経済・政治・国際

2016年5月17日 (火)

オバマ大統領の広島訪問

オバマ大統領の広島訪問

 

アメリカのオバマ大統領は、今月2627日のG7伊勢志摩サミット(主要国首脳会議)の後広島を訪問することを正式に公表しました。これは日米間に限らず世界の政治上でも疑いなく非常に意義の大きいことです。

 

私は20世紀の世界の三大事件は何であるかと問われれば、①アメリカの広島・長崎への原爆投下、②共産主義国家ソビエト連邦の誕生と消滅、③ユダヤ人国家イスラエルの成立、と答えます。20世紀の事件とはいえ、どれもミレニアム次元の、つまり千年単位で見ても候補にあげられる程の大事件だろうと思います。ソ連とイスラエルのことはここでは触れませんが、原爆投下について何故これが大事件なのかを以下のように説明してみようと思います。

 

人間は太古の昔、寒さから身を守るために「火」の活用に目覚めました。この火の活用は食する対象の拡大であるとともに、火によって加工できる銅、鉄といった金属でできる刀剣、槍といった武器をも生み出しました。この武器は狩猟はもちろんですが戦争(戦闘)における強力な道具となり、火薬や石油といったやはり火の活用技術の進歩と相まって、民族間、国家間の戦争の行方を左右する手段となりました。そして20世紀の第二次世界大戦の末期にアメリカは核技術を兵器に応用した原爆を開発したのですが、この核兵器が現時点では最も強力な武器であることを疑う人間は一人もいません。これが最強兵器であることを世界に知らしめる証拠となったのが広島・長崎への実際の原爆投下だったのです。日米戦争の末期、アメリカの勝利が99.9%間違いなく、長引いてもその年の内には決着が見えていた段階で何故アメリカは敢えて原爆投下を行なったのでしょうか。よく尤もらしく、「戦争を早く終結させ兵士の死亡増加を止めるため」、「ソ連の日本への進出を食い止めるため」(ひどいのは「民主主義のため」というのもあります)とか言われますが、これはどれも後講釈に過ぎず、真実はアメリカが自分で開発した原子爆弾の実際上の威力を確かめたかったからに違いありません(画期的な技術を確認したがるのはいわば「人間の本性」です)。そしてその結果は恐らくアメリカの予想を数倍(数十倍?)上回るものだったということでしょう。そして大戦終結後から現在にいたる、そして未来にわたる国家の「核兵器による軍備」の形を決めることになったと言っていいでしょう(直接保有していなくても安保条約の下で「核の傘」に入ることも当然含みます)。もちろん、その後世界各地で戦争(紛争)は後を絶たないものの、今までのところ、核兵器の実際の使用はなく、核兵器保有国の数も10か国未満ですが、近い将来には、日進月歩の技術進歩により核兵器のコンパクト化が図られるとともに、核兵器保有国の数も格段に増える可能性は残念ながらかなり高いと予想できます。つまり核兵器が通常兵器化するということです。その時は世界のどの国も(テロリストも!)核兵器を保有するという形になるでしょう。

 

最近になって、オバマ大統領が音頭を取って「核兵器廃絶」へ向けた模索が始まりましたが、このアメリカの動きは如何せん「核兵器保有国」のエゴイズムの域を出ません(核兵器を最大保有する国が「私は持ってるけどあなた方は持つのは止めましょう」という理屈の説得力がまったくないのは当たり前のことです)。不幸にも核兵器の恐ろしさは広島・長崎の原爆投下で証明されてしまいましたから、これからの世界は核兵器の改良を重ねていく一方で核兵器廃絶の方法も更にいっそう深刻に模索していくという、一見矛盾した動きを続けていくのが現実であろうと予想できます。一見矛盾と言うのは、実はそこに共通してあるのは「恐怖心」に他ならないからです。人間は「恐怖心」故に強力な兵器を欲しがり「恐怖心」故に兵器の消滅を欲するということです。この動きは展望できる限りの未来まで続いていくのが間違いないように思います。‥‥私にはもちろんこれを解決する方法など思い付きませんが、一体誰かこれを解決できる人がいるのでしょうか。これを“難問”と言わずしてこの世に難問などないのではないでしょうか。人間から「恐怖心」を取り除くことが不可能であれば、この“難問”は決して解けないと言い切ってもいいでしょう。私はオバマ大統領の強い意志を尊重しこそすれ、これに冷や水を浴びせようとは決して思いません。しかしこれを達成することが生易しいことでは絶対にないことは断言したいのです。例えば今後、「核兵器廃絶主要国会議」が開かれるようになったとしても、この難問がすんなり解ける保証など何もないと言った方がいいのです。世界中の人間が(しかもこれから生まれてくる人間も含め)、唯一人の例外もなく、これを解決すべき“難問”と認識できた時にのみこれが解ける可能性が見えてくるのでしょうが、そんなことは“絵空事”という以外にないでしょう。

