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2014年12月20日 (土)

「六条御息所」‥‥(7)

源氏の正室の葵の上に向けられた、六条御息所の怨念の原因とは、夕顔の場合の嫉妬と異なっていて、御息所の

自尊心(プライド)をいたく傷つけられたことだったのです。それは、加茂神社の大祭(葵祭)の見物の時に起

きた“車争い”という屈辱的な事件でした。

この年の大祭はある特別な事情により、祭りの行列がいつになく盛大なものとなり、容姿の優れた上達部(かん

だちめ:太政大臣、左大臣、右大臣など‥)に加えて、帝の命により源氏の君も参議(さんぎ)の一人として参

列することになりました。そして祭りの当日は、いつになく豪華な行列をひと目見ようと、遠方から家族を連れ

て駆けつけた人々も加わり、一条の大路は立錐の余地もないほど大勢の人でごった返し、大路の両側には大小の

物見車や、桟敷が立ち並び、この日のために着飾った女房どもが行列の到着を今か今かと待っていたのです。

その中に、お忍びで見物にやって来た六条御息所の車も留めてあって、供の車と目立たぬように並んでいたので

す(実は、御息所はこのところ無沙汰が続いていた源氏のもとを離れようと、これが見納めの気持ちでの見物だ

ったのです)。ところが、そこへ葵の上の姫君の載る左大臣家の豪華な車列がやって来て、その雑人どもが他の

物見車を立ち退かせながら、見物に都合の良い場所を確保しようとし始めたのです。御息所の供人はそれを防ご

うと「この車は立ち退くような(地位の)車ではない!」と懸命に抵抗をしたものの、多勢に無勢で、バキバ

キッと何かが折れる音とともに、たちまち供の車の後ろまで押し退けられてしまったのです。おまけにその時、

左大臣家の雑人どもに六条御息所の車と見破られ、「たかが源氏の大将の妾のくせに!」と罵詈まで浴びせら

れたのです。雑人の中には源氏の供人もいたはずなのに、間に入ることすらしてくれなかったのです。御息所の

傍にいた若い女房は泣きだす始末で、御息所はこんなことなら見物もやめて帰ろうとしたのですが、抜け出す隙

間もなく、身動きがとれないという有り様なのです。回りの物見車からも好奇の目を注がれ、恥ずかしさと面目

なさで打ち沈んでいると、「行列が来た!」と言う声とともに、華やかな車列がゆっくりと近づいてきました。

そして車列に続いて、飾り立てた馬に乗った源氏の君が見えてきたのです。

どの物見車からも賛嘆の声があがり、御息所も沈んでいた気持ちもどこへやら、その姿を目に入れようと身を乗

り出してしまったのです。それは“光源氏”の名に恥じない、まばゆいばかりの君の姿、顔立ちでした。そして、

笑みをたたえ、さりげなく流し目をくれながらゆっくり進んでくると、左大臣家の車の前では姿勢を正し、うや

うやしい顔でお通りになったのです。しかし、御息所の車の方まで目くばせすることはなかったのです。

‥‥この時、御息所は無視されてしまった気持ちを、次のように歌に込めるのです。

《影をのみみたらし川のつれなきに 身のうきほどぞいとど知らるる》(影を宿しただけで流れ去る御手洗川の

ような、あなたのつれなさ故に、その姿を遠くから拝した我身の不幸せがいよいよ身に沁みて分かってきます)

 この時の六条御息所の思いは、自分の心底にひそむ源氏への未練を知られてしまった上に、忍び妻と正室との地

位の差を、白日の下に見せつけられてしまい、女の心弱さと貴族の誇りが、ともに傷つけられてしまったという

ものだったでしょう。

<先週、鎌倉の光明寺へ行った時のスナップです。その後「内藤家の墓」と材木座海岸を見物しました>

Dsc_2185山門(一階が日本風、二階が中国風)

Dsc_2189本堂

Dsc_2191阿弥陀如来像

Dsc_2188然阿(ねんな)上人像

Dsc_2194裏山から光明寺、材木座を望む(拡大可)

Dsc_2197日向延岡の城主内藤家の墓所(拡大可)

Dsc_2203材木座海岸






 

 夕顔はおはてきますすでうすでんな

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