趣味

2015年10月22日 (木)

短歌

 

鎌倉に住む旧会社の知人から“鎌倉の秘境”を歩かないかと誘

いがあり、もう一人誘って三人で1019日に歩いてきました。

“秘境”とは大袈裟で、要は普通あまり歩かないコースを行こ

うというものでした。 江ノ電の極楽寺駅に集まりそこから⇒

霊仙山(れいせんざん)⇒稲村ヶ崎⇒御霊神社(ごりょうじん

じゃ)⇒<‥江ノ電‥長谷→鎌倉>⇒佐助稲荷⇒葛原ヶ丘公園

(昼食)⇒魯山人の星岡窯⇒台峯(だいみね)⇒東慶寺⇒亀ヶ

坂⇒浄光明寺⇒<‥小町通り‥>飲み処「いさむ」‥と最後

はお酒で締める形でした。 

930集合~1630飲屋、万歩計で3万歩強の行程でした。

 

1_2道らしいものはありません

23跡碑です

4稲村ヶ崎にある碑

5山頂から由比ヶ浜が見えます

 

霊仙山は稲村ヶ崎を見下ろす海岸沿いの低山で、見晴らし

が絶景で、明治41年にドイツの細菌学者コッホが、教え子

の北里柴三郎の招きで来日し、鎌倉に滞在したことを記念

してこの霊仙山の山頂にコッホの記念碑を建てたのです。

実際にコッホはこの山からの景色を大変気に入っていたよ

うです。関東大震災で倒壊の被害を受けたりしたのですが

建て直され、その後昭和58年に稲村ヶ崎に搬送されて現在

の形の碑として建て替えられたのです。

今でははっきりした登山道もない霊仙山に人が足を踏み入

れることはほとんどないらしく、今回も雑草に覆われて隠

れていた跡碑を私達はやっと探し当てたのです。

《今回、大村智博士のノーベル賞には、霊仙山からコッホ

と北里柴三郎も祝意を贈ったことでしょう》

 

1_32_2

3_24_2

5_2一歩間違えるとズブズブ!

 

 

その後のルートでは台峯(だいみね)が“秘境”らしさ

を見せていました。鎌倉市は周辺こそ工場や宅地、霊園

・墓地などの開拓が進み、もともとあった地形や緑地が

かなり侵食されていますが、一方で古都の里山的風景を

保存しようとする努力もなされ、所々に思いがけない自

然的風景が残されています。その一つが台峯で、鎌倉中

央公園の拡大地域として位置付けられ、緑地の保全が図

られています。私達が入った時も、湿地・池にはカワセ

ミが飛翔し、径を横切るナラの幹にコゲラがとまって皮

をつつく姿がありました。ここではオオタカやフクロウ

などの貴重種の動物も確認されているのです。今やこの

ような環境は人間が意を用いて保存しなければどんど

失われてしまうということなのです。

 

 

6

台峯の近くには北大路魯山人の星岡窯跡があります。戦後

の一時期彫刻家のイサム・ノグチ、山口淑子夫妻が住んで

いました。私有地のため今は中には入れません。

1_42_3

3_34_3

 

 

 

この後、従前のブログでも紹介しました東慶寺と浄光明

寺に寄りました。両寺ともますます秋の花が映えていま

した。

 

飲屋「いさむ」では、何のきっかけでか、友人の一人が

大正昭和の歌人の吉井勇のことを言い出して吉井勇の代

表歌を口したのです。

『かにかくに祇園はこひし寢(ぬ)るときも

 枕の下を水のながるる』

(とにもかくにも祇園は恋しいところだ。酔って寝てし

 まっても枕の下を川の水が流れるのが聞こえてくる‥)

う~ん、こういう心境の歌を私も詠みたいものですが、

とても到達できませんね。精神的にも、環境的にも、

経済的にも。せいぜいいま詠めるのはこんな歌です。

 

かにかくに頭の中に滲みていく ブルーモンクの枯

葉の響き

 

(「ブルーモンク」はセロニアス・モンクのジャズ曲。

 私にはシャンソンの「枯葉」の変曲に聞こえるのです)

ではまた。

https://www.youtube.com/watch?v=J4X5folutT8

 

 

2015年10月10日 (土)

短歌

 

