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2017年1月

2017年1月26日 (木)

天皇譲位について―その4―

<万世一系論の無意味>

 わが国の天皇制議論でしばしば言われるものに「万世一系」

いうものがあります。非常に誤解を多く含む言葉で、事実、

天皇の男系皇統論の一つの根拠になっているものです。私はこ

れほど無知蒙昧な話はなかろうと思いますので、簡単に述べて

みます。

 中学~高校の理科(生物)の教科書には必ず人間の性(男・

女)決定は、X、Yとい二つの性染色体の組合せで決まるとい

う説明がされています(これは本質的には一つの理論です)。

つまり、XYの組合せなら男、XXの組合せなら女であるとい

うものです。そして男はXを母親から、Yを父親からもらい、

女は一つのXは父親から、もう一つのXは母親からもらうので

す。系統図を画いても簡単に分かりますが、男のYは本人→父

→祖父→曾祖父→‥‥と、男の系で辿ることができます。いっ

ぽう男のXは母の二つのXのどちらか一つですが、その母のX

は一つはその父(祖父)からもらい、もう一つはその母(祖母)

の二つのXの一つをもらいます。つまり女は常に一つのXは父

からもらい、もう一つのXは母からもらうのです。‥‥そこで

言えることは、(男の)Yは常に男の系にあるYであり、Xは、

男は母からのXであり女は父と母の両方からもらうXであると

いうことです。

そこで「万世一系」のことです。万世はすべての世代という

 味です。確かに男のY染色体は「万世一系」のものです。対す

るX染色体は男は女(母)から、女は男(父)と女(母)から

もらういわば「万世多系」のものです。つまり世の中の男はす

べて「(Yという)万世一系」であり、(男の)天皇も例外で

はないということです。遺伝的には別に天皇だけが「万世一系」

ではないのです。‥‥こうなると「万世一系」自体が特別に価

値を誇るものでも何でもないということになります。‥‥これ

に対する反論として言われそうなことは「いや皇統のYは、そ

こら辺の“馬の骨”とは違う、歴史的に記載された家系で示さ

れる皇統のYである」ではないでしょうか。‥‥しかし冷静に

(科学的に)見て皇統の“馬の骨”と、そこら辺の(例えば私

という)“馬の骨”と明確に区別(差別)すべき差異があるで

しょうか。実体としては同じ人間(男)の骨であるというのが

現代の考え方ではないでしょうか。差があるとしてもそれは骨

董的な意味だけでしょう(例えば「ナポレオンの骨」というよ

うな)。皇統論の遺伝学的な説明はすべてこの弊に陥ります。

 私は、わが国の皇統の歴史において「男系」にこだわった最

大の理由は、古代から日本の社会が「男系社会」であったこと

によるのだろうと思います。昔に遡ってザックり俯瞰すれば、

狩猟・採集生活→農耕生活→と生活様式が変遷するともに、社

会の形態も部族社会→地域豪族社会→統一国家へと変様してき

たというのが歴史的事実です。そしてどの時代でも多かれ少な

かれ戦争(他の部族、他の豪族、他の地域国家、他の勢力との)

に明け暮れていたので、武力として常に男が前面に出たことに

より「男系社会」と言えるものが形成されてきたと言っても間

違いではないでしょう。特に統治・政治の面でその性格が強い

ものだったと言えます。例えば「参政権」一つとっても明らか

です。

 そして現代の「民主主義社会」が到来して、これがガラリと

変わりました。まだ歴史的には日が浅いため改正途上の分野も

少なくありませんが、基本的に「男女平等」の路線です。これ

は全世界にわたる現代の世の中の「趨勢」で、これが間違った

趨勢であるなどとは到底思えません。起こるべくして起こった

ものです。どう考えてもこの逆戻りなどあり得ないでしょう。

‥そしてこの趨勢にまったく立ち遅れているのが「皇室典範」

で、これは結局のところ書き直すことになるでしょう。今でな

くても遅かれ早かれそうせざるを得ないのは目に見えています。

  以上の認識を欠いている人は、どのような立場であれ時代認

 識を誤っていると言う以外にないのです。

 

 

 

2017年1月16日 (月)

