣を支払っているか、むしろ捨てているのだ。信用は貨幣だということを忘れてはいけ

ない。‥‥貨幣は繁殖し子を生むものだということを忘れてはいけない。‥‥』と続いていきます。

 それは要するに、寸刻を惜しみ、時間を無駄にしてはならない、約束の時間を守ることは世の中で成功するこ

に役立つ、それらはその人間の信用に影響を及ぼす、そして信用は貨幣だということを忘れてはいけない、‥

いう文脈の話を紹介しているのです。私は、何だ、これであれば「時は金なり」の日本人の理解とほとんど違

ところはないと言ってもいいじゃないか。反対にこの言葉を、時間=お金、と即物的に理解している今の米国

の方が、もともとの原意を取り違えていることになるじゃないか、と思ったのです。‥‥何たることでしょ

うか、テレビがコメントしていた内容は逆であり、日本人の理解が正しく、米国人の理解が誤りなのです。

 これはテレビ局(の番組編集者)が心底から間違えていたのか、あるいは“初めから結論ありき”で、米国人

へのインタビューも恣意的に編集した(そう言ってない者もいたのに)ものだったのか、果たしてどうであった

のかは不明です。しかし、日本人の学者まで登場させて日本礼賛論を展開したのですから、米国人も専門家の意

見を紹介すべきだったでしょう。‥‥そして肝心な点ですが、どちらにしても“日本人は偉い”という結論が同

ならそれでいいじゃないか、という話ではないのです。公共放送がこのような“迂闊な間違い”をしてはなら

いだろうと言いたいのです。この放送によって日本人の何百万人(?)かが、日本人は「時は金なり」の真意

(いい意味でとはいえ)誤解しているのだと思ってしまったはずです。これは最近大問題になったA新聞の慰

婦記事の捏造と同じ範疇のものだと言ってもいいのです。もっともこちらは深刻な外交問題などにはまずなら

ないでしょうが‥‥。




2014年11月10日 (月)

「六条御息所」‥‥(3)

源氏は病の老乳母の邸の近くで覗き見した夕顔(質素な宿の垣根に夕顔のツルがかかって花が咲いていたの

こう名付けられる)の家の偵察を随身(ずいじん、源氏のお供)の惟光(これみつ)に託していたところ、

かなり詳しい報告があったのです。それによると、主人と見られる若い女人が誰なのか分からないものの、

将の一行らしいものが前の大通りを通りかかった時に、女童や女房達が家の中から覗き見して、「あれは中

将様の随身の誰それ」と騒ぎながら見送ったりしたことがあり、その家の中にたいそう顔立ちの可愛らしい女

人もいて、れが女房仲間の振りをしているが女主人に間違いないようだ、と言うのです。それはもしかした

らあの頭中が忘れられずにいるかわいそうな女ではないのか、と真相を知りたくてたまらないといった源氏

の面持ちをて惟光は、源氏の身分が察知されないようにうまく夕顔の家に取り入って、夕顔への手引きを

果たしてしまのです。

 こうして源氏は自らの素性を知られないまま、また夕顔の素性も結局は分からないまま逢引きを重ねること

なったのです(夕顔も自分の素性を頑なに隠し続けたのです)。そして夕顔にすっかりうつつを抜かし

源氏の頭をよぎったのは、この愛らしい女人はあの“雨夜の品定め”で頭中将が話していた「常夏(とこ

つ、ナデシコの古名)の女」ではなかろうかということであり、また「中の品の女」すなわち中流の身分の

に思いがけなくいい女がいる、というものだったのは言うまでもありません。

 そうこうするうち、とう中秋の八月十五日の夜に源氏は夕顔の家に泊まってしまったのです。昔はこの

夜に男女が契りを交わすのは不吉であるとされたのです。‥‥そして忌まわしいことは起こったのです。

<常夏(ナデシコ)です。この季節は姿を隠します。こども植物園には立札しかありませんでした。

近くの花屋にかろうじて一株だけありました(ただし本当のカワラナデシコではありません)>

Photo

1

2

2014年11月 6日 (木)

「六条御息所」‥‥(2)

