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2016年7月

2016年7月18日 (月)

天皇譲位について

 天皇譲位について

 

 今般、今上天皇が皇位の譲位の意向を周辺に伝えられていたことが明

かとなり、国内外に少なからぬ波紋を広げています。これについて虚

坦懐に述べてみたいと思います。

 私は二千年を超えるとされる日本の長い天皇制の歴史を鑑みて、皇位

生前譲位は行われてもいいと思います。現在は「皇室典範」にその規

がないことをもって、天皇の崩御(逝去)以外に皇位の継承を想定で

ないとしていますが、このことの方が不自然(非現実的)であろうと

うことです。ついでに言えば元号は皇位の継承があった場合に限り改

られると元号法で規定されていますが、今回はこれはこのままで不都

はないと思います。

 論点となるのは、今回のように現天皇が皇位の譲位の意向を示しても

「皇室典範」に規定がないことを根拠にこれを退ける(無視する)こ

が、名実ともに民主政治が行われている現代において、まったく問題が

ないのであろうかということです。天皇制の下で律令政治が行われてい

た奈良・平安時代でも(それ以前の時代はさらに)、生前における皇位

の継承は頻繁に行われていたのは歴史上明らかです。もちろん皇位の継

承の契機は一様でなく、崩御以外にも、年齢を考慮した円満な継承、重

篤な病気、皇統争い(確執、暗殺も含む)、執権(藤原氏など)からの

圧力による退位、など様々な事情のケースがあったのが事実です。そし

て昭和天皇までの124代のうち約半数が生前譲位だったのです。

 しかし、今後将来的には明治~戦前までのような天皇絶対君主制に戻

ことなどあり得ないことを踏まえれば、「皇室典範」を改正し、生前

の皇位の継承の規定を定め、同時に女性天皇も可能とする明確な規定

設けるべきだろうと思います。男系万世一系などという考え方はそれ

体が価値あるものとはもはや言えないでしょう。未来志向に則って日

が天皇制を維持継続させて行こうとするには、時代錯誤した「皇室典

範」の内容部分は改めるべきであることはむしろ国民の義務だと言って

もいいでしょう。これまで同様、数多くの国事行為だけでなく地震や台

風などの被災地への見舞い巡幸に加え、良くも悪くも今後ますます緊張

が高まる可能性の大きい国際政治の場において、日本の(象徴としての)

首として天皇の役回りの重要性は一層増すことが予想され、それらす

てを過酷なスケジュールの中でこなさなければならない天皇の負担の

烈さは私たち国民の想像を絶するものがあると言っても過言ではない

しょう。そうであれば、平和裏に生前の皇位の継承を認めるというこ

が最も現実的ではないでしょうか。その場合焦点となるのは、これを

めるのはどのような場合とするか、ということになるでしょうが、例

ば‥『天皇の発意があった時』に『内閣の助言を踏まえて』‥のよう

手続き規定を中心にした形で、かつ『皇位継続に努めて頂くことを底

に敷いた』文言を盛ること等でしょうか。この細目を詰めることはそ

困難であるとは思えません。新聞等の論調で見ると「皇室典範」の改

は大変困難な作業であることが強調されていますが、「皇室典範」が

実に即してない(その意味で間違っている)のであればこれを改めな

のは国家的瑕疵であるということが分からないはずはありません。困

であることを理由に事を進めないのは“サボタージュ”に他なりませ

ん。このような人たちはこの仕事に関わるべきではなく、速やかに新し

い人材に替えることが肝要でしょう。例えば、宮内庁長官が14日の記者

会見で「天皇の退位の意向など聞いてない」と述べたようですが、天皇

のお気持ちを最も代弁すべき立場の人間のこの“木で鼻をくくった言い

方”に対して私が懐いた感想は、呆れを通り越して、哀れであり悲しみ

すらあったのですが、皆さんはどうだったでしょうか。

 今回の今上天皇のご意向は、新しい時代に対応して天皇が今まで以上

役割を果たしていくために、皇位の継承のあり方を考え直す時期がす

に到来しているのだと天皇自ら熟慮の上で出されたシグナルであろう

拝察されるのです。従って今は、政府においてこれまでになく真摯に

て速やかな対応が必要とされていると言って間違いはないでしょう。

そしてあえて言えば、もし政府がこれに決断を下せないのであればこれ

を【国民投票】にかけるべきでしょう。

 

 

2016年7月 1日 (金)

「団塊の世代」という誤解

「団塊の世代」という誤解

<孤老さん>にコメントするつもりが、時間が過ぎ、かつコメント文が長いので私のブログとして出すことにしました。悪しからず。

イギリスのEU離脱はイギリス人が決定したことですから、日本人としては遠方の火事として当分の間は眺めるしかないですね。あと数年(少なくとも5年位?)見ないことにはこの事件の評価は下せないような気がします。近世までのイギリスの伝統として、大陸と付かず離れずながらそれなりの距離を置く、というやり方が完全に染み付いていたが故に今回のような国民の政治判断が出たのでしょうから、これを簡単に“軽挙”とは言えないように思えます。歴史に決まったシナリオなどなく、何が起こるか誰も予想できませんから、今はとにかく冷静に事の推移を見守るしかないのではないないでしょうか。     

