心と体

2017年12月15日 (金)

金時山・明神ヶ岳登山

 今年最後の山登りとして12日に娘2人と箱根の金時山・明神

岳に行ってきました。下の娘は山歩き初参加です。ちょうど

この日に日本列島にこの冬一番の寒波が訪れ少し心配しまし

が、荒れるのは日本海側で太平洋側の箱根は寒さがあったもの

の天気は快晴でした。当初は7時間30分かけて両山踏破の予定

でしたが、行きのバスにかなり遅れが出たため仙石バス停近く

の金時山登山口を920分スタートとなってしまい、これでは

最後が日没にかかるのでそれを避け、金時山の中腹の分岐から

明神ヶ岳の方へ進むことにしました。そこから火打石岳(988

 m)などの4つのトップを越えて行くやや長いコースを2時間余

りかけて進みましたが、明神ヶ岳手前の急登以外は緩い坂で、

後方には登るはずだった金時山の姿が富士山を背景にして見え

てきました。日は照っていますが笹の間を通る道は凍っていて、

強くはないものの冷たい風が絶えず吹いていました。12時過ぎ

に明神ヶ岳山頂(1169m)に到着し、昼食にしましたが風が冷

たく20分程しか留まっていることはできませんでした。しかし

そこでの眺望は絶景と言ってよく、富士山~箱根連山~相模湾

と小田原の街並みそして足柄平野~丹沢連山へと、360度見渡

せたのです。それにしても、寒波到来のニュースのせいか平日

にしても登山客は少なく、登っていくのは私達だけで、途中で

すれ違ったのは1人だけ、頂上にもう1人という寂しさでした。

 そして体が冷え始めたので、12時半に最乗寺(道了尊)に向

けて下山を始めました。ところが私たちが下った道(奥の院へ

の道)は正規の尾根道のルートではなく、見晴しらしいところ

ない落葉の積み重なった谷あいの道で、しかし一本道なので

うことなどなく3時間ほど下り続けて最乗寺に着きました(15

 30分)。そして寺から30分ほど下った場所にある「おんりー

ゆー」という日帰り温泉に浸かり(何だかこれが目的で登山コ

ースを決めた感じです)、最後はゆっくりと3人で祝杯をあげ

てほろ酔い気分になって、最寄り駅までの送迎バスで帰途につ

いたのでした。

 

1 後ろに見える金時山

2左側に富士山が少し見えます

3  明神ヶ岳へ続く笹の間の道

5金時山の上に富士山が見えてきました

6おまけ

9 明神ヶ岳の頂上から

8箱根山(神山、駒ケ岳)

7

10

12小田原市街地と相模湾

13三浦半島方向   

 

 

 

 

 

短歌は、登山とは関係なく、「心」題で詠んだものから5首ほど。

 

<人の言ふ内面はなく心理的

            言葉あるのみそれぞ内面>

 

<人の世に自意識といふ言葉あり

           心と名づけあってなきもの>

 

<心といふその存在をどうしても

          このものとして示し得ぬもの>

 

<実際にこれが心と目に見える 

            形で指摘されることなく>

 

<心といふ言葉がありて人の世に

            連帯感のもたらさるらむ>

 

 

―参考歌―

<世の中は夢かうつつかうつつとも

          夢とも知らずありてなければ>

 (古今和歌集942 読み人知らず)

 

 

2017年11月24日 (金)