 

‥‥この“難問”の解決はとにかく覚束ないものだという認識こそがスタートラインなのです。最初に述べました、「アメリカの広島・長崎への原爆投下」がミレニアム次元の大事件というのはこの意味です。今回のオバマ大統領の広島訪問は、裏を返せば以上のことがもはや隠蔽できないことになってきているということなのではないでしょうか。

2015年10月29日 (木)

「マイナンバー考」

そろそろ我家にもマイナンバー通知が届くかと思っているのですが、まだいていません。昼のテレビのワイドショーなどでも盛んにマイナンバー制度のことが取り上げられていますが、これらを見て、また私も感じたことを言ってみようと思います。

 

 マイナンバー制度の目的は、国民の所得のより完全な把握ということでしょう。これ以外にありません。人によっては将来の「徴兵制」のためとか言いますが、これは今の住民登録制で足ります。70年前までは、これに基づく“赤紙”で徴兵したわけですから、もしやろうとなればもちろん憲法改正が必要ですが)今のままで十分で、マイナンバーなど関係ありません。また、某国のようにほとんどの金銭取引にマイナンバーの記載が義務付けられ、それが権力による個人の素行調査や思想調査に利用されているのと同じことが起こると杞憂する意見もありますが、もし日本が準戦時体制下になればマイナンバーどころか、メール、電話、郵便その他の通信システムは監視対象になるのは確実でしょう。現在でも犯罪に関わればこれらには捜査権限が及んでいるのですから、今マイナンバーだけを取り上げて騒ぐ話ではないのです。それでもどうしても嫌ならこのようなシステムのない国に亡命するほかないでしょう。‥‥やはりマイナンバー制度の狙いは、国民の所得(給与所得、雑所得、譲渡所得、事業所得、不動産所得、配当所得、利子所得‥等々‥)をもれなく正確に補足し、徴税の確保を図るということでしょう。これは、ひとえに国の利便のためであり、国民の利便のためではさらさらありません。国民にとって今までに受けている利便がさらに大幅にアップすることなどまず期待できないでしょう。せいぜい確定申告がスムーズになるくらいで、これは徴税手続きがスムーズになることの裏返しに過ぎません。

 

 では何故、国は今からこれをやろうとしているのでしょうか。国民は(特にサラリーマンは)悪質な脱税者を除けば、今までも正直に税金を納めてきたはずです。これ以上何を払えというのでしょうか。あるいは何か納税制度を変えようとしているのでしょうか。それは端的に言えば、徴税の漏れをなくすことによって国の徴税総額のアップを実現させようとしているということでしょう。つまり、現在日本全体でどれだけの「徴税漏れ」があるのかは分かりませんが、目先的にはこの徴税漏れの解消による税額アップに加え、将来的には、いずれ実施すると予想される現行課税システムの抜本的な見直し(各種課税率を始めとして、軽減税率、累進税率、課税種類、課税区分、課税限度額などの変更および新たな財産税の導入など)を睨んで、今から隙のない基盤づくりを進めていこうという考えでしょう。

 

