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2014年12月

2014年12月28日 (日)

「六条御息所」‥‥(8)

加茂神社の大祭が過ぎて暫くして、源氏の正室の葵の上の出産もいよいよ間近になっていたのですが、この頃から葵の

上は執拗な物の怪に悩ま されるようになったのです。大切な北の方のおめでたなので、源氏も心底から心配になり、名の

ある修験者(しゅげんじゃ)に安産のための加持祈祷をさせるなどして、例の夜歩きなどはおろか、(紫の上をかくまう)二

条院にもめったに来られなくなっていたのでした。物の怪は修験者の調伏にも ひるまず、執拗に葵の上の体にぴたりと

取り憑いて離れそうになく、女君は病に臥せったかのように、たださめざめと声を立てて泣くばかりで、時々 胸をせき上

げては堪えがたそうに苦しむ様子で、これはどうなってしまうのかと、左大臣家では誰もが、うろたえ騒ぐのでした。

 一方その頃、六条御息所は、あの大祭での屈辱的な出来事の後、ずっと精神が不安定なまま体の加減が悪い状態が

続いていて、常の屋敷から他 所へ移って、加持祈祷に浸る日々を送っていたのです。源氏はこれを聞きつけ、いたわし

い気持ちになって、お忍びで御息所を訪ねてきたのです(この時すでに“車争い”のことは聞き知っていて、何とも気の毒

なことと思っていたのです)。源氏は、このところの心ならずの無沙汰を許していただく べく、縷々申し述べながら、(噂な

どで存じているはずの)葵の上の今の容態のことをお分かりいただけるよう訴えたのです。そして、いつもと違って いかに

も痛々しい御息所の様子を、それももっともなことと、愛おしい気持ちになって見守るのでした。

 そして、打ち解けることもないまま、 明け方近くに帰っていく源氏の君を見送りながら、その姿がまた見事であるにつけ

ても、御息所は、この君を振り捨てて田舎へ下ってしまうことなど、 とても無理なことだと思わずにいられないのです。しか

し、この君の大切な方のご懐妊とあっては、ますます自分とは縁遠くなり、この君のお越しを 待ちわびる心の苦しみは、

一層大きくなるばかりなのだろうとも思うのでした。‥‥そして夕方になって届いた源氏の君からの手紙に、「少し良くな

ったように見えた病人が、また急にひどい容態になりまして、手が離せませんので‥」とあるのを、いつもの言い訳と思

いながらも、

《袖ぬるるこひぢとかつは知りながら 下り立つ田子のみずからぞ憂き》

(袖の濡れる泥(こひじ=恋路)と分かっていながら、その泥の中に踏み込 む農夫のように、恋の路に踏み込んでしまう

私は、我が身のつたなさが思われてなりません) と、見事な筆跡の歌を返されたのです。源氏の君からのご返事は、す

っかり暗くなってからでしたが、

《浅みにや人は下り立つわが方は 身もそぼつまで深きこひぢを》

(あなたは浅い所に下り立っていらっしゃるのでしょうか、私の方は身がずぶ濡れ になるくらい深い泥(こひじ=恋路)に

踏み込んでいますのに) とあったのです。

‥‥久しぶりの源氏―御息所邂逅の場面の挿話も、こうした和歌の贈答の形で締めくくられるのです。

<24日に所用で横浜港まで行ってみると、日本最大の客船、飛鳥Ⅱ(Asuka 2)が大桟橋に停泊していました>

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Dsc_2206さすが、50,142トンです、でっかい。

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2014年12月24日 (水)

