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2015年4月

2015年4月30日 (木)

短歌

4月28日に今年はじめての山歩きで、丹沢の方へ一人で出かけました。 

その時の歌と、あと別の時に詠んだ歌です。

風光る鍋割山に登り立ち富士を望みて鍋焼きうどん

(丹沢の鍋割山に登り、山頂の小屋の鍋焼きうどんに舌づつみ)

 

痩せ尾根を辿って着きし『金冷し』 女子ハイカーは

踏み締めていく

(山が男の独壇場だった頃の名残りの急峻な峠を、山ガールたち

 も踏み締めていきます)

 

幅ひろき名もしらぬ路さまよえば センチメンタル

ジャーニーホーム

(横浜のとある町なかを徘徊した時、ふと頭によぎったことは‥‥)

 

山査子(さんざし)の花を揺らしてゆく風に目眩のような

遠きデジャブ

3霞んで見えませんが、2つの雲の下に富士山が見えました

4

1鬱蒼とした杉林の登山道

2コンニャクの仲間?

 

2015年4月22日 (水)

短歌

静岡清水町の柿田川湧水を見学しました。10年以上前に富士山

に降った雪や雨が地中に滲み込み、地下水として湧き出したも

です。一日の湧水量100万トンは東洋一とのこと。

 

富士の雪地に滲み入りて十余年 今ぞふたたび

陽に見(まみ)えなん

 

十年の時を巡りし柿田川 富士に滲み入り

富士を滲み出す

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雨の上がった翌日、野猿がいる伊豆の波勝崎(はがちざき)

まで行きました。

 

雨去りてなお潮風(かぜ)強し波勝崎 猿の親子は

体寄せ合う

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2015年4月11日 (土)

短歌

兼題「風」の続きで、少し雰囲気の違う歌にしてみました。

 

あと、9日に行った鎌倉の建長寺のスナップを付けておきます。

 

月うごき雲ながれて樹々ゆれる 時間という名の風

の落し子

(哲学でいう、時間とは物の動き‥‥)

 

 

旋風立つセクサスネクサスプレクサス地獄の季節の

トートロジー

(ヘンリー・ミラーもランボーには憧れたのです)

 

 

何もかもアベノミクスが悪いらしかこち顔してそれ

が今風

(「嘆けとて月やはものを思わするかこちがほなるわが涙かな」(西行法師)の本歌取り)

1総門から三門が望めます2鎌倉五山第一の大寺です

3三門に連なる道の桜はまだ咲いていました

4

5三門を抜けると仏殿が見えてきます

6本尊の地蔵菩薩像

61釈迦苦行像

7奥の半僧坊への階段

815烏天狗像が10数体

9得月楼と庭園です16

11龍王殿と唐門

12鐘楼と梵鐘(国宝)です

13小町通りまで歩き、後は一杯飲み屋へ!




















2015年4月 6日 (月)

短歌

4月の短歌教室での“グリーンドルフィンストリート”は、先生方

何かピンと来ないようで、やはりなジャズがマイナーな音楽の為

でしょうか(と歌のせいにはしない所が図図しいですね)。

5月は兼題が「風」で、3首ほど事前提出なので、早速詠み始めまし

た。何首か書き溜めた上で絞ろうと思います。

まず先日ドライブがてら見たハングライダーのネタから‥

空に上がるイメージの曲では、これが一番でしょう<Up Up and Away>

もっとも、こっちは気球ですが。

https://www.youtube.com/watch?v=sQVLsvZcr34

 

霞む空ハングライダーふわり浮き 顔にはふわり八

の花びら

(霞む空を背景に、好い風を受けて山の斜面からハングライダーが

 ふわりと上がる一方、八重桜の花びらがふわりと顔に落ちてきま

 した‥ホンマに)

 

高き風ハングライダー雲居まで いかずち怒り如何

やせん

(上昇気流で雲まで上がったハングライダーは雷を怒らせて絶体絶

 命に!‥‥ンなこたないか‥‥語呂合わせはくどいかも)