ヤビツ峠~塔ノ岳

鎌倉の知人から丹沢のヤビツ峠~表尾根~塔ノ岳~大倉尾根

 歩きの誘いがあり、娘(長女)にも声をかけ1121日に7月の

蓼科山以来久しぶりの登山をしました。山ベテランの知人は

 12 月に北アルプスへ登るのに先立ち足慣らしをしておこうと、

に声をかけてくれたのです。娘は娘で最近は2週間ごとにど

かの山に登っており、次は奥多摩の雲取山に行く予定で、

りその前の足慣らしにちょうど良いと話に乗ってきました。

今年は春から好天に恵まれた登山が一度もなく、今回は果た

してどうかと危ぶんだのですが、私にとって今年の山歩きは

れで最後だろうと思って出かけました。朝8時に小田急秦野

に集合し、バスでヤビツ峠に9時過ぎに到着、920に登山開

です。天気は予想を上回り塔ノ岳に着くまで雲の影をほとん

見ないほどでした。ヤビツ峠が標高761mで塔ノ岳1491mで

から標高差730mを4時間かけて登る予定です。隊列は知人―

―私という並びが最後まで維持され、娘がバテれば私がサポ

トする形です。二ノ塔から三ノ塔へ上がるにつれ視界がぐん

ん良くなるのが分かります。西方向には常にスッキリと富士

が見えました。箱根連山から南方向には日射しが眩しいなが

真鶴半島~伊豆半島~相模湾~伊豆大島~三浦半島が見え、

側の大山の背後には東京湾と房総半島まで展望できたのです。

とにかくこの一年分の悪天候のつけを全部取り返したと言える

くらい今回は好天に恵まれたのです。

三ノ塔(1204m)到着が11時とほぼ予定通りで、そこで小休

止です。そこから塔ノ岳まで5つほどの大小のピークを越えて

く尾根ルートが見えます。あと290m足らずの高低差なら楽

と思ったところが、あにはからんやここからのアップダウン

曲者でした。後から思い出すとここで両手ストックを取り出

て足の疲労をカバーしていけば良かったのですが、前の二人

そのまま行くので私もストックは使いませんでした(頂上手

で使いましたが)。それでも疲労困憊もせず水分補給をしな

2時間余りかけて目標の塔ノ岳に到着したのが1310で、

そこで昼飯をとりました。ここの景色も絶景で、何と富士山の

右後方には南アルプス連峰~八ヶ岳連峰まで遠望できたのです。

京の方角は少し霞がかかりスカイツリーまでは見えませんで

たが高層ビル群の影は見えました。そして日も短いからと14

 に金冷シ峠に向けて下山を開始したのです。

ところがものの2分もしないうちに私の膝が悲鳴を上げ始めた

のです。下りでは最初から両手ストックを使ったのですが、左

右の膝には既に疲労が溜っていて下りの衝撃に耐えきれない状

態だったのです。私の様子を察した知人は、岩と板階段の多い

大倉尾根を下るのをやめ、鍋割山寄りの小丸尾根を下るルート

に変更しました。こちらの方が傾斜はあっても柔らかい土の道

で膝への衝撃が小さいと考えたのです。私は体の向きを変える

にもかなり難儀しながらも、確かに大股の踏み幅となる場所も

ほとんどなく、ゆっくりと下ることができたのです。そのため

西山林道に辿り着いた時にはもう暗くなり始め、かねて用意の

ヘッドランプを灯しながら大倉バス停に1720分に戻ることが

できたのです。娘には後半はずっと気遣いをさせっぱなしで、

とうとう「毎日スクワットやって膝を鍛え直さなきゃだめよ!」

と叱られる始末で、娘との体力逆転を今回ではっきり悟ったの

でした。

 

 

短歌は詠むどころではなかったので以前詠みましたのを5首ほど。

 

1 西方の富士山

2 南方の箱根、伊豆半島

3

4 三ノ塔から。正面右が塔ノ岳

5 右後方の南アルプスの山々

7 真鶴半島と伊豆半島

8 左に逆光で薄く見える大島

9 大山の向こう側は横浜と東京湾

 

 

 

<空高く満艦飾(まんかんしょく)の広がりて

             横須賀港に秋はたけたり>

 

<たまきはる世は薄情けせめてもの

       「いいね!」を恋ふるインスタグラム>

 

<亀虫がバスのシートに鎮座せり

           触らぬ神に祟りなしとや>

 

<陽の淡くポストボックス開けたれば

          守宮(やもり)が顔出しわれを窺う>

 

<しらじらと明かるむ窓に浮きあがる

   星蝶蠅(ほしちょうばえ)かそれとも飛蚊(ひぶん)か>

https://www.youtube.com/watch?v=qWdLJ6-PeVo

 

 

 

2017年11月 7日 (火)

裸の王様の憲法 (憲法改正について)

 

〈墓石さん〉へのコメントが削除さてしまいましたので、私の

ブログとしてほぼ同じものを掲載いたします。私にとって憲法

改正というテーマは見過ごせないものですから。

 

〈墓石さん〉の仰るとおり、憲法改正の焦点は第九条の条文を

どう改めるかにあり、教育の無償化等は付け足しに過ぎないの

は間違いありません。何といっても自民党が戦後70年間も言い

続けてきたのは第九条の書き直しのことだったのですから。た

だ私は以下の点で墓石さんとは異なる見解を持ちますので、要

点だけに絞って述べさせてもらいます。

 