孤老さんのブログ内容で私が気になったのは、最後の方の<諸悪の根源である「団塊の世代」とその追随世代‥‥>とある箇所です。言うまでもなく、団塊の世代とは昭和222324年度生まれの世代で、人口が突出して多い年代層を指します(私もこの最終世代です)。しかし、この世代が“諸悪の根源”と呼べるほどの纏まりを持った発信力を持っていたかとなると、まったくそんなことはなく、ただ社会現象的な面で、ベビーブーム、幼稚園ブーム、学校給食、進学ブーム、大学(学園)紛争、就職の青田買い、ハネムーン海外旅行ブーム、住宅ブーム、土地・株バブル、‥‥と言うようなことを伴っただけに過ぎません。そしてテレビや新聞等のマスメディアがこれらの社会現象を説明する上で、「団塊の世代」の存在を根拠にするのが非常に都合がよく世間にも受け入れられた(というかそのように世論を作った)、そして(皮肉な点ですが)団塊の世代自身も何か自分が社会の動きの中心にいるように錯覚して、むしろ得意気でいたのです。しかしそもそも「団塊の世代」という言葉は、かの通産官僚出身の作家の堺屋太一が昭和51年に発表した同名の、近未来の日本社会を描いた小説がミリオンセラーになった結果生まれたものです。これを読めばわかりますが、堺屋太一は地層の中にたまに見られる異質な礫岩層(団塊)に喩えて、“何かと世間をお騒がせする奴ら”という皮肉なニュアンスを込めてそう名付けたのです。つまり、堺屋太一が自分より一回り下の突出した人口を持つこの3世代に対して付けた“蔑称”と言えばいいものが「団塊の世代」だったのです。そしてこの呼称が実に見事に“嵌った”のです。この嵌り具合いは恐らく、堺屋太一の思惑を遙かに超えるものだったと思われます。‥‥そして繰り返しますが、この「団塊の世代」が独自の世代意識で纏まって社会的行動を起こしたなどという事実は決して存在しなかったのです。あったのはただ、これを説明用語に使うことで、多くのエポックメーキングな社会事象が説明できてしまったという事実です。考えてみればこの説明に異論がまったく出なかったことは不思議なことです。これを「世論形成の一つの典型例」と言ってしまえばそれまでのことかも知れません(社会学的には興味を引きますが)。

そして私がこのコメントをする動機でもあったのですが、この「団塊の世代」というものが大きな人口の塊であることは事実ですが、意思を持った集団というものではまったくなく、従ってこの世代に根拠を問える(責任を帰することが可能な)社会事象などあるはずもないということです。そして、もしそう思ったとしてもそれは錯覚に過ぎないので、それを追及しても何も得るものはないということです。‥‥例えば最近言われているのが「年金問題」で、これは「団塊の世代」が退職世代化した途端に年金の受給アンバランス(受取る老人数と負担する現役数の逆転現象)が表面化して、社会問題化してきましたが、これなど典型例です。年金問題は「団塊の世代」のリタイア到来が契機となって表面化しましたが、本質はこの制度の仕組みにあるのです。年金とは本来、自分の将来の老年生活に備えて、自分が現役として働いている時に積み立てておくというものです(積立給付)。これをある時(30数年前)、働く現役世代が退職した世代に支払う形(賦課給付)に制度を変えてしまったのです。恐らくそうすることが、年金給付の上でその時は最も都合が良かったことが理由で転換したのでしょう。何せ「団塊の世代」が就労し始めるや社会全体の年金徴収額が急増したからです。年金に関して「諸悪の根源」とはまさにこのことでした。「今こそ年金制度を転換するチャンスだ」という悪魔の囁きをしたのは一体誰だったのでしょうか?当時の厚生省だけではなく、大蔵省、通産省などが一丸となってこれを推し進めたのだと思います(省益が一致する稀な案件だったからでしょう)。‥‥そして、今その“ツケ”は回ってきたのです。日本も先進国の例にもれず少子高齢化へ転ずるや、長期不況も重なって、この年金システムの欠陥が一挙に表面化したのです。つまり年金の受給人口が供給人口を上回り、年金給付資金の枯渇が見通せる状況に陥ったのです。年金制度は“ネズミ講”化してしまい、近い将来に破綻することが目に見えてきたのです。しかも間の悪いことに、年金基金の運用を株や債券、為替といった高リスク商品へ振向ける比率を高める法改正までしてしまったところに、最近の世界規模の金融市場の激しい動揺が起こってしまい、年金基金に巨額の損失が出ているのは間違いないのです。この運用状況を勘案すれば年金の支給などまったく覚束ない有様ではないでしょうか。文字通り“資産の食い潰し”状態に陥ってしまったのです。‥‥これは「団塊の世代」とは何の関係もなく、制度上の欠陥から起こるべくして起こった問題なのです。「団塊の世代」に問題点の根拠を置いたり矛先を向けるのは、問題を一層不明にさせ解決への道をますます遠ざけてしまうだけだと言いたいのです。

 ことほど左様に「団塊の世代」という言葉は誤解を多々生み出しました。それは単に誤解でなく社会的には“害悪”を生み出したと言ってもいいと思います。政治や行政の当局者がこの誤解に基づいて誤った政治行政運営をしてしまった結果どれだけの社会的損失が生み出されたのでしょうか。今更こんなことを言い出すのは“詮ない”話とはいえ、もうこれ以上の害を広げないという知恵をそろそろ働かせるべきではないでしょうか。

‥‥最後にこれに対する私の短歌を‥‥『「団塊の世代」は死語となりぬべし 四十年(よそとせ)経ればただの土塊(つちくれ)』

 

ついでにアルバイト先の近くの公園とお寺でのスナップです。

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3 花はアリウム・ギカンチウムです

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8 弘法大師像です

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何をやっても ほめる人を けなす 人が 出てくる ものですよ‥‥とあります(;´・ω・)

 

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