« 短歌 | トップページ | 短歌 »

2015年9月17日 (木)

短歌

 

久し振りの晴れ間が続いた15日に、前から一度見てみたいと

思っていた町田市鶴川にある武相荘(ぶあいそう:旧白洲邸)に

行ってきました。彼岸花が咲いていそうな気もしたのです。

白洲次郎は若くしてケンブリッジに留学、英国流の素養を身

に付け帰国すると正子と結婚しました。

2次大戦が始まると当初から日本の敗戦を見抜き、妻の正子

とともに鶴川村に移住し農業にいそしみました。終戦後、吉

田茂に請われGHQとの折衝にあたり、日本国憲法の成立、

サンフランシスコ平和条約の締結といった重要な仕事に深く

関わりました。しかし、その後は政界入りも断り、幾つかの

会社経営に携わって終生在野を貫きました。妻の正子は結婚

後、小林秀雄、河上徹太郎、青山二郎といった文芸人や芸術

家と親交を結び文学、能、骨董の世界に身を置き続けました。

純然たる田舎暮らしを志向し子供も育てながら、在野にいて

なお時代感覚を磨いていたという二人の生活態度・信条とい

ったものにはただただ憧れるばかりで、その旧家に爪の垢で

も残っていやしないかと出かけた次第です(勿論そんなもの

があるはずもありませんでした)。

 その旧白洲邸での印象に基づいて詠んだ歌3首とその他2

です。

 

12


昭和18年に古い農家を買い取って住んだ母屋

https://www.youtube.com/watch?v=z63U8fV8owc




 

 

戦後70年何を偲ぶ次郎 武相荘でも柿は赤らむ

(武相荘とは鶴川村が武蔵と相模の境界にあったので、次郎

 が名付けたのですがもちろん無愛想をもじったのです)

 

34_2
母屋の前庭と散策路




 

白洲翁遺言2行いさぎよし 「葬式無用、戒名不用」

(白洲次郎が正子と子供たちに宛てた遺言が残っていて、こ

 の2行だけだったのです)

 

9_210
母屋の隣のレストランには、次郎の写真と正子の似顔絵があります

8次郎が終生乗り回した愛車

 

ひっそりと木陰に佇む彼岸花 次郎も馳せらむ国へ

の思い

 


76
散策路脇に彼岸花が咲いていました





5
石塔








 

 

山査子(サンザシ)の挿し木が一つ夏を越す二十何度目

かの正直で

(なかなか成功しなかった山査子の挿し木がやっと根付きました)

 

 

 

それをそう 感じとるから そうであり そうであ

るから そうある世界

(ある哲学ブログからの着想です)

 

 

 

 

« 短歌 | トップページ | 短歌 »

趣味」カテゴリの記事

コメント

こんにちは🎶
素敵な場所ですね(*'ω'*)
検索してHP見てきました
四季折々の写真もあり
心がきれいになりそうな場所でした(#^.^#)
まだまだ日本には心落ち着く場所が沢山ありますよね
観てるだけでも気持ちよくなります
ゆっくりと歩いている気分になれましたよ~

こんばんは。
今日はいつもとは別の短歌教室に行ってきました。色々と見聞を広げた方が
いいように思いましたので。別に「同人」に入る予定はないですがね。
白洲次郎は時代の変革期に登場するタイプの人材だったのでしょう。幕末の
坂本龍馬や高杉晋作のような。例の真の意味での「大和魂」を具えた人間だっ
たのだと思います。今の日本の表舞台には見当たりませんね。恐らく時代の
雰囲気がこういった人材を生みだすのでしょうから、今よりもっと切羽詰まった
状態にならなければ出て来ないんでしょうね。私が生きてる内は無理そうです。
私に出来ることは短歌を念仏のように唱えるだけです。(ノ∀`)アチャーcoldsweats01sweat01

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1627554/61654865

この記事へのトラックバック一覧です: 短歌:

« 短歌 | トップページ | 短歌 »