 

春嵐サクラもモモも蹴散らして朝にはいずこへ逃げ

たやら

(春の嵐が夜吹いて、花という花を吹き飛ばしていった。嵐は一体

 どこへ逃げ去ったんだろう‥)

2015年4月 2日 (木)

21世紀の資本

21世紀の資本  トマ・ピケティ著―みすず書房―

 久し振りに読み応えのある経済学の本が世に出ました。この本の主要テーマ

「富の分配と格差の研究」です。これはひょっとするとAスミス「国富論」、

マルクス「資本論」、ケインズ「一般理論」に匹敵する経済学の本に位置付け

られるかも知れません。ただ、世界的な「格差問題」が落ち着く目処が立たな

いうちは、この本の評価が定まらない可能性も大きいかも知れません。

 日本で「格差」というのが人口に膾炙するようになってから10年ほどたつの

でしょうか。「格差社会」が例の“流行語大賞”になったのが2006年だという

ことですから。「格差」のもともとの意味は、価格、資格、等級の差(岩波辞

典)のことですが、最近はもっと生活実感が込められて、この言葉が使われて

いるような気がします。「格差」がこれほどまで世の中で意識されるようにな

ったのは、やはり長期不況(デフレ)のせいなのでしょう。経済成長率が高く、

バブルも生まれていた時代には、私達の日常の生活においてそれほど実感(す

る必要)のない、概念だったと言っていいでしょう。

 この10年間にしても「格差問題」は心情的に理解はされても、客観的裏付け

を欠き、説得力がもう一つないまま、専ら政治的プロパガンダに使われてきた

印象が強いのです。これまでに格差分析に真正面から取組んだ社会科学書が目

立った形で出てこなかったことは、考えてみれば不思議なことでした。その理

由は、一言で格差と言ってもそれを客観的なデータで裏付けることが容易では

なく、またそれに取り組むだけの意気地を持った専門家など(殊に日本では)

育たなかったからでしょう。

 しかし、やはり出るべくして出るものはあるということでしょう。これだけ

詳細で分かり易いデータを(しかも多くは、主要国の18世紀末~21世紀初まで

200年強をカバーしており、この労作の部分がこの本の文字通りの肝です)

具えた本が書かれると、「格差問題」にまつわる雰囲気が世界的に大きく動き

出す可能性まであると言えそうです。

 ただピケティ自身は、この本は不完全な解答しか示してないと謙虚に述べて

いますし、細かな内容面では、オヤ?と思う点はあります(例えば、公的債務

の解消策の一つにインフレを挙げてますが、国家が自ら作った債務を、自らイ

フレを現出させて、借金棒引きしようとするのは、疑問なしとできるのでしょ

うか。20世紀の歴史的実績は、この本でも繰り返し強調している通り、二つの

世界大戦による副産物(結果論)だった訳で、そうであれば、果たして意図的

に同じ方法が採れるものでしょうか)。

 しかし、最も重要な本書の論点は、ドラスチックな累進課税を骨子とする富

の格差是正策の提言です。これほど明快かつ論理的整合性を以って、これが自

国に対して突き付けられた時に(対象は日本も含まれる主要先進国政府です)、

誰であれ迂闊な反論をすれば、反論自体の稚拙さが逆にあぶり出されてしまう

だろうという予感も強くするのです。大袈裟でなく、世界でこれから当分の間

目の離せない本であることは間違いないでしょう。

2015年4月 1日 (水)

短歌

ボケスモモヤマブキモクレンユキヤナギ何を語らん

オオシマザクラ



植物園では、ボケ、スモモ、ヤマブキ、モクレン‥と色々な木々が

花を咲かせ、目を楽しませてくれるのですが、何と言っても園の

名物オオシマザクラの大木の前では誰もが思わず息を飲んでしま

うのです。



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