夕顔の巻の冒頭で六条御息所という女人の存在が曖昧な形で紹介されました。そしてある夏の夕方、源氏が御

息所のいる六条邸へ向かう途中で、今は五条に住み病に臥せっている源氏の老乳母を見舞った折りに、たまた

まその近くで隠れ棲むように暮らす夕顔(実は行方をくらました頭中将の愛人)の住み家を覗き見ます。やが

これが縁で夕顔と抜き差しならぬ仲になるのですが、この時は源氏が六条邸の御息所を訪れるだけの場面な

です。しかし、ここでも源氏と御息所の二人が語らう親密な逢瀬といった描写はなく、ただ

「御心ざしの所には、木立、前栽などなべての所に似ず、いとのどかに心にくく住みなしたまへり。うちとけ

ぬ御ありさまなどの気色ことなるに、ありつる垣根思ほし出でらるべくもあらずかし。‥‥」

(お目当ての所では、木立や植込みなどが、ありふれた所とは違っていて、いかにもゆったりと奥ゆかしくお

住まいでいらっしゃる。女君(御息所)の近寄りがたいご様子などが、格別の風情なので、先ほどの夕顔の垣

根などすっかりお忘れになってしまわれる。‥‥)

という調子なのです。つまり、源氏は高貴で端正な御息所の前では緊張しっぱなしで、夕顔を思い浮かべる

余裕もなかったというだけで、御息所の強い怨念が生霊となるという恐ろしい話にすぐなるわけではありませ

ん(源氏の性格は、葵の上に対する時もそうであるように、高貴で気位の高い女性の前では気後れするのです)。

 様子が一変するのは、秋に入ってから夕顔が新しい通い人となり源氏が耽溺するようになった頃です。まず、

源氏と六条御息所の関係の心理的状況から説明すれば、当初こそ源氏からの求愛に対し御息所がなかなか応じ

なかったものの、やっとのことで口説き落とされ思い通りになった後は、どうしたことか打って変わって、源

氏の君の方にひと頃の一途な気持ちが薄らいでしまったのに対し、もともと極端に思いつめる気性の御息所の

女君の方は反対に、源氏の君が夜通ってくることがめっきり少なくなってからというもの、夜の寝覚め寝覚め

に様々な物思いでうちしおれているという有り様だったのです。このようなことが度重なるうちにいつしか御

息所の心に怨念がわだかまり、これが本人には気が付かれないまま生霊として身体からさ迷い出ることになる

のです。そしてこの生霊は怨念の矛先が向けられた別の女人の枕元に纏わりつくのです。

<こども植物園の秋咲きのバラです。実は春にも咲いたバラです。>

12


34

56

78

910























2014年11月 1日 (土)

「六条御息所」‥‥(1)

源氏物語の話の展開上きわめて重要でありながら、素顔がもう一つ不明な女人がいます。それは六条御息所(ろく

じょうのみやすどころ)と呼ばれる源氏の愛人です。源氏の数多くの愛人の一人なのですが、藤壺や紫の上、空蝉、

夕顔、末摘花‥等々の女性は皆、登場の経緯や出自といったものが具体的に語られているのですが、六条御息所だ

けはそうではなく、夕顔の巻の冒頭で「六条わたりの御忍び歩きのころ‥‥」という風に、源氏が17歳の時に密かに

通っていた女人がいたと、読者に暗に知らせるという形の登場の仕方をするのです。それは登場とはとても言えない

曖昧な扱いのものなのです。そして私から見て最も不可解であったことは、このタイプの女性は実はあの“雨夜の品定

め”にも出ていない女性だったのです。これは紫式部の考えなので理解の及ばないことと言う以外にないのですが、

紫式部が意図的に(一つの女性タイプとしては)書かなかったのだと思われるのです。何故なら、六条御息所は強い

怨念を抱く生霊(いきりょう)として、つまり幽霊として登場することが多く、それが夕顔を、葵の上をとり殺してしまうと

いう身の毛もよだつ恐ろしい役回りをするのですから、紫の上のように可愛いかったり、あるいは末摘花のように醜か

ったりというような、生身の人間として書くべくもなかったと言っていいのでしょう(もちろん源氏の君と直接逢って語ら

う場面もありますが)。この六条御息所のアウトラインはこうなっています。源氏の父の桐壺帝の弟君がまだ東宮(次

帝とされる皇太子)だった時に入内(婚姻)し、将来は次の帝の后となる予定の人だったのです。そして東宮との間に

実子(娘)までもうけたのですが、東宮が早死してしまい不遇をかこつ運命に置かれてしまったのです。そしてその

まま御息所(=皇太子妃)という立場で京の六条わたりに住まわっていたところ、どういう経緯によるのか不明なので

すが源氏のお忍びの通い人になっていたのです。

‥‥そこで、暫らくこの六条御息所がらみの物語の展開箇所を追って見ることにします。

<先日、馬入川(相模川)の渡しの跡地にあるお花畑に行った時のスナップです。コスモスやマリーゴールドが

一面に咲き広がっていました。>

Photo2

10

34

57

https://www.youtube.com/watch?v=rsz6TE6t7-A

https://www.youtube.com/watch?v=6KuOS1DEVXU&list=RD6KuOS1DEVXU&index=1



« 2014年10月 | トップページ | 2014年12月 »