 アメリカが日本に憲法改正を要求したことはない(この要求

が事実であることを示す具体的な証拠がありますか?)。日本

の民主化と非武装化を重要な眼目とした日本国憲法の原案を作

り、概ね狙い通りの憲法が成立したのを見届けたアメリカは、

ソ連を始めとする共産主義勢力からの日本の防衛のために日本

の各地に軍事基地を設置し「日米安保条約」でこの防衛体制を

担保した。その後朝鮮動乱を機に警察予備隊(後の自衛隊)を

作らせ(要請ではなく指導です)、曲がりなりにも日本に軍隊

が誕生します。この時に憲法第九条との矛盾(齟齬)も生じた

と言えます。後々日本に憲法改正を要求するくらいならこの時

に条文改正をさせたことでしょう。サンフランシスコ講和条約

後に日本は形の上で独立国に復帰したと言っても事実上のアメ

リカ支配下にあったのですから、アメリカがそうしようと思え

ば難なくできたはずです。従って、アメリカは敢えてそれをし

なかったのだという以外にないでしょう。それは日本を二度と

軍事強国にはしたくなかったからでしょう(日米戦争のアメリ

カ側から見た教訓と言えます)。これは、今に至るも変わらな

い、アメリカの基本的なスタンスと言っていいでしょう。逆に

言えば、「日米安保条約」のシステムの上にあってほぼ自由に

軍事活動ができるアメリカにとって憲法九条は今のままで何ら

痛痒を感ずるものではないのが事実でしょう。アメリカが日本

に憲法改正を要求する理由などないのです(本当にこの要求が

あるなら、歯に衣着せぬトランプ大統領がこれを言わずにいる

訳がありません)。

 

 では日本にとって、憲法第九条は改正すべきなのか、すべき

ではないのか。ここで敢えて条文を示してみましょう。

 『日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希

し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、

国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前

項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持

しない。国の交戦権は、これを認めない。』(漢字のルビ省略)

‥‥この“美文”に対して学者のやる解釈論などまったく不要

です。義務教育を受けた普通の日本人なら、この条文は《日本

国民は平和を求め、軍隊を持たず、戦争はしない》ということ

だと理解するはずです。シンプルで明快であると言ってもいい

でしょう。‥‥では、これが日本という国を統べる規範となる

条文である、と言えるものでしょうか。今に始まったことでは

ありませんが、日本を取り巻く近隣の国は不穏な動きをする国

ばかりです(どこの国がどうと言う必要もないでしょう)。そ

の時どの相手に対しても、日本はこの九条に基づいて《日本国

民は平和を求め、軍隊を持たず、戦争はしない》と主張すれば

相手はおとなしくしてくれるでしょうか。「え!冗談じゃない

!!」と誰でもが言う話でしょう。

‥‥まったくのところ、こんな冗談が現実化しないでいるのは、

自衛隊と日米安保条約が存在するからです。これが紛れもない

事実です。‥‥それではもう一度言います。これが日本という

国を統べる規範となる条文である、と言えるものでしょうか。

‥‥誰もが本心では「違う」と思っているのにそれをはっきり

口に出さない‥‥これを『裸の王様』と寓話で言います。そう

です、私は本心から『第九条=裸の王様』であると思います。

嘘つき状態の条文であり、国を裸に曝す条文であるという二重

の意味で『第九条=裸の王様』なのです。私は王様を見た子供

と同じように“わーい、王様は裸だ!”と叫びたいと思います。

そうした上で、王様に着せる服のデザイン(改正条文)を皆で

話し合うことを願うのです。

 

 

スナップは近所の公園の山茶花です。あと「九条」題の短歌を

 5首ほど(再掲載もあります)。

 

 

1 2

3 4

 

<九条は九条教を生み出しぬ 

            その条文は呪文のごとし>

 

<いつまでも平和の信徒に傅(かしず)かれ

              裸の王様裸のままで>

 

<憲法を長きにわたり放置して

          何かを犠牲に何かに盲(めしい)に>

 

<九条をやれな論じそ酒飲みて

        酔(ゑ)ひ泣きのみぞまさりけるかも>

 

<改憲の必要性の有り無しを

       浮塵子(うんか)のごとき議論をなすべし>

 

2017年10月17日 (火)

偶然短歌

 ご存知の方もいると思いますが、昨年(2016年)夏に「偶然

短歌」(飛鳥新社)という本が出版されました。著者は「いな

にわ せきしろ」と名乗っていますが、これは「いなにわ」と

いうプログラマーと「せきしろ」という作家の二人が組んで作

った本です。それは、インターネット百科事典「ウィキペディ

ア」を使って適当なキーワードを検索し、ランダムに抽出した

文章の中に偶然、5‐7‐5‐7‐7リズムがあり、31文字(音)