「源氏物語」の読み方

「源氏物語」をどう読むのかは、もとより人それぞれです。例えば、まず何よりも和歌が目を惹きます。54

(じょう:巻に当たる)からなるストーリーの中に何と800首に近い和歌が、味わい深くちりばめられている

のです。紫式部の文体を起承転結として見れば、「結」の部分を和歌が引き受けているケースが圧倒的に多い

ことに気が付きます。まるで和歌へと至るために、文章が前書きされているかと思えるほどです。これが最初

から最後まで一貫して変わらないのです。この和歌には引歌(ひきうた:先人の歌を参考にして詠んだ歌)も

多いとは言え、どれをとっても極上級の出来栄えのもので、これだけでも紫式部の才能を認めざるを得ません。

 だがそれにも増して、賛嘆しないわけに行かないのは次の点でしょう。それは、これだけの長編でありながら、

単に奔放な恋愛劇にとどまらず、近代の先を行くまでの小説論や哲学性まで加味させた上に、展開されるスト

ーリーに散漫さがまったくなく、全体として筋のまとまりの良い完璧な仕上り品だという深い読了感までもた

らすのは、そこに誰も真似のできない驚くべき構想力があったと言う他ないのです。日本の1,000年を超える

文学史上、この懐の深さという点で、未だこれを超える小説はないだろうと思います。西洋を展望しても、

「心理小説」というジャンルを仮定した場合、これに伍すると言えそうなものは、私の知る限りでは、ドス

トエフスキーとプルーストくらいです。そして、私達がこの源氏物語を十把一絡げに纏められるなどという

ことは、とてもとても、できるものではないでしょう。

 しかし(だからこそ?)、その読み方の中で、作者紫式部の出自や身分、生活環境に焦点を合わせて解釈しよ

うとするものが数多く見られるのですが、私はこれにはどうも感心しません。「フ~ン、そんな風に読むのか」

とは思うものの、それはそれを言う人の度量や性格が透けて見えるだけで、それ以上のことはまずありません。

源氏物語研究家(大学の先生達)や一部の作家の中にいる、“源氏物語(紫式部)を飯の種にしている”人達

は、これはまあ、仕方がないのでしょう。ただ、それを聞かされる方からすれば、そんな論点などほとんどど

うでもいい話です(近代の小説家で、少し似た扱いを受け勝ちなのは、夏目漱石でしょうか)。

 また、源氏の様々な恋愛遍歴を、紫式部自身の性欲を昇華させようとしたという見方があるようですが、私は

これにはさらに輪をかけて感心しません。これが、例えば「哲学は結局のところ、性欲の変形だ(昔、三島由

紀夫が言った言葉です)」と言われれば、「なるほど、それは言えそうだな」という感想を持ちます。この場

合は、いわば体感と認識とが一致した、スッキリした感じがあるからです。しかし、源氏の恋愛遍歴を描くこ

とが、紫式部の性欲の昇華(変形)と言われると、違和感の方が先立ち、(なるほどという)スッキリした納

得感はありません。それが本当に性欲の昇華(変形)であれば、それにより作者(紫式部)のスッキリ感が滲

み出て、読む側に伝わってくるはずですが、果たしてそれがあるでしょうか。私には、逆に主人公(源氏)

の悩ましさがますます嵩じてくる印象が強く、これはそのまま作者(紫式部)の心境として伝わってくるので

す。つまり、紫式部自身も同時に、悩ましい心情に陥っているという感じこそすれ、紫式部が自分の中に潜む

性欲をバネにして、源氏の奔放な振舞いにイメージを展開させているような印象はどこにもないのです。そし

て、いわゆる“溜飲を下げた”と言う印象を読者に最も濃厚に与える箇所はと言えば、源氏が“身から出た

錆”で、須磨から明石へと流れて不遇が続いたものの、その後に、明石の入道一族との邂逅や住吉の神の庇護

もあって、とうとう都に凱旋して行く場面であって、この辺りの紫式部の筆致は冴えわたっています。

 紫式部は、光源氏を使って自分の内面の“憂さ晴らし”をしているのではなく、やはり(本居宣長が言うよう

に)“もののあはれ”(という普遍的なもの)を、何よりも語って伝えたかったのでしょう。そしてその

際に、和歌を、縦横無尽に操ることのできる表現手段として紫式部は具えていたというのが、一番当てはまっ

ていると私は思うのです。

 もちろん最初に言った通り、源氏物語の読み方は人それぞれですから、上のような読み方が間違っていると

までは言いません。しかし、源氏物語を書いた紫式部の動機を、性欲の昇華とか、実生活の憂さ晴らしだなど

と言えば、それこそ、あの世でそれを聞いた紫式部は、怒りだすどころか失笑することでしょう。


2014年12月20日 (土)

