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2015年9月

2015年9月26日 (土)

短歌

 

シルバーウィーク明けの24日にカルチャー教室で鎌倉の東慶寺を

訪れました。この寺は北条時宗の夫人覚山志道尼が夫の死んだ翌年

1285年(弘安8年)に開創しました。覚山志道尼は息子である

執権北条貞時に願い出て縁切り寺法を設ける勅許を得ました。以来、

1871年(明治4年)の廃仏毀釈によりこの寺法が廃止されるまで、

女性の方から離縁できる“駆け込み寺”として封建時代には希少な

女人救済の寺としても名高い地位を守ってきたのです。

明治になって長い尼寺の歴史に幕を閉じると、新たに禅寺として歴

史を歩み始めました。1905年(明治38年)に高僧と讃えられた釈

宗演が住職となると、その居士(僧ではない仏弟子)である鈴木大

拙と二人三脚で禅(ZEN)文化を世界に広める礎を築いていった

のです。同時に安宅弥吉(安宅産業創業者)、岩波茂雄(岩波書店

創業者)、出光佐三(出光興産創業者)といった実業家や西田幾多

郎、和辻哲郎、小林秀雄、高見順、川田順、太田水穂、田村俊子と

いった哲学者、文芸人からも慕われる寺となったのです。数ある鎌

倉の寺の中でも際立って近代文芸・文化の香りの濃い寺と言えるで

しょう。

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4本堂(泰平殿)

境内には色とりどりの秋の花が咲き乱れています。

6_2コスモス

7秋明菊

8彼岸花

9ムラサキシキブ





 

 

 

 

本堂「泰平殿」の門前に四賀光子の歌碑があります。

ながらふる 大悲の海に よばふこゑ 時をへだてて なほ確かなり

(四賀光子は夫の太田水穂と歌誌「潮音」を主宰した歌人です)

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もの忘れ またうちわすれ かくしつつ 生命をさへや 明日は忘れむ

(太田水穂は脳卒中で倒れ、その病床で詠んだ最晩年の歌です)

 

東慶寺の墓所には驚くほど多数の近代の著名人のお墓があります。

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11安宅弥吉

12岩波茂雄

13西田幾多郎

14鈴木大拙

15高見順

16田村俊子

17小林秀雄

18大松博文




 

 

あの“鬼の大松”の大松博文さんのお墓もありました。大松さんの

名言と言えば、「俺についてこい」、「なせばなる」が有名です。

その「なせばなる」とは上杉鷹山(うえすぎようざん)の歌からとったの

です。

なせばなる なさねば成らぬ なにごとも 成らぬは人の なさぬなりけり

(上杉鷹山は江戸中期米沢藩の藩主で、破綻に瀕していた米沢藩の財政を立て直した名君です。この本歌が武田信玄の歌にあります)

 

 

 

 

この着想で私も一首捻ってみました。

それをそう 成るとおもへば そう成りぬ そうで

なければ 世界は成らぬ

(私たちにとって、世界はそのように成り立っています)

 

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山門を入って左手に田村俊子の文学碑があり、こう書かれています。

『この女作者はいつも おしろひをつけている この女の書くも

のは 大がいおしろひの中から 生まれてくるものである』(女作

者)

 

 

 

 

 

2015年9月17日 (木)

短歌

 

久し振りの晴れ間が続いた15日に、前から一度見てみたいと

思っていた町田市鶴川にある武相荘(ぶあいそう:旧白洲邸)に

行ってきました。彼岸花が咲いていそうな気もしたのです。

白洲次郎は若くしてケンブリッジに留学、英国流の素養を身

に付け帰国すると正子と結婚しました。

2次大戦が始まると当初から日本の敗戦を見抜き、妻の正子

とともに鶴川村に移住し農業にいそしみました。終戦後、吉

田茂に請われGHQとの折衝にあたり、日本国憲法の成立、

サンフランシスコ平和条約の締結といった重要な仕事に深く

関わりました。しかし、その後は政界入りも断り、幾つかの

会社経営に携わって終生在野を貫きました。妻の正子は結婚

後、小林秀雄、河上徹太郎、青山二郎といった文芸人や芸術

家と親交を結び文学、能、骨董の世界に身を置き続けました。

純然たる田舎暮らしを志向し子供も育てながら、在野にいて

なお時代感覚を磨いていたという二人の生活態度・信条とい

ったものにはただただ憧れるばかりで、その旧家に爪の垢で

も残っていやしないかと出かけた次第です(勿論そんなもの

があるはずもありませんでした)。

 その旧白洲邸での印象に基づいて詠んだ歌3首とその他2

です。

 

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昭和18年に古い農家を買い取って住んだ母屋

https://www.youtube.com/watch?v=z63U8fV8owc




 

 

戦後70年何を偲ぶ次郎 武相荘でも柿は赤らむ

(武相荘とは鶴川村が武蔵と相模の境界にあったので、次郎

 が名付けたのですがもちろん無愛想をもじったのです)

 

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母屋の前庭と散策路




 

白洲翁遺言2行いさぎよし 「葬式無用、戒名不用」

(白洲次郎が正子と子供たちに宛てた遺言が残っていて、こ

 の2行だけだったのです)

 

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母屋の隣のレストランには、次郎の写真と正子の似顔絵があります

8次郎が終生乗り回した愛車

 

ひっそりと木陰に佇む彼岸花 次郎も馳せらむ国へ

の思い

 


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散策路脇に彼岸花が咲いていました





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石塔








 

 

山査子(サンザシ)の挿し木が一つ夏を越す二十何度目

かの正直で

(なかなか成功しなかった山査子の挿し木がやっと根付きました)

 

 

 

それをそう 感じとるから そうであり そうであ

るから そうある世界

(ある哲学ブログからの着想です)

 

 

 

 

2015年9月10日 (木)

短歌

 

台風でカルチャー教室(鎌倉散歩)が中止となり、撮るつもりでい

たスナップがありませんが、歌が少し貯まりましたので載せてみま

す。4月~8月までの分から8首ほど。

 

 

 

 

酒匂川河原いっぱいの陽炎の上をのたくる小田急電

(酒匂川(さかわがわ)は神奈川県西部にある川で、小田急

鉄橋が架かっている辺りが私の故郷です。アユが豊富です)

 

 

 

酒匂川夏は稲穂を育んで実りの秋にうまざけ醸(かも)

(昔、酒田錦という旨い地酒がありましたが、今は?)

 

 

 

上弦の月を葉影に引き入れて泰山木は夜空を統べる

(公園の巨大な泰山木(たいさんぼく)は空半分を覆う程です)

 

 

 

チッポラのうつ向く顔にかさなりぬ モーブ色した

細きおとがい

(短歌教室の先生の顔がチッポラに似ていると思ったので‥)

 

 

 

峠過ぎ山うぐいすがホウホケキョ ケフ一日ノ褒美

ニゴザルヨ!

5月に丹沢山を歩いた時、鶯の鳴き声はそう聞こえました)

 

 

 

亡き義姉の丹精こめし柿の葉は 梅雨に濡れつつみ

どりけざやか

6月の義姉の一周忌にて)

 

 

 

憲法にまつわりついて離れない 解釈論という妖怪

(近ごろずっと気になっていることです)

 

 

 

時があり空間もある今ここに ヒッグス粒子がどう

であろうと

(少し哲学っぽいものも‥‥)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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