の短歌的定型があてはまる文章部分が数多くあることを発見し

たことがきっかけだったのです。そしてこの短歌的定型があて

はまる約5,000個の文章から精選した100個(100首)を「偶然短

歌」と名付けて発表したという体裁をとった本なのです。

 例えば、「セーラー服」を検索することにより「艦長が自分

好みの制服を艦の資金で誂(あつら)えていた」という偶然

歌を切り取っています。そしてその解説が、「プログラムに

り切り取られてきた短歌は、艦長の公私混同ぶりと、趣味趣

を強調するものであった。艦長にとってはいい迷惑かもしれ

い。」といった具合です。‥‥これだけなら単なる“面白半分”

の域を出ませんが、この本を読んだ本物の歌人が興味を寄せ、

短歌月刊誌等で話題にしたものを私はたまたま目にして、すぐ

に書店でこの本を購入したのです。

 今のところ、この本に対する短歌界での位置付けは、「悪法

も法なり」という言い方を借りれば、「偶然短歌も短歌なり」

という程度の扱いでおさまっているように見えます(完全に黙

殺される可能性もあったでしょうが)。しかしながら、短歌を

始めてまだ三年足らずで短歌習熟度の浅い私のような短歌素人

にとって、この本は心のどこかを触発し、勇気を与えてくれる

効果があったのは事実です。つまり、それは伝統的な短歌の

「本質」に則っているなどとはとても言えないのかも知れませ

んが、短歌というものの一つの「切り口」を教えてくれたとい

う気がしたのです。それは5‐7‐5‐7‐7の短歌的定型がそれ

なりに人に伝える内容を持ち、少しでも感興をもたらすものを

持っていれば、そうした“無手勝流”で作ったものを「短歌」

だと言って出してもそう恥ずかしくはないだろうという意味で

す。これを素人の居直りと言われればそれまでで、またこれが

短歌の発展に寄与するものか甚だ疑問ではありますが。

 

今までに偶然短歌的センスで詠んだ歌を幾つか載せておきます。

スナップは半月ほど前に鎌倉山を散策した時のものです。

 

1 小さく江の島が見えます

5 好天ならこの方向に富士山が見えます

2 4

6 何だか怪しい雲行きなので

7 急いで七里ガ浜の街に出て

8 本当の眼目の飲屋に着きました!テリー伊藤などもたまに来るそうです。

 

 

 

 

<十本に七本くらい傾いて立つ

             戸塚区の電信柱>

 

<世のなかに雑草という草はなく

          雑魚とよばれる魚もいない>

 

<星川のホームセンターコーナンの

            駐車場へは信号左>

 

 

<このバスは地球環境にやさしい

        アイドリングストップバスです>

 

<手荷物は身近に置いて離さずに

         置引きなどに注意しましょう>

 

<改憲の必要性の有無(ありなし)

         二十五日に議論すること>

 (注:二十五日は「有無の日」)

 

<われ思う故にわれありそのあいだ

         山にこもっていたわけでなく>

 

 

2017年9月18日 (月)

母校にて

 

また台風が上陸してきましたが、今年くらい山歩きが天候に

恵まれない年も珍しいような気がしています。先週後半に予

定していた富士登山も天候がすぐれず来年に延期しました

(結果的に登山は可能でしたが、素人集団なので無理せず、

 2日前にツアー会社にキャンセル料を払って中止しました)。

その前の8月に予定した奥秩父の金峰山も雨で流れました。

週は近場の箱根明神ヶ岳に行こうと娘夫婦と話しています

どうなることやら。

 

‥‥そんなことで先週は神奈川県西部の私の故郷近くにある

介護施設に義母を見舞い、ついでに母校の中学校まで足を運

びました。この11月に6年ぶりに同窓会があるので母校を見

ておこうと思ったのです。卒業から52年もたっているので木

造校舎は鉄筋校舎に変わっていますが、グランドは同じ位置

のままでした(ただ、野球のバックネットが南東から北西へ

と真反対の場所に変わり、テニスコートは東側から西側に変

ってしまっています)。グランドには入ることができたので

ぶらぶら歩いたのですが、昔何本も植っていたプラタナスの

姿は消えて周囲に金網が張りめぐらされていました。グラン

ドの土は所どころ赤みがあるものの黒みを帯びた灰色は昔の

ままでした。そしてゆるやかに風がわたるグランドには秋の

トンボが何匹か舞っていました。‥‥昔は今頃なら体育祭の

練習をする頭の上を数百匹(数千匹?)のトンボが泳ぐよう

に舞っていたのを思い出します。新しい校舎の東の端にはプ

ラネタリウム教室らしい屋根がありますが昔はもちろんなか

ったものです。北側には松田山という500ⅿ程の山並みが迫っ

ていて昔はトンビが上昇気流に乗って舞っていたものですが、

今ではハングライダーがよく飛行しています。その山の手前

を酒匂川が流れ、故郷の町の北側から東側の境界を形づくっ

ているのです。

その母校のスナップと、あと家の近所の公園で咲き出した彼

岸花のスナップです。そして短歌を7首。

 