 日本の国がこうして、いわば“効率的徴税システム”の導入へと着手した動機(背景)は何であるのかといえば、国家財政の破綻が遠くない時期に起こることが確実視されているからでしょう。国家財政の破綻とは直接的には国の借金(大部分が国公債)の返済不能(デフォルト)ですが、間接的には社会保障制度(健康保険、年金保険、生活保護、老人医療、各種恩給‥‥)の崩壊にも繋がります。当局としては今これを手をこまねいて見ていることなどできません。いざ「大徴税!」という時の頑丈な“投網(とあみ)”作りをいよいよスタートさせたという訳です。大徴税、投網と言っても、誰彼が言うような、“国の1,000兆円の借金を国民の1,000兆円の預金で肩代わりさせる”などという無茶苦茶なことが今できるはずがありません(昭和の敗戦後はGHQ占領下で、預金封鎖、財産税課税(25%~90%)、デノミネーションが実施された。国債は財産税を原資に償還されたが、これは事実上、国民に国の借金を肩代わりさせたものである)。総理大臣も日銀総裁も今そんな権限は持っていません(“戒厳令”の法制度はない)。しかし税制の変更は法律でできます。現に消費税は1988年に誕生後、税率は3%→(4%)→5%→8と引き上げられてきましたし、将来的には20%前後までの引き上げが想定されています。そして現況は、もう消費税の引き上げ程度では国の借金返済には“焼け石に水”状態なので、色々な徴税方法を検討(画策)し始めたということなのです。

 

 ここから先、これが上手くいくかどうか誰にも分かりません。政府のこのやり方を私たち国民がどこまで容認するかも分かりません。しかし、恐らく何度か政権交代を繰り返しながらもこの方向(大徴税)へ進んでいくことは間違いないでしょう。他に方法がないからです。

 

‥‥マイナンバーの導入と同時に、以上のことは最低限、念頭に置くべきことでしょう。

 

https://www.youtube.com/watch?v=SzGm0qOooJ4

 

 

 

 

 

 

2015年7月 1日 (水)

安保法制

「安保法制」について

 