認知症

 つい先日思わぬところで従妹(母方の親戚の三女)に会いま

した。昨年中も親戚筋の法事などで会ったので久しぶりに見る

顔でもなかったのですが、この日は所用で小田原方面に行った

帰りに寄った土産物ショップの中の野菜・果物売場でです。

「新鮮なキャベツとミカン、イチゴもありま~す、いかがです

か~」と言う声に何気なく顔を見ると紛うかたなく従妹だった

のです。「あれ?タマコじゃないか、ここで仕事してんの?」

と声をかけると、従妹(タマコ)は「あらユウジくん、今日は

何しに小田原へ?」とどこかで聞いたような台詞です。‥‥と

いうよりも「ユウジくん‥」には私は違和感があったのです。

何故ならタマコは私より3学年下のはずだったからで、それで

もお互い還暦過ぎなわけだからそれでもいいか、と思って「

のイチゴ美味そうだから買うよ」と言うと、「まあ、ユウジだ

からタダであげるよ、これもね」とミカンや手作りの蒟蒻(こ

んにゃく)までレジ袋に入れて横にいた私のカミさんに渡して

くれたのです。目見当で2千円位かと思い、「いや、商売だか

らタダでもらうわけにいかないよ、これ払うよと、2千円を渡

そうとすると「ユウジは何言ってんのよ‥じゃあまあ半分だけ

ね」と、千円札1枚を納めてくれたのです。そうこうするうち

にタマコの携帯が鳴り「あ、姉ちゃん、いま牛島(私の実家)

のユウジくんが店に来てね‥‥」と話す相手は姉のイクヨさん

のようです(イクヨさんは私の1学年上です)。そのうちに「

え?そうだったかな、なら聞いてみるよ」と切ると、「ねえ、

ユウジって何年生まれだっけ、私は27年だけど」と私に聞くの

です。私は、ハハ~ン、姉に年の勘違いを指摘されたな、と溜

飲を下げる思いで「25年の3月だよ」と言うと「でしょ?やっ

ぱり私のが上だよね」と来たのです(!)。私は少し語気を強

めて「えー?オレが3級上だよ!」と言うと、「あれ?そうだ

っけ。ああそうかそうか~、勘違いしちゃった!よくあるんだ

よねー」と、やっと自分の間違いを認めたのです。‥‥しかし

最後に別れる時に「じゃあ帰り運転気を付けてね、ユウジ」と

言われると私は苦笑いするしかなかったのです。

 帰りの車中で私はカミさんに「あれは認知症の初期症状だ

な、認知症は時間感覚がおかしくなることから始まるらしい

からな」と言うと、カミさんは「でも、話してたようにただ

の勘違いじゃないの、あとは何でもなかったみたいだし‥」

と言うので、私は横顔をチラッと見て「いや、最後までおか

しかった。‥そのうちお前が俺を呼び捨てにしやしないか心

配になってきたな」と言うと、カミさんはムスッと黙り込ん

でしまったのでした。

 年齢の長幼(目上・目下)は、子供が幼いうちに親が躾け

るもので、その人間が社会で平穏に生活していく上で欠かせ

ない根本的な素養(判断力)であると言っていいでしょう。

学校時代ではこれが身についていなければ喧嘩やイジメの原

因になりますし、社会人であれば “一人前”扱いされなくな

るでしょう(ただし、相撲などの特殊な世界では先にその業

界に入ったものが目上(兄弟子)で、年齢とは別になります

が)。‥‥今まで問題もなかったのにここに狂いが生じるこ

とは、やはり認知的な面での何らかの“アラーム”であるの

は疑いないでしょう。

 

スナップは、帰りのバイパス道路で見た満月の出(スマホで

は小さくしか写りません)と、翌日仕事の後で半年ぶりに立

ち寄った上大岡のお寺(真光寺)でのものです。

あと短歌を5首。

https://youtu.be/6KuOS1DEVXU

 

2_2 白い車のすぐ上が月です(クリックで拡大)

1 20mはありそうな泰山木です

2_3 弘法大師像です

3 延命地蔵です

5_2 寺から富士山も望めます

6_2 「自分にしかない味をだす

それが自分を生かす道」とあります

 

 

<陽が射せば山の空気は膨らんで

         鳶は螺旋に雲居に消える>

 

<酒に酔い袂を分かって四年過ぎ

         この頃気になる友の境涯>

 

<世の中の経済の仕組そもカジノ 

       御手にゆだねて神のまにまに>

 

<なんとまあ立つ鳥後を濁したり

         転勤二桁出張三桁>

 

他の場所で見た泰山木(たいさんぼく)を以前詠んだものも。

 