秋のうららかな天候の108日にカルチャー教室で鎌倉の

七里ヶ浜界隈の史蹟を訪ねました。鎌倉から江ノ電で七里

ヶ浜まで行き、「霊光寺(れいこうじ)」⇒「西田幾多郎歌碑」

⇒「稲村ヶ崎」⇒「十一人塚」と見て、再び江ノ電で鎌倉

に戻るコースでした。

霊光寺までの道は今は住宅が立ち並んでいますが、鎌倉時

代は農民が暮らす村で、ある時ひどい干ばつに苦しみまし

た。執権北条時宗は極楽寺の僧正に雨乞いの祈祷を命じた

ものの一向に効果がありませんでした。そこへ日蓮があら

われ、干上がった池に向かって三日三晩法華経を唱えてい

ると、やがて空がかき曇り雨が降りだしたのです。この池

を<雨乞いの池>といい土地の人は大切にしていました

(今は埋め立てられてしまいました)。

鎌倉の西のはずれでかなり鄙びた佇まいの寺ですが、境内

の辺り一円は霊験が漂う趣がありました。

12

3日蓮大菩薩祈雨之旧跡也とあります

45日蓮聖人像

6鬱蒼とした木々の中に本堂が見えます

7


8



 

 

 

 

 

海を目の前に臨む国道134号線沿いに西田幾多郎の歌碑が

あります。

『七里浜夕日漂う波の上に 伊豆の山々果し

知らずも』

(西田幾多郎は昭和3年から昭和20年に没するまで稲村ヶ

 崎の姥ヶ谷に住んだ)

9

11西田幾多郎歌碑

12

 

 

 

 

稲村ヶ崎は鎌倉側の由比ヶ浜と江の島側の七里ヶ浜を分

かつ場所にある岬です。新田義貞が鎌倉攻めの要衝とし

たところとして有名です。義貞が自分の剣を海に投げる

と潮が引き、軍勢が浅瀬を渡って由比ヶ浜に入ることが

出来たのです。

その逸話に基づいて明治天皇が詠った歌碑があります。

『投げ入れし剣の光あらはれて 千尋の海も

 くがとなりぬる』 〔(注)くが:陸のこと〕

1314

15
17_2展望台から富士山も見えます

 

 

 

またそこには、「ボート遭難の碑」が立てられていて、

『七里ヶ浜の哀歌(真白き富士の根)』の一番、二番が

彫られています(歌は六番まであります)。

1910(明治43)年1月に逗子開成中学のボート部員(部

員の弟の小学生1人含む)12人が海に漕ぎ出たところ波

浪で船が転覆、全員が海に投げ出され溺れ死ぬという痛

ましい事故が起きてしまいました。その顛末を知った鎌

倉女学校の教員であった三角錫子(みすみすずこ)が一

晩で作詞し、もともとあった賛美歌に合わせてこの歌が

出来上がったと言われています。

 

1819

 

 

1 真白き富士の根 緑の江の島
 
  仰ぎ見るも 今は涙
 
  帰らぬ十二の 雄々しきみたまに
 
  捧げまつる 胸と心

2 ボートは沈みぬ 千尋(ちひろ)の海原
 
  風も浪も 小(ち)さき腕(かいな)に
 
  力もつきはて 呼ぶ名は父母(ちちはは)
 
  恨みは深し 七里が浜辺

由紀さおり・安田祥子姉妹の唄をYouTubeでとりました。

https://www.youtube.com/watch?v=7aGOdZXwKng



 

 

 

私も一首詠んでみました。

波引いて足に残りし黒き砂 七里ヶ浜に

秋は来にけ

 

 

 

最後に「十一人塚」を観ました。

1333(元弘3)5月鎌倉攻めの新田義貞軍の一族である

大館宗氏は大軍を率いて極楽寺坂の切通しへ攻め込んだ

が、北条方の猛反撃をうけて多数が討ち死にし、最後に

残った11人も稲瀬川で自刃したと伝えられている。 ここ

「十一人塚」にその11人を葬り、十一面観音堂を建てた

とされています。

2021

 

 

 

最後にもう一首

もや薄れ青く静まる相模灘 航跡引いて

船が帰りぬ

10_3

 

 

 

 

 

 

2015年9月26日 (土)

短歌

 