「六条御息所」‥‥(7)

源氏の正室の葵の上に向けられた、六条御息所の怨念の原因とは、夕顔の場合の嫉妬と異なっていて、御息所の

自尊心(プライド)をいたく傷つけられたことだったのです。それは、加茂神社の大祭(葵祭)の見物の時に起

きた“車争い”という屈辱的な事件でした。

この年の大祭はある特別な事情により、祭りの行列がいつになく盛大なものとなり、容姿の優れた上達部(かん

だちめ:太政大臣、左大臣、右大臣など‥)に加えて、帝の命により源氏の君も参議(さんぎ)の一人として参

列することになりました。そして祭りの当日は、いつになく豪華な行列をひと目見ようと、遠方から家族を連れ

て駆けつけた人々も加わり、一条の大路は立錐の余地もないほど大勢の人でごった返し、大路の両側には大小の

物見車や、桟敷が立ち並び、この日のために着飾った女房どもが行列の到着を今か今かと待っていたのです。

その中に、お忍びで見物にやって来た六条御息所の車も留めてあって、供の車と目立たぬように並んでいたので

す(実は、御息所はこのところ無沙汰が続いていた源氏のもとを離れようと、これが見納めの気持ちでの見物だ

ったのです)。ところが、そこへ葵の上の姫君の載る左大臣家の豪華な車列がやって来て、その雑人どもが他の

物見車を立ち退かせながら、見物に都合の良い場所を確保しようとし始めたのです。御息所の供人はそれを防ご

うと「この車は立ち退くような(地位の)車ではない!」と懸命に抵抗をしたものの、多勢に無勢で、バキバ

キッと何かが折れる音とともに、たちまち供の車の後ろまで押し退けられてしまったのです。おまけにその時、

左大臣家の雑人どもに六条御息所の車と見破られ、「たかが源氏の大将の妾のくせに!」と罵詈まで浴びせら

れたのです。雑人の中には源氏の供人もいたはずなのに、間に入ることすらしてくれなかったのです。御息所の

傍にいた若い女房は泣きだす始末で、御息所はこんなことなら見物もやめて帰ろうとしたのですが、抜け出す隙

間もなく、身動きがとれないという有り様なのです。回りの物見車からも好奇の目を注がれ、恥ずかしさと面目

なさで打ち沈んでいると、「行列が来た!」と言う声とともに、華やかな車列がゆっくりと近づいてきました。

そして車列に続いて、飾り立てた馬に乗った源氏の君が見えてきたのです。

どの物見車からも賛嘆の声があがり、御息所も沈んでいた気持ちもどこへやら、その姿を目に入れようと身を乗

り出してしまったのです。それは“光源氏”の名に恥じない、まばゆいばかりの君の姿、顔立ちでした。そして、

笑みをたたえ、さりげなく流し目をくれながらゆっくり進んでくると、左大臣家の車の前では姿勢を正し、うや

うやしい顔でお通りになったのです。しかし、御息所の車の方まで目くばせすることはなかったのです。

‥‥この時、御息所は無視されてしまった気持ちを、次のように歌に込めるのです。

《影をのみみたらし川のつれなきに 身のうきほどぞいとど知らるる》(影を宿しただけで流れ去る御手洗川の

ような、あなたのつれなさ故に、その姿を遠くから拝した我身の不幸せがいよいよ身に沁みて分かってきます)