<陽炎に英連邦の墓標ゆれ 

         泰山木の見下ろす下で>

 

 

2017年1月 4日 (水)

箱根駅伝考

 箱根駅伝を久し振りに直接見物・応援しました。私の家から

道1号線の名所「権太坂」まで歩いても10分足らずの近さな

のですが、正月の2日、3日は妻や私の実家に帰っていることが

多かったのと、家にいてもテレビで悠々と中継が見れたのでわ

ざわざ寒い中を出かけようとはしなかったからです。下の子供

が小学生の頃に歩道で肩車しながら見物した時以来ですから15

 6年振りかも知れません。今回は3日の復路のレースを一人で見

に出かけたのです。直前までやはりテレビ中継を見ていたので

すが、ふと直接見てみようと思ったのです。天気が温暖だった

せいもあるでしょう。先頭ランナーが到着する10分ほど前に国

道の東側の見通しが良さそうな場所に陣取ってスマホを手にし

て待っていました。走る選手に近い西側歩道はすでに沢山の応

援の人垣ができていたのです。やがて襷をかけサングラスをし

た青学大の選手が白バイに先導されてやってきました。タッ

ッタッタっと(音は大声援で聞こえませんが)軽やかに走り

ぎていきました。それから5分以上もして早稲田そして東洋大が

きました。そして後続の選手が次々に権太坂を駆け下っていっ

たのです。こうして駅伝選手の走り姿を見ているうちに突如十

数年前に駅伝を見たときの記憶(感慨)が私に蘇ってきたので

す。‥‥‥それは、どの大学の選手も一様に顔が上気し全身

を火照らせて走る姿、それは全身全霊で疾走することによる疲

労のなせる姿に違いないのですが、彼らが一生の夢の晴れ舞台

に酔っているように走る姿に私の目には映ったということです。

誰にとっても“箱根駅伝を走った”ということは間違いなく一

生の財産になるはずです。優勝のメンバーであったらなおのこ

と、そうでなくても選手として走ったという事実だけで、彼の

一族郎党の末代までの語り草になるのです。私の田舎の村でも

 60年以上も昔のことですが、××屋(田舎は各家を屋号で呼ぶ

ことが多い)の次男坊は〇〇大で箱根駅伝を走った、大したも

んだ‥‥という話が“伝説化”していました(弱小チームで、

成績までは語られなかったのですが)。

 それと忘れられないのが、20年位前に駅伝選手の途中棄権が

頻発し、その原因が、選手が体調不良をひた隠しにしてでも出

場したがるということだったのです。逆に言えばランナーはそ

れ位“箱根駅伝を走りたがる”ということなのです。どのチー

ムでも部員達の大部分が高校時代から好素質を見込まれたラン

ナーで、走る意欲には甲乙つけがたいとなると、監督の重要な

役割は直前までの練習の中での部員(選手候補)の体調の見極

めにある(時には非情采配をする)と言ってもいいのでしょう。

今回完全優勝した青学大ですら復路(七区)で“あわやブレー

キか”というヒヤリとする場面があったのですから。

 とにかく、箱根駅伝の選手達の見せる「苦悶の表情」は(実

際は文字通り苦悶なのでしょうが)、駅伝選手の経験などない

私には「歓喜の表情」あるいは「苦悶に酔い痴れる表情」に見

えたということなのです(選手が聞いたら怒るでしょうが)。

それを思い出しながら「ハハ~ン、やっぱりなー」と呟きなが

ら家に帰ってきたのです。

 

権太坂での駅伝のスナップと駅伝を詠んだ歌です。道の反対側

から撮ったので選手の表情まで分からず申し訳ありません‥‥

 

青学大

1  2

早稲田、東洋大

3  4

5

神奈川大

6

法大、中央学院大

8  

  

<箱根路をひたすら駆ける若者ら

     みな袈裟切りの一太刀負いて>

 

<箱根路を友から友へ掛け継ぎし

       汗と涙の母校のたすき>

 

<権太坂たすきのよぎる晴れ舞台

     権太は失せて神がいませり>

 

<晴れ舞台選手の貌(かお)は上気して

     一生(ひとよ)の夢の箱根駅伝>

 

 

 

権太坂の近くにある植物園のメタセコイアを年末に

撮ったスナップと、一昨年詠んだものです。

 

1_2  3_2

 

<降りそそぐメタセコイアの紅き針

        その一刹那燃ゆる冬見ゆ>

 

 

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