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2016年12月

2016年12月31日 (土)

天皇譲位について―その3―

「天皇の生前譲位」問題に対する安倍内閣の着地どころが何と

なく垣間見えてきたこの時点で、文字通り年が押し詰まった

“今こそ”やはり言っておきたいと思います。私は“今こそ”

「皇室典範」を改正して、天皇の生前における譲位を可能にす

る継続的かつ現実的な仕組みに変えるべきだと思います。わが

国の天皇制の歴史が二千数百年にわたるものであることは勿論

であるにしても、民主国家という体制の下で引き続き天皇制が

継続されるためには、変えるべきところは変えなければ天皇制

は恐らく維持できないと思うからです。そのために踏まえてお

かなければならない重要な点は次のことです。

 天皇は生身の人間です。宮家(天皇家一族)の人達ももちろ

ん同じです。現人神(あらひとがみ)という言葉は今の世の中

では“死語”であると言って間違いありません(望んだとして

も、二度と復活することはないでしょう)。そして、国民が天

皇を尊崇するのは天皇を「神」と信じているからではなく、

「天皇」という地位・立場(国民の中における役割)に対し、

他に代えがたい大切さを思う故のことなのです。国民が天皇を

日本という国で行われる「まつりごと(=政治と言うより祭

祀)」を担う、無くてはならない大切な「機関」と感じている

ということに他なりません。この点で、美濃部達吉博士の「天

皇機関説」は旧憲法(大日本帝国憲法)下においてすら誠に慧

眼という以外にないものであったと言えます(旧軍人、右翼は

もとより多くの政治家もこれを理解しなかった)。そして天皇

も私達一般国民と同じく一夫一婦制の下にあり、典侍(ないし)

・側女(そばめ)という“別腹”にまで皇統を残すことはもは

や不可能です(明治時代まではこれが許され、明治天皇は15

もの子供をもうけました)。この点こそ、二千数百年続く天

制の歴史といっても、これから先の時代においては、今まで

まったく異なるものなのだという認識を私達国民は持たなけ

ばなりません。この上に立って、現実的に天皇制の維持とい

ものを考えなければならないということです。先の有識者や

門家の意見の中にはこの認識が甚だ欠けているとしか思われ

いものが散見されるのは如何なる事情によるものなのか私に

分かりません(皇室典範は変えないままでいいと言い、時代

誤のピント外れの提言をした人達です)。このような人選を

た総理大臣の見識を疑わざるを得ないと言う以外にありません。

この点を真摯に考えることができない人は今後の日本を担う政

治家としては失格でしょう。将来、にっちもさっちも行かない

事態を招いた時に、その責任は今の政権担当者とその意見具申

者達だということを銘記しておくべきでしょう(その時存命し

ているかどうかは別です)。

 21世紀以降の新時代において天皇制が継続されるためにはど

のように制度を改められるべきか、このことを最もヒシヒシと

感じられてこその今上天皇の「お言葉」だったのであり、その

立場から唯一発することができる、なお非エゴイスティックに

徹したいわば「金言」に等しいものを等閑に付すという施策と

は“罪悪”と言わなければならないでしょう。

‥年が改まりましたら、いい初夢を見たいと願っています‥

 

 

 

 

2016年12月18日 (日)

吉井道郎さん逝去

NHKカルチャー教室(横浜)の「古都鎌倉の四季」で実地に

講師を務められてきた吉井道郎(よしいみちお)さんが128

 日に老衰で亡くなられました(89歳)。私は先日千葉県の市川

市での通夜式に行ってまいりました。

私は一昨年の秋から今年の春までの一年半の間この教室に参加

し、鎌倉の有名あるいは無名の寺社仏閣の見学散歩に随行し、

吉井さんの博識により実に多くの鎌倉の歴史を知ることができ

ました。ちょうど短歌を習い始めた時期と重なりましたので、

私にとっては短歌の習作のためにも実に多くの機会が得られま

した。

それにしても、老衰でお亡くなりになる同じ年の春まで吉井さ

んは、この野外教室の先頭に立って取り仕切られていたのには

今さらのように感服するほかないのです。「矍鑠(かくしゃく)

という形容が吉井さんほどぴったり当てはまる人も少なかった

のではないでしょうか。一回の教室で3~4か所の名所を、起

伏の多い鎌倉の地形お構いなしで、基本歩いて回るのですが、

 40歳台~80歳台の156人の会員(男女半々くらい)で吉井さ

んより先にバテてしまう人も少なくなかったのです。いつも五

キロ程度の道行きで、見物コースにハイキングコースが入って

いることもままあったのですから、“物見遊山”気分で参加し

てみたら“えらい目に会った”人が一体何人いたやら知りませ

ん(ほぼ次から欠席です)。

短期間ではあったのですが、とにかく私の目には、吉井さんは

鎌倉の歴史のいわば「語部(かたりべ)」として映じていたのは

事実で、時に呟くように仰られた「鎌倉幕府なかりせば後の徳

川の江戸幕府もなかった」というお話にも私はいつしか納得し、

感じ入ることになったものです。私にとって、否、鎌倉にとっ

て大変貴重な方を失ったいう他にありません。

 

 

想い出のスナップと、それにつながる短歌を幾首か。

1 2

私が初めて先生の教室に参加したのは円覚寺見物でした。

<許されればわれ鎌倉に丸まって暮らしてみたし

この年になり>

Photo 海蔵寺

Photo_2 亀ケ谷切通

写真では分かりにくいですが、結構な上り坂です。

1_2 東慶寺

2_2

 

 

<ひっそりと木陰に佇む彼岸花東慶寺にて

待つのは誰ぞ>

3 小林秀雄の墓

4 大松博文の墓

<為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の

為さぬなりけり>

大松監督が座右の銘とした上杉鷹山の和歌です。

 

1_3 2_3 3_2

光触寺(こうそくじ)のスナップに吉井さんが写っていました。

一遍上人と吉井さんの風貌が非常に似ていたのです。

<捨ててこそ見るべかりけれ世の中を

すつるも捨てぬならひありとは>(一遍上人)

 

1_4 七里ガ浜

<波引けば足に残りし黒き砂七里ガ浜の

夏は去りけり>

七里ガ浜~稲村ケ崎を見物した時の私の短歌です。

1_5 Photo_3

本年1月の教室で、結果的に最後となった鎌倉八幡宮

でした。それと江の島の海です。

<大海の磯もとどろによする浪われて砕けて

裂けて散るかも>(源実朝)

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

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