 この時の六条御息所の思いは、自分の心底にひそむ源氏への未練を知られてしまった上に、忍び妻と正室との地

位の差を、白日の下に見せつけられてしまい、女の心弱さと貴族の誇りが、ともに傷つけられてしまったという

ものだったでしょう。

<先週、鎌倉の光明寺へ行った時のスナップです。その後「内藤家の墓」と材木座海岸を見物しました>

Dsc_2185山門(一階が日本風、二階が中国風)

Dsc_2189本堂

Dsc_2191阿弥陀如来像

Dsc_2188然阿(ねんな)上人像

Dsc_2194裏山から光明寺、材木座を望む(拡大可)

Dsc_2197日向延岡の城主内藤家の墓所(拡大可)

Dsc_2203材木座海岸






 

 夕顔はおはてきますすでうすでんな

2014年12月11日 (木)

「六条御息所」‥‥(6)

六条御息所がからむ、おぞましいもう一つの話をする前に、人間の怨念が“生霊”として身体を離れ、他人に

作用(危害)を及ぼすような、いわば“念力”とでも言うようなものを、どう紫式部は考えていたのか見てみ

ましょう。少し理屈ばるかも知れませんが‥‥

 普通、怨念が生み出す生霊というような話の場合には、恨みの対象となる人を亡き者にしたいという思いを、

自分に成り代わって、自分の分身である生霊が果たしてくれる、という形を想像するのではないでしょうか。

ところが、源氏物語において紫式部が描くのは、御息所本人は自分の生霊が出現するなどという意識はなく、

まして、その生霊が人に危害を加えて殺してしまうなどとは、思ってもいなかったということなのです。

このことは注意深く考える必要があると思われるのです。つまりあくまでも、御息所は怨念を晴らしたいと

はっきり意識してはいないにもかかわらず、人の及ばない何かの力の働きにより、これが果たされてしまう

という具合に書かれているのです。もちろんこの物語の中で、御息所の生霊らしきものが登場し、(例えば

夕顔が)それによって命を奪われてしまう光景が、確かに描かれています。しかし、その場面でどのような

力が具体的に作用して命を奪ったのかまで詳しく説明している訳ではありません。生霊に取り憑かれてしま

う人間も寝ているうちに(つまり無意識のうちに)命を奪われてしまうのです。そして、当人もなぜそんな

ことが起こるのかは不明のままなのです。従ってこの点は、あからさまに幽霊を登場させる、他の多くの

「怪談物語」と微妙に趣が異なっていると言えるのです。あるいはこれは紫式部一流の怪談の語り口と言っ

ていいのかも知れません。六条御息所の話とは別の物語の箇所においても、“霊”が登場するのは概ね、夢

の中に出てくる形で語られています。さらにまた、夢のお告げで人の将来の運命を占うということが、色々

な場面で描かれているのです。逆に、普通に覚醒している人に、“霊”が直接作用を及ぼすという場面など

はまったくありません。“霊”が及ぼす作用というものは、人が醒めている時に起こることはなく、眠って

いるうちに、ただ夢の中でのみ及ぶという風に描いているのです。

‥これは紫式部のこだわり、言い方を変えれば、見識であったのかも知れません。この長編小説においては、

源氏を始めとする色々な登場人物が、それぞれの運命にたいへん翻弄される人生を歩む話が続いていきます。

その運命を左右する上で、どうあっても重要視せざるを得ないのが、霊界や天界による働きといった、人間

の力の及ばないものだと言いたかったのだと思います。

‥これは四書五経、漢詩、仏教の知識に加え、とりわけ和歌に関わる豊富な素養を重ねてきた、紫式部の精

神的到達点だったのだろうと思います。

【ついでに言えば、このような逸話は、1000年も昔の時代特有のことだとは決して言えません。現代でもこ

ようなことを「超常現象」と呼んで、世の中には科学的な解明の及ばない(常識では説明することのできない)