 与党が閣議決定したいわゆる「安保法制」に対して、憲法学者から違憲論

と合憲論がそれぞれ出され、国会も会期を大幅に延長することが決まり、

当面紛糾国会が続きそうです。私達国民はこの事態をしっかりと見守る必

要があります。その際に、頭の整理をしておくことは決して損にはならな

いはずで、その一助としていただくべく、私なりの思いを述べてみます。

「今さら何を言うの」ではなく、「今こそ言わずにいつ言うの」の思いか

ら述べるのです。

  まず、私は素朴に、現行の日本国憲法第九条は全文書き直しをすべきで(

 その意味で改憲賛成)、そうしない限り、何をどうひねろうと「安保法制」

 は憲法違反だと考えます。

 その憲法第九条はどう書かれているでしょうか。丸々引用しますと、『日

本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動た

る戦争と、武力に依る威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段とし

ては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の

戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。』‥‥いわゆ

る《戦争の放棄》を謳った条文で、現憲法が『平和憲法』と呼ばれるゆえん

のものです。実に見事な文章なのですが、これを日本語の義務教育を普通に

終了した者が普通に理解してこれを約めて言えば、“日本は軍事力を保有せ

ず、従って戦争はしない”であり、これ以外の解釈などあるはずはありませ

ん。侵略戦争だけが“NO”なのではなく、戦争そのものが“NO”の意味で

あることは、誰が読んでも明らかでしょう。

 その一方で現実には、日本は「自衛隊」という紛う方なき陸・海・空の軍

隊を保持しています(核兵器部分を無視すれば、世界で79番目位の軍事力

でしょうか)。これは明白に第九条と現在の国情との齟齬・矛盾ですが、現

憲法内のどこにもこの齟齬・矛盾を埋め合わせる条文はありません。その限

りで、現行憲法は“嘘つき”状態なのです。今回の「安保法制」に限らず、

これまでになされてきた憲法解釈に係わる紛糾の源は、すべてこの部分にあ

ると言えば間違いはありません。これは子供でもアレ?と思う嘘なのだとい

うことに、政治家やマスコミは気が付かないフリをしてきましたが、それを

続ければ続けるだけ、ツケが貯まり、ニッチもサッチもいかない程の問題と

なってしまった、というのが今の状況だということでしょう。

 それは一言で言えば、皆がサボってきたのが原因です。与党(自民党)は

言うに及ばず、野党も、裁判所、憲法学者たち全員、そしてマスコミが、こ

のあからさまな“嘘つき”状態を修復することをサボってきたからです。

【こうなった原因は、言うまでもなく、194611月に日本に『平和憲法』を制

 定させたGHQ(アメリカ)が、1950年の朝鮮動乱を機に「警察予備隊」を設

 置させ、1954年に「自衛隊」となった際に、憲法との齟齬が生じたにもかか

 わらず、憲法改正には手を付けなかった、という経緯にあります。またこれ

 以降、憲法に「解釈論」という、誠に質の悪いご都合主義が纏わりつくこと

 になったと言えます】

  まず与党(自民党)は、現行憲法をGHQに受諾させられた当事者だったの

 で、戦後ずっとこの“嘘つき”状態を最も敏感に認識しており、だからこそ

 折に触れては改憲論をチラつかせながらも、与党の座を手放せないので(そ

 して日米安保にすがるのが一番楽なので)手を付けずにきたということであ

 り、野党(特に旧社会党と共産党)は「平和憲法」を盾に与党イジメを続け

 られれば、国民向けに“正義の味方”の役回りに安住できるので、ひたすら

 “護憲”の旗振りをしてきた、裁判所(最高裁)は国情を慮ることは憲法解

 釈を超える、と勝手に判断(判断棚上げ)し続けた、憲法学者は憲法条文を

 “判じ物”扱いする(=解釈論のオモチャにする)ことで自分の地位を保全

 することができた、最後に、マスコミは“問題だ、問題だ”と騒ぐこと以上

 のことはできず(嘘を嘘と、一番言い易い立場にいるにもかかわらず)、世

 論的「白痴状態」を演出し続けてきたのです。要するに、日本のオピニオン

 ・リーダーたちは皆、憲法の“裸の王様体制(嘘つき状態)”を守ってきた、

 というわけです。(“戦犯探し”をすれば、ほぼ関係者全員が戦犯というわ

 けです)

