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2015年1月10日 (土)

「六条御息所」‥‥(9)

出産を控えた葵の上の姫君に取り憑いているのは、あの“車騒ぎ”の当事者の六条御息所の生霊らしい、と人々

が噂するようになるのに、そう時間はかかりませんでした。あの時の光景を目にした者は誰でも、御息所が受け

たひどい屈辱を察することが出来たため、葵の上が難産に苦しんでいるのは、御息所の恨みから来る“祟り”ら

しいとの連想が働くのは自然なことだったのでしょう。

 そしてさらに、そのことを裏付ける御息所自身の感懐へとつながっていくのです。『‥‥自分としては我が身

の運のつたなさを嘆くことより他に、他人の身の上を悪しかれと願う気持ちなど持ってはいないのに、物思い故

に身体を抜け出してさまよい出るという魂が、あるいはそうやってあのお方に取り憑いているのは本当かも知れ

ない。‥‥これまでの何年間か悩ましいことはあったにしても、心まで砕けてしまうということはなかった。と

ころが、こちらが無視された上に蔑みまで受けるという、あんなことがあってからは、心がすっかり虚ろにな

ってしまい、ついうとうととした夢の中でも、あの姫君と思える人の所へ自分が出向いて行き、姫君をなぶり、

狂ったように引き回したりするのを見ることが度重なってきている。これはやはり、自分の魂が抜け出したのだ

ろうか。‥‥今生きている身でありながら、人からそんな噂を立てられるのは、何と厭わしい我が身の因縁なの

だろう。もういっさい、あの薄情なお方に思いをかけようなどと思うまい‥』‥しかし、思うまいと思うことが、

実は思っていることなのです(と紫式部は書くのです)。

 そうこうするうちに、姫が急に産気づいて苦しみ出したので、大勢の修験者が懸命に御祈祷をすると、泣き苦し

みながら“御祈祷をゆるめてくだされ、大将に申し上げたいのです”と、やっと声を出す姫に源氏は寄り添い、

その手を取って見てみると、何と顔と声の感じは六条御息所その人に間違いないのです。あまりのことに源氏は

声も出ず、世の中にこんなことがあるのか、と驚き入ってまじまじと見つめるばかりだったのです。‥‥すると、

御息所の物の怪はこんな歌を詠むのです。

《なげきわび空に乱るるわが魂を 結びとどめよしたがひのつま》

(嘆きのあまりに身を抜け出して空にさまよっている私の魂を、下前の褄(つま)を結んでつなぎとめてください)

しかし源氏は、このことは自分しか分からないと思い、近くにいる女房どもに気付かれやしまいかと、内心はら

はらしてしまったのです(物の怪の正体が、恋人の御息所と知ると、愕然とした源氏は声の出しようもなかった

のです)。

 ややあって、苦しそうな声も少し静まったので、母宮が姫君に薬湯を与えようとし、人々に抱き起こされると間

なしに御子が生まれたのです。これで源氏をはじめ、左大臣家の人々すべてが安堵したのは言うまでもありません。

そして、懸命な加持祈祷を続けてきた叡山の座主、高僧達も満足し切った顔で、汗を拭いながら退出していった

のです。しかしながら、物の怪に苦しめられながら難産を終えた姫君の体力は、既に限界を超えて衰弱してしま

っていたのです。

‥六条御息所は目を覚ますと、自分の身に護摩に焚く芥子の香が染みこんでいることを怪訝に思い、御髪を洗っ

た上に着替えたりするものの、いっこうに変わらないので、ますます平静ではいられなくなるのです。そうこう

するうちに、危篤の噂だった葵の上の姫君が男の子を出産したことを伝え聞くと、よくもまあご無事で、と妬ま

しい思いになるのでした。

‥源氏は、葵の上が難産を終えて、いくらか気持ちも落ち着いてきたものの、あの時の世にも恐ろしい有り様を

思い出すとまた厭わしい気分になり、かと言って御息所に今すぐ逢いに行く気にはとてもなれないので、とりあ

えず手紙だけを書き送ったのです。そして、たとえようもなく愛らしい若君の顔を見届けると、すぐに葵の上の

姫君のもとにきて、まだ人心地もなく伏している姫君の様子を見守るのでした。姫君はひどく弱りやつれていな

がらも、御髪が一筋の乱れもなく、はらはらと枕元にかかる風情は、世に類のない美しさとまで見えるので、今

までこの人のどこに不足があると思っていたのだろうかと、我ながら考えあぐねる他なかったのです。それでも

「さあ、お薬を召し上がって、早くお癒りになって、いつものお部屋にお戻りなされ」と、優しく声をかける

と、まわりの女房達もしみじみうれしく思うのでした。そして、しばらく遠ざかっていた宮中へ出かけていく源

氏の君の姿を、姫君はこれまでと違って、じっと愛おしく目を注いで見送るのでした。

 源氏だけでなく、姫君の男子誕生に沸き立つ左大臣家の主だった人々も、ちょうど秋の官位昇進の評定の日なの

で宮中へ出向いて行ったのです。そして邸内が人少なになって少しひっそりとした夜半になって、葵の上は急な

咳込みに襲われ、激しく苦しんだまま息絶えてしまったのです。それは、宮中にいた源氏や左大臣家の人々に知

らせるいとますらなかったのです。

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コメント

こんばんは♬
今日も寒い日でした
寒い日が続いた分春の訪れも早いという予想ですけれども
どうなるのでしょうね
皆空さん、体調は如何でしょうか
今年の風邪は長引くようですので
直ったと思っても油断せずご自愛くださいね

葵の上は難産で体力がない為亡くなったのですね。今の時代なら助かる事も
その時代では、病も霊にとりつかれたとなるのでしょうか
読んでいると本当に生霊はあり、何かに憑りつかれたり、祟りなども
ひょっとしたらあるのかも知れないと思えますね
それは幻想なのかも知れないのですけれど
読むほどに怖くなり、それでも読みたいって思える物語ですね

年のせいか?読めば読むほど眠くなるのは己の気力と知力の衰えかな!

na noriさん 
風邪の名残で、腰が痛いんですがバイトは始めました。
今から出かけるところです。やはり、引っ込んだままですと
寝たきりに繋がりそうな気がして。happy01sweat01scissors
私も、昔の誰かの生霊に祟られているんじゃないかと、時々思います。(´゚д゚`)アチャー
ものは考えようかなcoldsweats01good

minosanさん
まあ、最初は、睡眠薬代わりでお読みください。
そのうち慣れてくるでしょうから。deliciousnotes
本当に気力が湧いたら、本物(原文)へ進んで下さい。good

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