摩訶不思議な現象が存在するのだとしています(ただ、それを信じる人もいれば、信じない人もいます)。霊

能者の話や、UFOの話もこの類に属すでしょう。近年でも、幾つかの先進国が巨額の費用を投じてこの「超常

現象」の解明を試みたことを聞いたことがあります(今の所、解明できたという話はないようですが)。】

<児童遊園地、こども植物園の紅葉の様子です>

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夕顔はおはてきますすでうすでんな

2014年12月 1日 (月)

「六条御息所」‥‥(5)

ようやく夜明け近くになって惟光朝臣(これみつのあそん)が院に参上しました。源氏はここで起こった顛末

を説明しようにも、余りにあっけないことだったので、すぐには何も言葉が出てこず、それまでは一人気を張

って女(夕顔)を抱きかかえていたところが、惟光の顔を見ると気が緩んだのか、しばらくの間は止めどなく

激しく泣くばかりだったのです。ことの異変をすぐに察知した惟光は、魔物(実は御息所の生霊)に取り殺さ

れてしまった夕顔の亡骸(なきがら)を、ことが大事になることを何より回避するべく、昔の因縁で見知って

いる東山の目立たない寺にすばやく移送する段取りまで思いを馳せると、源氏にはひとまず二条院の自邸に戻

るよう説き聞かせたのです。そして、夕顔の亡骸を上蓆(うわむしろ)にくるんで車に乗せ、それには右近を

相乗りさせ、馬は源氏にさしあげて、惟光自身は徒歩という出で立ちで、夕顔の野辺送りの手配に奔走したの

です。一方、源氏は、惟光の馬に正体もない有り様で跨がって、やっとのことで二条院に帰り着いたのです。

 このような時に、手はずの一つでも間違えればとんでもないスキャンダルが表沙汰になり、源氏の宮廷での

立場が危うく失墜しかねないところだったのです。しかし、実直な随身である惟光の獅子奮迅の働きぶりによ

って、みなすべて穏便に事が済まされたのです。もちろん、帰着後に高い熱も発して気分がすぐれない源氏を、

帝が心配して使者を差し向けたり、左大臣邸からは頭中将をはじめ子息達が見舞いに駆けつけたり、また何よ

りも二条院の女房達が尋常ではない有り様で戻った源氏の君に一体どんな夜歩きがあったのか不審がられたり

と、煩わしく悩ましい諸々のことは引き続いたのです。しかし、日がたち一月余り過ぎて病も快復する頃には、

源氏の周囲は従前の落ち着きを取り戻してきたのです。

 そうしたある日の静かな夕暮れ時、源氏は、その後二条院に住まわせていた右近をお呼び出しになり、色々

な語りごとをしながら、亡き夕顔の本当の素姓を聞きただしたのです。すると、果たして思っていた通り、

顔があの頭中将の通い人(「常夏(とこなつ)の女」)であったことが分かったのです。‥そして、それと同

時に、まったくはかない縁で終わってしまった夕顔の立ち居ふるまいが、どこまでも内気でか弱いものであっ

たことかと、胸にしみながら思い返してみるのでした。

 こうして“雨夜の品定め”で語られた「中の品の女」とのめぐり逢いは、源氏の君にとっては心に痛切な思

いを残す形で幕を閉じたのです。

‥‥しかし、六条御息所の怨念がもたらす恐ろしい話はこれだけでは済まなかったのです。

<先月下旬に佐渡へ行った時のスナップです>

1_32_3新潟港からいざ佐渡へ





Dsc_2110たらい舟に乗る兄夫婦

Dsc_2111_2閉山した佐渡金山。採掘で山が真っ二つ

Dsc_2117Dsc_2119本物のような人形ロボットが採掘の様子を再現しています

Dsc_2122Dsc_2131金山の外は紅葉真っ盛りでした




Dsc_2134七浦海岸の夫婦岩(右から夫、妻、子供2人)



























夕顔はおはてきますすでうすでんな

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