 

 

1_4 正門側

2_4グランド側

3_2 8

7_2 6_2 向こうが松田山

1_5 2_5

3_34_3

1_6 2_6

公園隣の 英連邦墓地

 

 

 

<学舎(まなびや)の姿はまるで変れども

           黒きままなるグランドの土>

 

 

 

<失はれし時を探してグランドの

         真中に立てばトンボが舞いくる>

 

 

 

<鉄筋の校舎の東の丸屋根は

          夢をはぐくむプラネタリウム>

 

 

 

<酒匂川青く清らに流れゆく

           永久に変わらぬ時を刻みつ>

 

 

 

<ふるさとのみんな呼んでるあの山を

            あと幾たびか吾は眺むる>

 

 

 

<草深き松田山へと分け入れば

            風わたりきて山ゆり匂ふ>

 

 

 

<たまきはる世の生と死と見続けて

           曼殊沙華また今年も咲きぬ>

 

 

 

 

 

 

 

2017年8月 6日 (日)

蓼科山登山

台風5号が日本の南の海上にいた5日に信州八ヶ岳の一

角の蓼科山(たてしなやま)に登ってきました。この

台風5号は発生したのが721日なのでこの時で既に半

月が経過しているという驚くほど長命な台風で、登山

は間際まで迷いましたが、関東・東海地方への接近の

可能性が薄らいだので登ることにしたのです。これは

次に計画している富士登山の予備登山ということで、

 2500ⅿ以上の高山慣れが主眼でした。娘夫婦と、わが

息子も加わって4人の山行きです。

 早朝5時に車で出発し、圏央道から八王子を経由して

 中央高速を使ったのですが、蓼科山の麓の女神湖に着

いた時は9時過ぎていました。そして蓼科牧場(スキ

場)のゴンドラには乗らず、さらに車で上の御泉水

然園の駐車場まで上がりそこで靴を履きかえて940

 分に山登りをスタートしました。天気は思ったよりは

良く、雲が出ているものの時々青空が見え、気温は22°

  23°位とちょうどいい具合です。最初は傾斜のゆる

い樅ノ木とクマザサの中の道を歩き、やがて石ころの

多い坂道へ、そして険しい岩道へと登って行きました。

1時間半ほどで蓼科山荘、さらに40分で山頂に着きまし

た(1150分)。夏休み期間ということもあり、家族

連れや山仲間グループの登山客で山頂は賑わっていま

した。時々日射しがあるのですが雲も出ていて、天気

が良ければ南アルプスや富士山のすばらしい眺めが見

れたはずですが、今回はまったくダメでした。蓼科山

の標高は2530ⅿで、空気の希薄感も少しあり、これを

味わっておくのが主な目的だったのですが、娘夫婦は

やや不慣れな感じがあったようです。30歳の息子が一

番元気で、まだ体力を余している様子でした(独り者

の身軽さと冷やかされていましたが)。

山頂の気温は16°~17°位で特に寒くもなく気持ちの

いいそよ風が流れていました。午後の降水確率は30%

 40%と安心はできませんので、昼飯を食べたあと12

 40分には下山をし始めました。岩道に少し苦労しまし

たが登りに比べれば楽で、膝も痛くなる気配もなく14

 30分には事にスタート地点の駐車場に戻ることが

できました

 ところが車で再び帰路を走り始めた途端に雨が降って

きたのです。強い降りではないものの、降ったり止ん

だりの雨で、やはり遠くにある台風5号の影響が出てき

ていたのです。富士登山は9月初めに予定しているので、

それまでにもう一回今回のような登山をしておこうと

思っています。

1 自然園から20分ほどのスタート地点です

2  3 クマザサの道

4

45 石ころと岩の多い道

5 麓の方が霞んで見えます

7 蓼科山頂

15 16

 

8 山頂のヒュッテです

9 山頂で見たアゲハチョウ

10 岩道を下ります

 

 

 

 

 

あと、短歌を5首。

 

<青空ゆ遠き野分の気配すれば

           蓼科山に雲のわき立つ>

 

 

<今の世のノアの箱舟過ぎ行けり 

         ゴミトラック、ゴミ収集車>

 

 

<老い人はバスに乗りませば直ぐ座り

        ドッコイショッと云ふが安心>

 