シルバーウィーク明けの24日にカルチャー教室で鎌倉の東慶寺を

訪れました。この寺は北条時宗の夫人覚山志道尼が夫の死んだ翌年

1285年(弘安8年)に開創しました。覚山志道尼は息子である

執権北条貞時に願い出て縁切り寺法を設ける勅許を得ました。以来、

1871年(明治4年)の廃仏毀釈によりこの寺法が廃止されるまで、

女性の方から離縁できる“駆け込み寺”として封建時代には希少な

女人救済の寺としても名高い地位を守ってきたのです。

明治になって長い尼寺の歴史に幕を閉じると、新たに禅寺として歴

史を歩み始めました。1905年(明治38年)に高僧と讃えられた釈

宗演が住職となると、その居士(僧ではない仏弟子)である鈴木大

拙と二人三脚で禅(ZEN)文化を世界に広める礎を築いていった

のです。同時に安宅弥吉(安宅産業創業者)、岩波茂雄(岩波書店

創業者)、出光佐三(出光興産創業者)といった実業家や西田幾多

郎、和辻哲郎、小林秀雄、高見順、川田順、太田水穂、田村俊子と

いった哲学者、文芸人からも慕われる寺となったのです。数ある鎌

倉の寺の中でも際立って近代文芸・文化の香りの濃い寺と言えるで

しょう。

12

4本堂(泰平殿)

境内には色とりどりの秋の花が咲き乱れています。

6_2コスモス

7秋明菊

8彼岸花

9ムラサキシキブ





 

 

 

 

本堂「泰平殿」の門前に四賀光子の歌碑があります。

ながらふる 大悲の海に よばふこゑ 時をへだてて なほ確かなり

(四賀光子は夫の太田水穂と歌誌「潮音」を主宰した歌人です)

4_3

 

 

 

もの忘れ またうちわすれ かくしつつ 生命をさへや 明日は忘れむ

(太田水穂は脳卒中で倒れ、その病床で詠んだ最晩年の歌です)

 

東慶寺の墓所には驚くほど多数の近代の著名人のお墓があります。

10_2

11安宅弥吉

12岩波茂雄

13西田幾多郎

14鈴木大拙

15高見順

16田村俊子

17小林秀雄

18大松博文




 

 

あの“鬼の大松”の大松博文さんのお墓もありました。大松さんの

名言と言えば、「俺についてこい」、「なせばなる」が有名です。

その「なせばなる」とは上杉鷹山(うえすぎようざん)の歌からとったの

です。

なせばなる なさねば成らぬ なにごとも 成らぬは人の なさぬなりけり

(上杉鷹山は江戸中期米沢藩の藩主で、破綻に瀕していた米沢藩の財政を立て直した名君です。この本歌が武田信玄の歌にあります)

 

 

 

 

この着想で私も一首捻ってみました。

それをそう 成るとおもへば そう成りぬ そうで

なければ 世界は成らぬ

(私たちにとって、世界はそのように成り立っています)

 

19

 

山門を入って左手に田村俊子の文学碑があり、こう書かれています。

『この女作者はいつも おしろひをつけている この女の書くも

のは 大がいおしろひの中から 生まれてくるものである』(女作

者)

 

 

 

 

 

2015年9月17日 (木)

短歌

 

久し振りの晴れ間が続いた15日に、前から一度見てみたいと

思っていた町田市鶴川にある武相荘(ぶあいそう:旧白洲邸)に

行ってきました。彼岸花が咲いていそうな気もしたのです。

白洲次郎は若くしてケンブリッジに留学、英国流の素養を身

に付け帰国すると正子と結婚しました。

2次大戦が始まると当初から日本の敗戦を見抜き、妻の正子

とともに鶴川村に移住し農業にいそしみました。終戦後、吉

田茂に請われGHQとの折衝にあたり、日本国憲法の成立、

サンフランシスコ平和条約の締結といった重要な仕事に深く

関わりました。しかし、その後は政界入りも断り、幾つかの

会社経営に携わって終生在野を貫きました。妻の正子は結婚

後、小林秀雄、河上徹太郎、青山二郎といった文芸人や芸術

家と親交を結び文学、能、骨董の世界に身を置き続けました。

純然たる田舎暮らしを志向し子供も育てながら、在野にいて

なお時代感覚を磨いていたという二人の生活態度・信条とい

ったものにはただただ憧れるばかりで、その旧家に爪の垢で

も残っていやしないかと出かけた次第です(勿論そんなもの

があるはずもありませんでした)。

 その旧白洲邸での印象に基づいて詠んだ歌3首とその他2

です。

 