 ‥‥さて、戦後70年間、この白痴劇場(裸の王様)を見続けてきた国民は、

 いいかげんこの辺で、何が嘘で何が真実かは分かるはずです。もし、分から

 なければ、国民もとうとう本当の白痴になってしまったということではない

 でしょうか。

 ‥‥簡単に言えば、憲法の問題は『言葉の問題』なのです。日本の現状は、

 国民あげて『言葉』を軽んじた結果、『言葉』から逆襲を受けている状態だ

 と言えるでしょう。いわば『言葉』による呪縛を受けて、身動きが取れなく

 なってしまっているのです。これを解消するには『言葉』を変える以外に方

 法はないのです。『言葉』を変えないのであれば、現状を『言葉』に合うよ

 うに変えなければなりません。はっきり言えば、憲法第九条の条文を書き直

 すか、自衛隊を消滅させるか、ということです。自衛隊を無くしても日本国

 が成り立つと判断できれば、そうすればいいのです。成り立たないと判断す

 れば、第九条の書き直し(憲法改正)が絶対に必要です。以上の決断をしな

 い限り憲法の“嘘つき状態”は解消されず、このままズルズルと、事態の更

 なる悪化を招いていくだけでしょう。

 ちなみに、アメリカはこれに賛同しているとはいえ、日本の「安保法制」

の行方がどうなろうと、中国に対する警戒態勢は一層高めるだけで、(沖縄

を含めた)極東の軍備体制をより強固にしこそすれ、弱めていく可能性など

まずないでしょう。アメリカが財政や諸般の事情で極東から徐々に手を引い

ていく、従って、いよいよ日本の出番が近付いている、などという手前勝手

な“妄想”を言う輩もいるようですが、これこそ最もあり得ない話でしょう

(また、アメリカは自分が制定させた『平和憲法』を、日本が改憲すること

は、本音として望まないでしょう)。

「周辺事態」となった時に自衛隊を出すのか否かを考えるのではなく、も

とそれ以前に、それを考える拠り所とならなければならない憲法が宙ぶら

ん(嘘つき状態)であれば、どんな判断も宙ぶらりんとなるに決まってい

ます。ここは何としても拙速は避けなければならないのです。文字通り、憲

法という“大本”を固めないまま、日本にとって対外的な影響が発生する可

能性が大きい「軍事力の動員」を行なうことは、あの戦前の“深謀遠慮を欠

いた短慮”で泥沼の戦争にのめり込んでいき、悲惨な結果をもたらした歴史

の教訓が、それこそ生かされずに、また“同じ過ち”を繰り返すということ

でしょう(それとも、白痴の白痴たる証明をしたいのでしょうか?)。

記事とは関係ありませんが、疲れた頭にはビル・エヴァンスを!

https://www.youtube.com/watch?v=ZtVifO0MyFE

2015年4月 2日 (木)

21世紀の資本

21世紀の資本  トマ・ピケティ著―みすず書房―

 久し振りに読み応えのある経済学の本が世に出ました。この本の主要テーマ

「富の分配と格差の研究」です。これはひょっとするとAスミス「国富論」、

マルクス「資本論」、ケインズ「一般理論」に匹敵する経済学の本に位置付け

られるかも知れません。ただ、世界的な「格差問題」が落ち着く目処が立たな

いうちは、この本の評価が定まらない可能性も大きいかも知れません。

 日本で「格差」というのが人口に膾炙するようになってから10年ほどたつの

でしょうか。「格差社会」が例の“流行語大賞”になったのが2006年だという

ことですから。「格差」のもともとの意味は、価格、資格、等級の差(岩波辞

典)のことですが、最近はもっと生活実感が込められて、この言葉が使われて

いるような気がします。「格差」がこれほどまで世の中で意識されるようにな

ったのは、やはり長期不況(デフレ)のせいなのでしょう。経済成長率が高く、

バブルも生まれていた時代には、私達の日常の生活においてそれほど実感(す

る必要)のない、概念だったと言っていいでしょう。

 この10年間にしても「格差問題」は心情的に理解はされても、客観的裏付け

を欠き、説得力がもう一つないまま、専ら政治的プロパガンダに使われてきた

印象が強いのです。これまでに格差分析に真正面から取組んだ社会科学書が目

立った形で出てこなかったことは、考えてみれば不思議なことでした。その理

由は、一言で格差と言ってもそれを客観的なデータで裏付けることが容易では

なく、またそれに取り組むだけの意気地を持った専門家など(殊に日本では)

育たなかったからでしょう。

 しかし、やはり出るべくして出るものはあるということでしょう。これだけ

詳細で分かり易いデータを(しかも多くは、主要国の18世紀末~21世紀初まで

200年強をカバーしており、この労作の部分がこの本の文字通りの肝です)

具えた本が書かれると、「格差問題」にまつわる雰囲気が世界的に大きく動き

出す可能性まであると言えそうです。

 ただピケティ自身は、この本は不完全な解答しか示してないと謙虚に述べて

いますし、細かな内容面では、オヤ?と思う点はあります(例えば、公的債務

の解消策の一つにインフレを挙げてますが、国家が自ら作った債務を、自らイ

フレを現出させて、借金棒引きしようとするのは、疑問なしとできるのでしょ

うか。20世紀の歴史的実績は、この本でも繰り返し強調している通り、二つの

世界大戦による副産物(結果論)だった訳で、そうであれば、果たして意図的

に同じ方法が採れるものでしょうか)。

 しかし、最も重要な本書の論点は、ドラスチックな累進課税を骨子とする富

の格差是正策の提言です。これほど明快かつ論理的整合性を以って、これが自

国に対して突き付けられた時に(対象は日本も含まれる主要先進国政府です)、

誰であれ迂闊な反論をすれば、反論自体の稚拙さが逆にあぶり出されてしまう

だろうという予感も強くするのです。大袈裟でなく、世界でこれから当分の間

目の離せない本であることは間違いないでしょう。

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