 

<支持率は浮きつ沈みつ気ままなり

          理念の見えない衆愚政治>

 

 

<中学の同窓会の案内きて

         昔が見たくなりにけるかも>

 

 

 

2017年6月17日 (土)

金時山登山

大山の次は金時山へ行こうと話していた娘夫婦が、なんと10

土曜日に先駆けして登ってしまったので、私は思い付きで天気の

良さそうだった15日に一人で登ってきました。車で東名高速・御

殿場インターまで行き、国道138号を箱根方面へ20分ほど登ると

金時(公時)神社があり、ここの駐車場からの登山スタートとな

りました。事前にネットで調べるとここからの登頂コースが最短

で、しかも平日なら駐車料金無料のスペースがあることを知った

からです。朝の高速道路はスムーズで朝7時半に家を出て金時神

社には840分に着き、靴をはき替えて50分にスタートしました。

車で上がってくる途中で富士山も大きくクッキリと見え、山頂か

らの雄大な富士の眺めが今度こそ期待できそうです。上り道はい

かにも登山道らしく、土にゴロ石が混じり、そこそこの傾斜です

が、丹沢の大山のように踏み幅の広い階段などはなく普通の山登

りペース(私はやや早め)でスッスッと歩が進みます。最初のう

ちは杉木立の林が続き、後半は低い灌木をぬって行くコースで、

所々で家族連れや、お年寄りグループを追い越しました。金時山

は箱根の人気スポットの山なので、平日でも登山客の賑わいは丹

沢方面の山に劣らないのです。晴れていても梅雨時のためか思っ

たより涼しく、結局水分補給の休憩を取ることもなく頂上まで登

ることができました。スタートからちょうど1時間で(マップの

案内では75分)、正直のところ少し拍子抜けがしました。

そして‥‥山頂に日は照っているものの北西方面の空には黒雲が

垂れこめていて肝心な富士山が見えないではありませんか!!!

山頂の茶屋の人は「いやー、さっきまで富士山は見えていたんだ

けどね、やっぱり梅雨空なんだわ」と残念そうに話してくれるの

です((ノ∀`)アチャー)。まだ10時前でしたが私はなんだか急に腹が

すいてしまい持参のおにぎり弁当をパクついたのです。山頂にあ

る金時茶屋には普段なら“金時娘”がいるはずなのですが、今日

は麓に下山しているらしく、親類らしい爺さんが小屋番をしてい

ました(金時娘も85才位のはずです(^^;))。山頂で時間潰しをし

ていれば、雲が晴れて展望が良くなるかも知れないと少し期待を

しながら居合わせた登山客と話をしたりしていたのですが、その

うちに霧も白く立ちこめてくるに及んで、待つのは諦めて下山の

支度をはじめました。結局、1050分にスタートして駐車場に着

いたのは11時半でした。そしてこの辺りまで下りるとまるで真夏

のような青空が広がっていたのです(山で遮られて富士山は見え

ません)。

 そして再び東名高速を横浜までとばして午後1時半に家に帰着する

や一気にビールをあおると、ほどなく満足感が湧いてきました。

‥‥夕方娘からラインが来て「お父さん、無事下山した?天気良

くて良かったね~(*^-^*)」とありましたので、「ああ、お蔭さん

で登山はほとんど疲れなかったし、黒雲と霧もタップリ見てきた

わい」と返事したのです。

 

あと短歌を5首。

 

300pxmtkintoki_161 金時山(ネットからの画)

 

1 2

3 4

5 後半の灌木の繁み

6 山頂です

7

8 頂上から仙石原、芦ノ湖が望めます

9

10 この方角に富士山が見えるはずが‥‥

11 金時茶屋

12 下り道もアッと言う間でした

 

 

 

朝、目覚ましよりも先に聞いたのは‥‥

<ホトトギスが一声啼けり朝の四時一度聞いたら忘れぬ声の>

 

 

<物心つきし時より眺めたる金時山にはじめて登る>

 

 

<箱根路の果つる奥処にひっそりと古木と佇む公時神社>

 

 

<金時は想ひしよりも優しくて荒ぶる山の面影ぞなく>

 

 

<富士山のあるべき方に目をやれば黒雲さえぎり霧もわき立つ>

 

 

 

別の日に、家の近所の公園の道でアゲハチョウが落葉の上で跳ねるように、伏せたり仰向けになったりしていました。

 

1_2

2_2

 

<道端でひっくり返る揚羽蝶これはあそびか寿命のきたるか>

 

 

2017年6月 1日 (木)