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昭和18年に古い農家を買い取って住んだ母屋

https://www.youtube.com/watch?v=z63U8fV8owc




 

 

戦後70年何を偲ぶ次郎 武相荘でも柿は赤らむ

(武相荘とは鶴川村が武蔵と相模の境界にあったので、次郎

 が名付けたのですがもちろん無愛想をもじったのです)

 

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母屋の前庭と散策路




 

白洲翁遺言2行いさぎよし 「葬式無用、戒名不用」

(白洲次郎が正子と子供たちに宛てた遺言が残っていて、こ

 の2行だけだったのです)

 

9_210
母屋の隣のレストランには、次郎の写真と正子の似顔絵があります

8次郎が終生乗り回した愛車

 

ひっそりと木陰に佇む彼岸花 次郎も馳せらむ国へ

の思い

 


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散策路脇に彼岸花が咲いていました





5
石塔








 

 

山査子(サンザシ)の挿し木が一つ夏を越す二十何度目

かの正直で

(なかなか成功しなかった山査子の挿し木がやっと根付きました)

 

 

 

それをそう 感じとるから そうであり そうであ

るから そうある世界

(ある哲学ブログからの着想です)

 

 

 

 

2015年9月10日 (木)

短歌

 

台風でカルチャー教室(鎌倉散歩)が中止となり、撮るつもりでい

たスナップがありませんが、歌が少し貯まりましたので載せてみま

す。4月~8月までの分から8首ほど。

 

 

 

 

酒匂川河原いっぱいの陽炎の上をのたくる小田急電

(酒匂川(さかわがわ)は神奈川県西部にある川で、小田急

鉄橋が架かっている辺りが私の故郷です。アユが豊富です)

 

 

 

酒匂川夏は稲穂を育んで実りの秋にうまざけ醸(かも)

(昔、酒田錦という旨い地酒がありましたが、今は?)

 

 

 

上弦の月を葉影に引き入れて泰山木は夜空を統べる

(公園の巨大な泰山木(たいさんぼく)は空半分を覆う程です)

 

 

 

チッポラのうつ向く顔にかさなりぬ モーブ色した

細きおとがい

(短歌教室の先生の顔がチッポラに似ていると思ったので‥)

 

 

 

峠過ぎ山うぐいすがホウホケキョ ケフ一日ノ褒美

ニゴザルヨ!

5月に丹沢山を歩いた時、鶯の鳴き声はそう聞こえました)

 

 

 

亡き義姉の丹精こめし柿の葉は 梅雨に濡れつつみ

どりけざやか

6月の義姉の一周忌にて)

 

 

 

憲法にまつわりついて離れない 解釈論という妖怪

(近ごろずっと気になっていることです)

 

 

 

時があり空間もある今ここに ヒッグス粒子がどう

であろうと

(少し哲学っぽいものも‥‥)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2015年8月29日 (土)

短歌

一昨日はカルチャー教室の鎌倉散歩があり、滑川(なめかわ)沿い

の寺々、遺跡を巡りました。夏の日差しが戻り少々暑かったほどで

したが、清々しい空気はすでに秋の気配が漂っていました。私達の

グループに東京から来たという人達も加わり、熱心に先生の話に耳

を傾けていました。そして散歩終了後の二次会でのビールはいつも

以上に腹に染みたものです。

スナップは鎌足稲荷だけです。

5_2

4_2「鎌倉」の地名縁起が書かれています

 

 

浄妙寺の東の山に鎌足稲荷と呼ばれる祠(ほこら)があります。

鎌足とは飛鳥時代に活躍した政治家の中臣鎌足です。中大兄皇子

(後の天智天皇)の重鎮として大化の改新をなし遂げ、その勲功に

より鎌足は死ぬ間際に天智天皇より藤原の姓を賜り、これが平安時

代に至る最大の氏族藤原氏の走りとなったのです。

ある時この鎌足が常陸国の鹿島神社に参詣の所用の途中、由比ヶ浜

に泊った時に見た夢の霊験から、肌身離さず所持していた鎌をその

地(大蔵山)に埋めたのです。これが後の『鎌倉』の地名の起こり

とされています。

 

 

鎌倉の名を今残す鎌足や 藤原始祖にて改新果たす

 

 

 