大山登山

昨年秋に娘夫婦が隣の駅に新居を購入して東京から引っ越して

きていたんですが、私が誘って528日の日曜日に大山(おお

やま、1252ⅿ)に登ってきました。この山は丹沢山系の東の玄

関口にあり、古く奈良・平安時代から「大山詣」と称せられ雨

乞いや修験場として関東一円の人々の信仰の対象となってきた

山です。この日は五月空のやや雲があるものの日射しもあって

そう暑くはない格好の登山日和でした。

登山口手前の駐車場に車を置きここをほぼ午前8時にスタートし

ました。ここが標高300ⅿですから高低差950ⅿの山登りです。

私にとっては大山は5度目の馴染みの山ですが、娘夫婦は初めて

の登山なので、なるべくなだらかなコースをゆっくりと登るこ

とにしました。土産物店が左右に並ぶこま参道を抜け、遠回り

でも階段の緩い女坂を上がって行き、9時前に阿夫利神社下社に

着きました(ケーブルは乗らず)。下社で登山の無事を拝んだ

あとは、二重滝~見晴台へ回る山の東側のルートを選びました。

こちらの方が石段が少なくゆったりしているからです。鶯の声

の近づいたり遠ざかったりするのを聞いているうちに9時半に見

晴台に到着、小休止です。二人とも疲れた様子はありません。

しかしここから山頂まではやや険しくなり、石段や木の階段が

多くなり二人とも(まず婿が)目に見えてへばってきたので、

無理をせず休憩を頻繁に入れながら11時に山頂にたどり着きま

した。スタートしてからちょうど3時間でした。 

山頂の阿夫利神社本社の周辺は私が今まで見たこともない位の

登山者で賑わっていました。6月に入ると梅雨や猛暑を心配し

なければならないので、5月最後の日曜日に大勢の人が殺到し

たのでしょう。

ただやはり山頂は靄っていて、相模平野は見えるものの富士山

や近隣の山の連峰は見えませんでした。娘夫婦は(特に婿は)

食べ物が喉を通らない程へばったわけでもなく食べっぷりが良

いのに安心しました。

帰路も順調に下って行ったのですが、嬉しかったことがあり、

それは途中で不如帰(ほととぎす)の“トッキョキョカキョク

(特許許可局)”と鳴く声を78回聞いたことです。今や平地

ではこの声を聞くことなどまずないと思います。

しかし、帰路の後半のところで私が勘違いして男坂の方を下っ

てしまうと、石段が急で踏み幅も広く、心配した通り膝が笑い

だし、私も含め三人とも最後は膝がズキズキしだしたのですが

何とか 2時間で駐車場にたどり着いたのです。

夕方4時過ぎに二人を車で家に送り届けたあと、夜7時から私の

家族も加わって戸塚駅近くの北海道料理の飲み屋さんで慰労飲

み会となりました。娘夫婦は既に元気回復し、早くも次の登山

計画の話を始めるのです。‥‥そして閉店まで飲み食いしたら

しいのですが、私は途中からまったく記憶が飛んでしまい気が

付いたのは翌朝のベッドの上でした。(ノ∀`)アチャー(^^

あと短歌を5首。

 

1 雲の下は相模平野

2

3 緩やかな上り坂が続きます

4 婿さんもバテずに歩いてます

5 板敷の道が多い

7 二重滝 ここでホトトギスが鳴いてました

 

 

 

<大山の嶺より見しはひさかたの

           空の下なる霞む故郷>

 

 

<五月空に大山詣トライする

           初登山とふ婿の太っ腹>

 

 

<大山を遠回りして登りしが

                  良いこともあり不如帰鳴く>

 

 

<空耳と初め思ひし不如帰

       ついに間近でトッキョキョカキョク>

 

 

<酒に酔い歌の文句が出ればこそ

          眠気が勝り気がつけば朝>

 

1_2 2_2

 

登山とは関係ありませんが、わが家のベランダのパンジーに

ヒョウモンチョウが来て卵を産み付けていました。

 

 

<パンジーの葉叢にかくれる豹紋蝶

          茎に白珠置いて飛び立つ>

 

 

2017年4月18日 (火)