その鎌足は万葉集に歌も残しています。

われはもや安見児得たり皆人の得難にすとふ安見児

得たり (私は安見児(やすみこ:天皇の側女・采女)を得た、皆が

手に入れられないと言っていたあの安見児を得たのだ)‥‥ウィキ

ペディアより略出

 

当時天皇に仕える安見児への恋慕は命と引き換えの禁忌ごとでした

が、天智天皇の覚えがよい鎌足には特別な計らいがあったようです。

鎌足の嬉しさにあふれた気持ちが伝わってくる歌です。

2015年8月23日 (日)

短歌

 

人様の哲学ブログに少々頭を突っ込んでしまい、自分のブログを

れてしまいました。どうせなら短歌も哲学っぽいものを詠んで

みましょう。哲学っぽいだけで哲学ではありませんが‥‥

 

スナップは、いつも行っている遊園地です。

 

 

 

 

 

誰もいう今とは何か 生きている今ここにいる思いの

 

ことか

 

 

 

 

 

ここというこことは何か 立っている私の周りのこの

 

空間か

 

 

 

 

 

今ここは誰にとっても今ここか 私の今もあなたのこ

 

こも

 

 

 

 

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2


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2015年8月 9日 (日)

短歌

心頭を滅却すれば火もまた涼し、とかいって本当に火にあたったり

すれば間違いなく熱中症になって救急車で運ばれることになりま

す。せいぜい“恋”でも想って心を熱くする位がいいでしょう。

え?老人が暑さで色ボケになったって?‥‥ウ~ン、そうかも知れ

ませんね!!!!!

スナップは、先週の由比ヶ浜の風景と家の近所で見たセミの抜け殻

です。恋の曲も付けておきます(ピアノと歌)。

 

 

あはれかな叶うことならもう一度 労せずしてなる

恋を願いし

(本気かね?)

 

 

労しても労せずしてもなる恋は もはや去りけり山

の彼方に

(そんな良いこともうないよ)

 

 

このままあなたがそばにいればいい 恋の気分でエ

ロール・ガーナー(In the mood for love)

(やはり暑さのせいだ‥‥)

https://www.youtube.com/watch?v=6KuOS1DEVXU

https://www.youtube.com/watch?v=yezEgD0TmB8

12

3

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2015年7月29日 (水)

短歌

 

いよいよ猛暑のクライマックスに入っていますが、それでも

日が傾いてから近くの公園にウォーキングに出かけます。ク

ーラーの効いた部屋にいるだけでは人間ナマッてしまうから

です(本音のところでは、後のビールがより旨いからです)。

歩きながら浮かんだ歌、その他‥‥

スナップは小田原の一夜城跡での景色です。ジャズ曲も添付。

 

 

カナカナのしぐれの中を通り抜けこれで周回五つと

数ふ

 

 

 

ゆくさくさ散歩コースですれ違う 名は知らずとも

顔は覚えき

(ゆくさくさ:行く時と来る時)

 

 

 

酔えばまたジャズに浸りてものうげに 夜のしじま

のサムシン・エルス(Somethin’ Else)

 

 

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3

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https://www.youtube.com/watch?v=v3Lc7OgIngE

2015年7月20日 (月)

短歌

 

台風の後、晴れ上がった夕焼けを見て、梅雨も明けそうだな

と思ったら案の定すぐに梅雨明け宣言が出ました。いよいよ

酷暑の夏本番となりましたね。

(台風の前に、ハシゴに登って屋根の樋の掃除をしてから肩

 の調子が変になり、医者に診てもらったところ、「肩関節

 周囲炎」で、今は週3日のペースでリハビリ通いです。

 いわゆる「40肩」、「50肩」の類で、私の場合は「65肩」

 となるのでしょうか。(´゚д゚`)アチャー)

ということで、最近の心境を詠ったものを‥‥

 

 

 

挨拶はヤアヤア、オウオウ!ダレダッケ?旧き会社

の集いはあはれ

(先月の飲み会のことです)

 

 

 

嵐吹く一難去ってまた一難 寝返り打てぬ六十五肩

(上の説明の通りです)

 

 

 

どことなくなるようになるこの感じ この世は楽な

り感じで済めば

(別に投げやりな気分になった訳ではありません)

 

 

 

1

2このあと、梅雨明け宣言が出ました

3児童公園のヤマユリです

4ヒグラシが目の前で鳴いていました



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