塔ノ岳登山

 15日に天気予報が一週間前より改善したので、神奈川県の丹

沢山系の塔ノ岳(1491ⅿ)へ行ってきました。この6年間で4

目の登山ですが、それが山の自然的な変様なのか、あるいは登

山者数の多さも影響しているのか私には不明ですが、登山道の

所々が少しずつ変ってきているように感じました。中でもその

典型的な場所が「金冷シ(きんひやし)」で、塔ノ岳と鍋割山へ

の分岐点手前の急峻な峠なのですが、昨年5月に登った時にす

でに岩を超えていく通り道が崩れかかっていたのが、今年はも

う完全に通れなくなっていて、横に人工的な階段の道が設えて

ありました。しかもその峠の下の斜面には崩落の浸食が進んで

いて、の分だとこの名物峠が消失してしまうのもそう遠くは

なさそです。そうなった時はこの登山ルートがどう変わって

しまうかも心配になります。

 今回は初めて家から麓まで自家用車で来たのですが、東名高

速の事故渋滞に巻き込まれて大幅に遅れ大倉バス停に着いたの

11時で、車を駐車場に置いてバス停前を1115分にスタート

するという状況でした(今までなら、電車・バス乗り継ぎで9

 スタートでした)。その後は1230駒止茶屋→1340花立山

荘→1400金冷シ→1430尊仏山荘(山頂)到着で、そこで遅

めの昼食となりました。ところが天気が改善したと言っても山

頂付近は曇っているうえに、少し強い風が吹いていて体感温度

は6~7度という寒さ、おむすびを食べているうちに体が冷えて

きて慌ててヤッケを着て、急いで食べ終わるとすぐに帰路を下

ったのです。そして下の谷合いをよく見れば、3月に降った雪

解けずに残っていますから寒いわけだと納得したのです。下り

1450スタート→1650バス停着でした。上りは水補給休憩

2回とりましたが、下りは休憩なしで下りました。大倉バス停

の海抜が300m、山頂が1491mなので1200m弱の登攀はこうして

無事終わりました。

 

この日は曇りがちで、遠景は靄がかかり富士山や周辺の山の連

なりといった絶景を見ることができませんでした。 

あと短歌を5首。

 

9 靄がかかっています

8

6 金冷シ。右側が元の道です

7 崩れている斜面

5 山頂(皆寒そうです)

4 3

2 下りも雲は多し

 

 

 

 

<痩せ尾根を辿って着きし「金冷シ」

        山ガールらは踏みしめていく>

(これは一昨年塔ノ岳を登った時の歌ですが、今回は‥‥)

<風雪に耐へ呼ばれ来し「金冷シ」

         けふ目の当りにぞ見納めむ>

 

 

(あとは今回とは別に詠んだ歌です)

<空いずこ光にまぎる雲雀いて

 青き高みゆ声のみなぎる>

 

 

<一斉にピヨピヨッピヨで動き出す

            親鳥呼ばう横断歩道>

 

 

<コギトスム株式会社その間

        山にこもっていたわけでなく>

 

 

 

2017年4月13日 (木)

天皇譲位について―番外編―

 天皇譲位の問題についてはいずれ続きをじっくりやるつもり

でいます。重要な国の制度のことですから、予想もしない形で、

急転直下ことが決着してしまうことはなさそうです。巷間漏れ

伝わって来る今後の手順も、今上天皇一代限りの特別立法とし

て生前譲位(退位)を認めるものとなりそうです。皇室典範の

根幹を変えることは避けながら、天皇の地位は皇太子に譲位さ

れ平成から次の元号へ変わる道筋が示されるということです。

一見穏便なプロセスのようですが、これははっきり言えば、一

時しのぎ、問題先送りという対処です。なぜなら次の天皇の時

にも生前譲位の問題が浮上してくる可能性は小さくないからで

す。もしそうなれば、実におかしな話ですが、またその天皇一

代限りの特別立法によって(事実上“先例”に倣って)生前譲

位がおこなわれることになるのでしょう。そうしてそう時を置

かずにまた一代限りの特別立法によって‥‥。これは“不敬”

言うものでも何でもありません。今時点で誰もが予測がつく

なだけです。‥‥そういうわけで、天皇譲位問題はこのまま

世紀中続くことになりそうです。

 

スナップは花冷えの中でも桜は満開となって散り始めているの

を撮ったものです。 あと短歌を5首。

 

1 2

3

4 川の浅瀬では鯉の産卵が始まっています

5 近くの住宅街の桜並木

6

8

7 近くの公園の桜

 

<いい日には日向を歩きたくもなり芝から銀座へ五キロを歩く>

 

 

<春の雪ムッシュかまやつ旅立ちて草葉の露に映る白銀 >

 

 

<窓外の空に雲雀のあがる時かすかに動く義母のまなざし>

 

 

<どうしてか何台もまた何台も回送という空虚なバスが>

 

 

<この先の小島小児科駐車場8台までは駐車できます>

        (最後のは「偶然短歌」風に詠みました)

 

 

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー